24.聖女探訪~聖地巡礼~
「いや~あ、やっぱり地方はいいですよねえ~~!のびのび出来て‼」
ガタガタと酷く揺れる馬車の中、執事のリノが窓の外を眺めながらはしゃいでいる。見える景色は、どこまでも続くのどかな田園風景だ。
「あらそう。それなら、ここに置いて行っても良いのだけれど。それとも、今すぐ荷物ごと放り出した方がよろしくて?」
にっこりと微笑みながら、主人であるマリアローザは尋ねた。するとリノのはしゃぎっぷりは物の見事にしぼみ、笑顔が固まった。
「……や、やだなぁ~、ちょっと浮かれただけじゃないですかーぁ。ホラ、普段は忙しくて旅行なんて行けませんし…」
「ならば永い暇を与えましょうか⁇」
「あ……ははは……。マリアローザ様、今日はいつも以上に冗談のキレが鋭いですね〰〰!」
「わたくし本気よ。」
向かい合って座る狭い車内に、気まずく重い空気が垂れ込める……。
「も……。申し訳ございませんでしたァッ!!」
居たたまれなくなったリノは、座ったままで勢いよく頭を下げる。体は腰から折り畳まれ、その胸は己の腿にぴったりとくっついていた。……何て体が柔らかいのだろう……。それを見たマリアローザは、そう思った。
こうして謝らせる事、何度目になるだろうか。そろそろ身に染みた頃だろうから、この辺で許してやるとしよう。
……大事な客が来ている時に、飛び入りの客を通してしまうという、愚行を……。
「屋敷へ戻ったら、心機一転しておやりなさい。例えどれだけ見知った間柄でも、突然の来客には神経を使う事。人はいつ、どこで、どう主義主張が変わるか分かりません。特に、わたくしたちのような地位や財産のある者には、様々な人間が近付こうとするものですからね。」
許す前にと、くどくどとしたマリアローザのお説教が始まった。
「それ以前に、元々の本心ですら分かったものではないわ。相手の安全安心を過信しない事です。いいわね?」
頭を垂れ、リノは畏まったように聞いている……
「……ハイ。肝に銘じます。マリアローザ様も今、私の事を放り棄てようとしましたしねぇ……。危ない危ない。」
と思いきや、まだ減らず口を叩けるとは見上げた根性である。その度胸だけは高く買おう、とマリアローザは思った。
「よし。ジーナ、窓からリノをつまみ出しておしまい!」
「承知いたしました。直ちに。」
「アーーーーッ嘘です冗談ですってー!ごめんなさ〰〰い!!」
彼と同じく連れて来ている侍女・ジーナが、本当に馬車の窓を全開にする。そこでようやく、リノは完全敗北宣言をしたのだった。
そうこうしている間にも、馬車はどんどん先へと進む。
マリアローザたちがやって来たのは、王都から馬車で七日ほど掛かる農耕地帯だ。家屋や店などがところどころ固まるようにしてある以外、そのほとんどは大規模な畑が広がる場所。――いわゆる、田舎である。
「マリアお嬢様。そろそろ到着のようですわ。」
外を見たジーナが告げる。この寂れた…もとい素朴な土地が、今回の旅の最初の目的地である。
「それでは始めましょうか。“聖女様”が辿った地の、調査を!」
間もなく、一行を乗せた馬車はとある建物の前で止まった。マリアローザは下車すると、その場で見上げる。
『……ボロボロね。こんな所に、まともな医者などいるのかしら……。』
これは、この辺りで唯一の病院らしい。いかにも金が無いという雰囲気がだだ洩れている。
ここの地域全体も、正直言って経済的な水準は低そうだ。典型的な貧乏農家の多い村、といったところだろうか。
「ごめんください!」
リノがコンコンと扉を叩いて、病院の中へ声を掛ける。少しすると、キイと音を立てて向こう側からそれが開かれた。
「はい……何か??」
看護師だろうか、ただのボランティアなのだろうか。あまり綺麗とは言えない格好の女性が、顔を出す。そして、訝し気な表情をした。
気にせずリノは話を進める。
「こちらの施設に、聖女様が訪れたと伺ったのですが――…」
「…ええ、そうですけど……。あなた方は?」
さっきよりもより怪しい者を見る目付きで、女性は尋ね返した。それも仕方の無い事だろう。この辺では見ない顔で、明らかな余所者だ。その上、こんな場所には不似合いな貴族らしき風貌……。一体何が来たのだろうかと警戒しても、おかしくはない。
するとリノは、大袈裟なほどに感激してみせた。
「…やはりそうでしたか!お嬢様ッ、ここがその病院だそうです‼」
少し離れているマリアローザたちの方へ手を振ると、彼は女性の方に向き直った。
「――実は我が家のお嬢様は、王都で辛い目に遭われまして……。傷心を癒そうと、聖女様の軌跡を巡る旅を始めたところなのでございます。」
「はあ……」
「何でも、聖女様は奇跡を起こされたそうじゃないですか!ならばその足跡を辿れば、きっとご利益があるのではと思った次第なのです。」
王都で辛い目に遭った令嬢……という事にされた。あながち、間違ってはいない。
時にはほろりと泣くような真似までして、リノは戸惑う女性にペラペラとある事無い事を話している。……よくもまあ、次から次へとあれだけ出て来るものだ。呆れを通り越して感心すら覚えてしまう。
だが――
「……少々説明的で、胡散臭くないかしら?」
心配するようにマリアローザは呟いた。しかし向こうでは、相手の女性が意外にもその話に納得したようである。
「そうなんですね。でも、王都というと……今、聖女様がいらっしゃると聞いたような……⁇」
「よくご存知で!……しかし、しがないいち貴族では、あの方にお目通りする事は叶わず……。こうして聖女様が訪れたという地、いわば“聖地”を巡礼する事にしたのです‼」
下級貴族という設定が新たに加わった。というか……
今度は、あまりにも演劇染みてやいないだろうか。訳を知る者が見ても、怪し過ぎる。そう思ったものの、やはり相手は納得したらしい。あっさりと病院の中へ案内してくれた。……彼の主人が言うのも何だが、ここのセキュリティは大丈夫か?
――そうしていざ入ってみると、中もやはりかなり傷んでいる。ここの領主は一体何をやっているのだ、とマリアローザは内心憤慨した。
「あのう。お医者様は、どちらに?」
ここからは、彼女が自分で案内の女性に尋ねてみる。
「お医者様ですか?たぶん往診に行っていると……。その途中で話し込んでいたりもするので、いつ帰って来るかは分かりませんねぇ。何せ、高齢でもありますから。」
「…あら、まあ……」
往診はいいが、病院をほったらかしにするとは……。しかも、『帰り時間が遅くなっても仕方がない』と言われてしまうほどの高齢……
本当に、大丈夫なのか??
「――ここです。ここに運ばれて来た患者に、聖女様が不思議な力で治療をしたんですよ。」
着いたのは、硬そうなベッドが置いてある粗末な大部屋である。パラパラとだが、そのいくつかには他の患者もいた。
「あの時も、先生は外出中で。私が一応手当てをしたんですが、出血がかなり酷くて……。なかなか止まらず焦りました。」
「出血……という事は、患者は怪我人だったのですね?」
「ええ。農作業中に、鎌で腕をざっくりといってしまったとかで。」
そこへ聖女が現れた、と……。例の噂通りだ。
更に詳しく聞き出すため、“王都で酷い目に遭った下級貴族令嬢”という体のマリアローザは、聖女様ファンを演じる。
「それで、どんな風に治療されたのです⁇わたくし、とても興味がありますの!」
「どんな風?……こう、患部に手を当てて……」
「何か、光ったりとかは⁉」
「ひ、光る…⁇いえ、何かブツブツ言いながら……あっ!天から力を借りるんだとかで、手を上にかざしたりしてましたよ。確か……」
手を上に……。お祈りとか、儀式的な意味合いにも見えるが――。
すると、向こうのベッドにいた患者から声が掛かった。
「聖女様の話かい⁇ありゃあ凄かったなあ……。」
「まあ!貴方もご覧になったのですか?」
「ああ。……はじめは眉唾物と思ってたんだが、止まらなかった血が本当に止まってさ!びっくりしたよ、本当に。」
怪我の当事者以外にも、目撃者が少なくとも二人はいる……。その目の前で、治してみせた。
ふむ、とマリアローザは考え込む。それから笑顔で、一つパチンと手を叩いた。
「お怪我をされた方は、今どちらに?その方にも是非、お話を伺いたいわ。実際に奇跡が起こった体験談を!」
件の怪我人、農夫はすでに家に戻っているらしく、その場所を教えて貰った。
ちなみに。さっき院内を案内してくれた女性は看護師では無く、ただの手伝いだそうだ。人がいないのを心配して世話を焼いている、ただの近所の人だった。
それはともかくとして。
「…――だからさ、ここをグーーっとやって、ここにハア――ってやってさぁ。そしたらピターッと!止まったんだよ、血が!!」
「…………うん??」
マリアローザは笑顔を張り付け、首を傾げた。農夫は興奮したように説明してくれるのだが、いかんせん――
擬音が多い。
「だから!ここをこうしてだよ、ここにこう、ウワーッと力を込めたんだって!!そしたらここがギュワーッてしてさあ!オオーってなって…」
まだ一応の包帯を巻いたままの腕も使い、彼は身振り手振りで話す。そしてやっぱり擬音の洪水……。
「あ、ありがとうございます。ところで……怪我の箇所を見せて頂いても⁇聖女様が力を注がれた場所を、じっくりとこの目に焼き付けたいのですけれど。」
「ああ、いいよ!ホレ‼」
農夫はするすると包帯を解き、得意気に傷痕を見せてくれた。マリアローザは言葉通りに、それをじっくりと観察する。
「なるほど……。」
――それを皮切りに、他の地の病院と患者も順々に巡って行った。
「聖女様は、こうして怪我をした足を持って――」
「聖なる力っていうの?それが分かったんだ‼ドクドクしてさあ!」
「触るだけなんですよ。信じられます⁇いや~、凄い体験をしました……」
「聖女様がいなければどうなっていた事か!」
「―――」
ガタゴトと馬車に揺られながら、マリアローザは窓の外をずっと眺めている。
「……なーんか、ガッカリでしたね〰〰。」
うんざりとしたようにリノが言った。
「怪我人の治療をしたっていうから、一体どんな大怪我が飛び出すのかと思ったら……ちょっと深く切った程度の切り傷!それも、一番大きな怪我が結局、最初に会った“鎌で切った農夫”なんですもん。肩透かしもいいところですよ。」
「リノ!不謹慎ですよ、マリアお嬢様の前で。口を慎みなさい。」
ジーナが彼を叱った。
「でも、ジーナさんだって思ったでしょう⁇“腕が千切れたー!”とか、“腹に穴が開いたー!”とか、そういう命の危険があるような、大怪我を期待したのに……。あ~あ。ホント、がっかりです。」
本当に不謹慎である。が……
確かに、彼の言う通りではあった。
これまでに回って来た病院で確認した症例は、その全てが大した事の無い怪我だったのである。それこそ、『聖女様の奇跡』など特に必要とはしないような――…。
だがさすがに「唾でも付けときゃ治る」よりは重傷で、患者選びは絶妙な塩梅と言えた。
「それに……。行程を聞いて知ってはいましたけど、何なんですかね。この滅茶苦茶な足取りは??」
リノの愚痴は止まらない。
「真っ直ぐ王都へ向かえばいいのに!南へ行ったかと思えば、東へ行ったり……。それからまた南に戻ったりして、迷子か‼って言いたくなるんですがっ!?」
地図をグシャッと握り締めながら、彼は吠えた。
この旅では、聖女が辿ったという道をその順番通りに巡っている。王都へ来るまでにいくつか病院を回っていると言うから、それまでの道のりの中で立ち寄ったものだとばかり、思っていたのに……。蓋を開けてみれば、あっちこっちと忙しなく動き回っていたようだ。
本当に、追い掛ける身にもなって欲しい。……誰も頼んでなどいないけれど。
「ところでジーナ。これまで見て来て、何か気付いた事を言ってごらんなさい。」
不意にマリアローザが侍女に尋ねた。彼女は驚く様子も無く、すぐに淡々と答える。
「はい、そうでございますね……。皆様のお話を伺うに、聖女様の行った事は――圧迫止血の類いであるように思いました。」
「ええそうね。同感だわ。」
そう返したマリアローザは、にっこりと笑う。
擬音ばかりが目立ったが、重要なのは身振り手振りの方だった。彼らはみな患部を上げるような動作をし、聖女が触ったという場所は、腕や足の付け根にある大きな血管の辺りだったのだ。恐らくそこを、強く圧迫したはず――…
するとリノが、戸惑いながらも噛み付いた。
「えっ⁉……確かに、私もそうじゃないかなとは思いましたけど……。普通、そんなのに騙されます⁇圧迫して止血するなんて、常識じゃないですか!」
「騙されるのよ。だって、それは貴方がどこかで知識を得たから、常識なのであって。その機会が無ければ、ただの不思議な治療行為ですわよ。」
病院のある場所は、どこも洗練などされていない田舎ばかりだった。恐らく住人の学の程度は低い。止血の方法も、きちんとは知らないような者ばかりなのだろう。
「それを医者が行えば医療だと思い込み、“聖女”が行えば奇跡だと思い込む――。知識が無ければ、人とはそういうものよ。」
そして巡った病院はそのどれもが粗末で、まともな医療が期待出来るような所ではなかった。医者などもしかり。
そこにいるのがヤブ医者ならば、その目の前で。それなりの医者ならば、いない隙を狙って……。それが可能なのが、貧しく寂れた田舎なのである。
“聖なる力”をアピールするなら、大都市の病院で披露した方が良い。だがそうしなかったのは、聖女とは貧しい人々を助けるものだから――。そう言われれば、納得させられそうにもなる。
だが彼らの本音とは、本物の医療従事者に会いたくなかったからという事に違いない。
――全ては、奇跡があると、人々に信じ込ませるため――。
「……だから、気になるのは“重い病に苦しむ人を癒した”と言うお話ね。これは最後にとっておくとして……。その前に、聖女様の生まれ育った地へと向かいましょうか。」
さて。聖女を名乗る人物は、生まれ故郷ではどんな風に言われているのか――…。
そして、ただの一般庶民だった彼女が、どうしてモスコン男爵に見出されたのか。それを探ってみよう。
すでに辟易としている執事を連れ、一行は新たな目的地を目指した。




