27.聖女様といっしょ
「――音を立てない!」
ペチン!
王宮の一室から、指導の音が聞こえる。教鞭で手の甲を叩かれた『聖女』ジュリアは、「イタイ!」と口走った。
「痛いと言うほど叩いていません。」
「痛いか痛くないかじゃなくて、叩くのが悪いって言ってんの‼」
「あら、正論。しかし、聖女様に正論を吐いていられる時間があるとお思いで?このままであれば、もうじき殿下とエレナ様はご結婚なさるのですよ。それでもよろしいのですね??」
その言葉に、ジュリアは悔しそうに唇を噛む……。
「〰〰やるわよ!やればいいんでしょ⁉」
「先ほどから、お言葉がはしたない!」
「イタッ‼……やります、やらせていただきます!!」
彼女はナイフとフォークを持ち直し、渋々ながらも再び食事マナーのレッスンに挑み始めた。
表情は反抗的だが、なかなか根性はあるようだ。そんなところは悪くない。……が――…
「あっ!殿下ぁ!!」
明らかに高くなった、声のトーン。
少し離れた向こうに王太子・シルヴィオの姿を見付けたジュリアは、ガタンと席を立って駆け出した。そして遠慮なく彼に近付いて行く。
「マリアローザ様ったら、酷いんですよお。あれがダメこれがダメって、あたしを叩いて意地悪するんです……。」
ぐすんと涙ぐんでみせているが、あれはたぶん嘘泣きだろう。物凄い変わり身の早さには唖然とさせられる。
「へえ、そうなんだ。」
「ほら見てくださいここ!赤くなってるでしょう⁇」
だから、赤くなどなっていないと言うに。彼女はすっかり、悲劇のヒロインモードである。
少し前までは完全なる一般庶民だったはずなのに、生粋の貴族である自分を目の前にしてこんな行動が取れるとは……。世間知らずほど恐ろしいものはない。
呆れるやら感心するやらで、マリアローザの頭の中は忙しかった。
「まあ、よくある話だよ。マリア嬢も君を思っての事だ。立派なレディになれるよう、更に励むといい。」
「え……、あ、あの……」
シルヴィオはにこりとしながら立ち去って行く。ジュリアは、『あれ?おかしいな』という顔をしていた。それもそのはず……
『……本物の王妃教育は、こんなものではなくってよ。相手がわたくしで良かったですわね、ジュリアさん。』
――…今の彼女よりもずっと幼い頃から、王宮内で行われていたそれは……泣こうが喚こうが容赦のない、過酷な「訓練」であった。いやむしろ、泣いたり喚いたりすれば、もっと辛い指導が待っている――。
そういう、華やかさや優越感とは無縁の、実に厳しい世界だったのだ。
きちんと周りの見えている王子や社交界にいる人間ならば、みな知っている事である。知らぬは、バカ王子と平民だけ……
「さて!シルヴィオ殿下から励ましのお言葉も頂戴した事ですし……。張り切って参りましょうねえ、聖女様?」
あぁ、腕が鳴る。どうやらこのお方は、意地悪令嬢がご所望のよう。ならばそれにお応えして、もっと厳しく躾けて差し上げなければ失礼というもの……。
ニヤリと浮かべたその笑顔がよほど恐ろしかったのか、王太子もいなくなったというのに、ジュリアは少しだけ本当に泣きべそを掻いていた。
うなる教鞭、漏れる泣き言……
かくして、今日もジュリアへの教育は続く――。
「……マリア様。そこまで厳しくなさらなくとも……。」
様子を見にやって来たエレナが、そう声を掛けて来る。この程度、自分たちが受けて来たものに比べれば、まだまだ序の口なのだが――その心は『王家に入らない彼女には過分では?』という事らしい。
「そんな事はありませんわ。平民とて、作法とは身に付けておいて損の無いものです。特に彼女の場合、下級貴族や大きな商家から求婚されても、おかしくはないでしょうし……」
そうだ。ジュリアならば本来、こんな事をしなくても評判が広まっただろうから、いつかそういう者に見初められる事になったと思う。良い家に嫁げる期待は、十分にあったのだ。……彼女がその程度で満足したかどうかは、別として。
この先だって、事の次第によっては、どんな人生が待っているか分からない。それなりに良い暮らしが出来る可能性も、まだ残っているのである。その時、今の教育は役に立つはず。
「……それもまあ、醜聞が無ければ。ですけれど。」
「ホホホ……」
全ては、彼女が何を考え選択するか。それに掛かっている。
「では、ウォーキングをあと三十分!頭の上の本を落としたら、やり直しです‼」
「エエー!?……もぉいやああああ〰〰!!!」
本日も、役目を終えたマリアローザが馬車へと乗り込んだ。
「このままお屋敷へ戻られます?」
御者台から、執事のリノが尋ねて来る。
「いいえ。オーナーから連絡があったでしょう。宝飾店まで行って頂戴。」
「かしこまりました~。」
頼んでいた“光る石”についての調査が、ようやく終わったらしい。それを早速聞きに行く。どうやら、首尾は上々との事である。楽しみだ。――それはさておき。
……今日も、大変だった。
ジュリアは根性だけはあるものの、向上心が無い。『とりあえずやればいいんだろう』という具合で、やっつけのように取り組む毎日。そりゃあ、身に付くものなどありはしない。それでも心を鬼にして叩き込み、ようやく形になって来たという有様である。……根性はあるのだから、やろうと思えば出来るのに。
彼女は打っても響かない太鼓……。何かを思い出す。
そうだ、元王太子の恋人だ!!あれとまあ、そっくりである。あの子もまた、向上心が無かった。違う点があるとすれば、教育を施されているという意識があるか無いか。あと、したたかさの有無。それから、貴族と平民の差くらいのものだった。
共通するのは、楽して王妃になろうという、甘い考え――。
『ここまで付き合ってみて分かったのは、ジュリアさんはあまり賢くはないという事。自ら悪巧みをするようなタイプではなさそうね。教える事は、やる気さえあれば、出来るようになるだろうという事……』
マリアローザが物思いにふけっていると、王都の繁華街にある宝飾店にはすぐに到着した。
「――いくつか、見付けて参りましたよ。」
奥にある個室の応接セットで、いつものように人の良さそうな笑顔をしたオーナーが話し始める。
「こちらにご用意いたしましたのが、太陽光に反応して光ると言われている石の数々でございます。」
そう言って、彼はケースに入ったいくつかの見慣れた宝石たちを差し出す。……どれも、元からキラキラと光り輝く美しい石ばかり。
これらは、陽の光によって色を変えたり、わずかに発光したりする性質のある宝石である。
「生憎と本日は、日が暮れてしまいましたからねえ。光っているところを実際にお見せする事が出来ず…」
「オーナー。」
マリアローザは、その説明の途中で話を遮った。
「…申し訳ないのだけれど、このくらいでしたらわたくしも存じていてよ。貴族たるもの、その程度の知識は持っておりませんと。」
「ああ、そうでございましたね。これは大変なご無礼を。」
それはそうだ。日夜宝石を身に着けているような貴族にとって、その知識が無いという事は目利きも効かないという事である。下手をすれば、堂々と偽物を着けて人前に出る事にだってなってしまう。そんな事は末代までの恥。――…それに伴い、太陽の下で光る宝石の事だって、広く知られた話なのだ。そういう物で着飾る女性であれば、なおの事。
「それにね、オーナー。話がきちんと伝わっていないのかもしれませんけれど、探しているのは“宝石”ではありませんの。」
「存じておりますとも。“普通の石ころ”をお求めなのでしたね。こちらは少しばかり余興と申しますか、小手調べのようなものでございますよ。伺った条件に近い物ですと、このような物がありました。」
はは、と笑うオーナーに、どうやら少々遊ばれていたらしい。それでは本題に入ろうかと、彼は別の石を取り出す。
それはさっき出された宝石たちとは違う、何の変哲もない路傍の石ころにしか見えなかった。
「……これが、そうなの⁇」
「ええ。こちらは某国の一部地域に落ちております、何という事はない石でして。良く晴れた日に暗い場所へ持って行くと光る――という事で、庶民の子供のおもちゃになっているようですね。」
「子供のおもちゃねえ……」
マリアローザは、一つ摘んで持ち上げてみる。ふむ。どこからどう見ても、ただの石。……こんなものが本当に光るのだろうか?
「何分、宝石ではございませんもので。探すのには苦労いたしました。色々と伝手を当たりまして、ようやく辿り着いたのでございます。わたくしも試しに陽に晒してみたのですが、確かに光りましたよ。少しの間でしたが。」
オーナーは自信を持って説明する。だが、そう言われても実際に見てみるまでは分からない。
「分かりました。ご苦労様。これは、買い取らせて頂きますわね。そちらの言い値で結構よ。」
「お買い上げ、ありがとうございます。」
彼はにんまりと、今日一番の笑顔を見せた。
本人による検証はまだの、単なる石ころ……。それに破格の値が付く。付き添っていたリノは心配になり、こそりと尋ねてみた。
「……ちょっと!いいんですか?こんな物にそんなに支払って……」
「いいのよ。」
彼女は平然と答える。
光るというのが嘘であれば、オーナーが信用を失うだけの事。マリアローザとの取り引きは、今後一切無くなるという事だ。彼は、姑息な手段で荒稼ぎしようとするような、浅い人間ではない。それに――
これはほぼ、『調査費用』なのである。
例え、実際はこれとは別の石であっても構わない。重要だったのは、“光る石”が存在するという事実。そしてその現物を確認する事だった。
これで目的はまた一つ、達成された。こちらのカードは揃いつつある。
「後は、モスコン男爵と“聖女様”の嘘を暴く方法ね……。ねえ、オーナー。わたくし、考えている事があるのだけれど……聞いてくださる??」
「ええ、もちろんですとも。どのようなお話です⁇」
「実は――」
そこで、マリアローザは密かに温めていた案を披露する。リノは怪訝な顔をし、オーナーは興味深そうに聞いていた。
「……なるほど……。それでしたら、わたくしよりもベルティーニ伯爵を頼られてみてはいかがでしょう?」
「エ゛ッ⁉」
リノがおかしな声で反応し、マリアローザとオーナーは彼の方を向く。その口を自分の手で塞いだのを見ると、二人は会話に戻った。
「ベルティーニ伯爵様に?」
「はい。お隣テラキアーロでは、最近それが流行していましてね。特に、大掛かりな仕掛けが大ウケしているようですよ。きっと、その道に詳しい方をご紹介頂けるのではないかと。」
ふむ、とマリアローザは考え込んだ。ベルティーニ伯爵ことフィオレンツォとは、今回の計画を共有している間柄でもあるし……。どこか胡散臭い事を除けば、秘密に関しては問題ない。
それに、オーナーの推薦とあらば、間違いはないだろう。
「参考になりましたわ、オーナー!それでは、何かあればまた。頼みますわね。」
「こちらこそ。またのお越しを、お待ちしております。」
宝飾店一同に見送られながら、マリアローザは帰途に就いた。
……フィオレンツォならば、わざわざ探す必要も呼び寄せる必要もない。屋敷にいれば、どうせすぐにふらりと現れ…
「あっ。わたくし、近頃は王宮へ通っているのだったわ!」
聖女・ジュリアの教育のために……。不覚。
まあいい。屋敷にいる使用人たちに言付けを頼めば済む事だし、何とでも出来る。
そんな事より、計画の総仕上げについてだ。
沢山の観衆が見守る中、皆があっと驚く“奇跡”をご覧に入れようではないか。「真の偽聖女・エレナ様」によって――。
そう、彼女らが起こしたようなチンケな奇跡ではなく、本物の奇跡を。である。
「…………その時の事を考えると、ゾクゾクしますわね……!」
馬車の中で一人、マリアローザは恍惚とした笑みを浮かべていた。
――後日。
朝から非常にいい天気の日に試してみたところ、あの石は本当に光った。
ほんの少しの間だけ。




