22.聖女サマの云う事にゃ
――「王宮に、聖女が現れた」らしい。
はじめは王太子の冗談かと思ったのだが……どうやらそうでは無いようだ。
さて。
一体何から聞くべきか。一から十まで分からない事だらけである。どれが『一』でどれが『二』なのか、それすら全く分からない。まるで見知らぬ国で迷子にでもなったかのような心境だ。
「それでは、順を追って説明しようか。」
“聖女”なるものが何なのか、それについては一先ず置いておくらしい。王太子・シルヴィオは、そうして話を始めた。
「事の発端は、およそひと月前。地方住まいの“モスコン男爵”が突然王宮へやって来て、陛下に謁見を求めた事にある。」
彼は、「どうしても国王に伝えなければならない事がある」のだと言う。その際、親子ほど年の差のある見知らぬ若い女を伴っていた。
モスコン男爵には妻がいるが、それは中年である彼と同年代の婦人であり、彼女ではない。また、男爵には子がおらず、娘でもない。少なくとも、妻が産んだ子供ではなかった。
では、その女は一体誰なんだ?という話になる。いくら貴族本人の身元が分かっていようと、素性の知れない人間を国王との謁見の場に連れて行くなど、言語道断。愛人なら愛人で、大問題である。
すると男爵は――
“「ええ、実は私、“聖女様”を見付けてしまったのです!これは是非とも陛下のもとへお連れせねばと思い、こちらへ参った次第なのでございます」”
王宮の高官たちの前で、堂々とそう告げたという。
「…――ちょっとお待ちを。」
話の途中で、マリアローザが一時停止を要求した。頭痛でも我慢しているかのように、眉間に深い皺を寄せながら……。
「男爵は、医者に掛かった方がよろしいかと思いますわ。そういった妄想を王宮に持ち込んでしまう時点で、認識能力に問題ありと判断します。ここまでの行動力を見せたなら、後々危険な事を仕出かす可能性が大いにあるかと。」
彼女はずばりと斬り捨てる。すると王太子は、また困ったような笑みを浮かべた。
「……うん、僕も概ね君の意見に同意するよ。通常なら、そうして事を収めていただろうね。ただ――…」
モスコン男爵は確かに狂っていて、別の意味では非常に正常だった。
「もしも、連れているのが本当に聖女かもしれなかったら、どうする?」
「…………!?」
シルヴィオはそう言って、マリアローザを真正面から見据える。それはどう見ても、冗談を言っている顔ではなかった。彼は真剣に、そんな世迷言を言っているのだ。
「な……何をおっしゃっているのですか??殿下、お気を確かに!」
マリアローザは思わず声を大きくしてしまう。だって、そうしたくもなるではないか。第二王子はまともな人間のはずだった。だからこそ、第一バカ王子から王太子の座をすげ替えたのだから……。
「大丈夫。僕は正気だよ、マリア嬢。」
「正気では無い方ほど、そう言うのです‼」
……これは、王太子の方を先に医者に診せた方がいいのかもしれない……とマリアローザが思った時、それまで大人しく話を聞いていたエレナが口を開いた。
「マリア様、本当に心配は要りませんのよ。とにかく、殿下のお話の続きを聞いて差し上げてくださいな。」
彼女に窘められ、マリアローザは昂った気を落ち着けた。そして、今度こそお茶を胃へと送り込む。
「――取り乱して申し訳ございません、殿下。」
「いや……。君がそこまで心配する気持ちも、よく理解出来るよ。……その節は、兄が大変苦労を掛けたね。」
長年あれに晒されれば、その弟を警戒するのも無理はないだろう。シルヴィオはそう思った。
「すでに終わった事ですわ。それより、続きをどうぞ。――あっ。失礼ですが、食事を口にしながら伺っても?わたくし今日は少々糖分が足りなくて……気が短くなっているようですの。」
「どうぞ。好きにやってくれ。」
それでは、閑話休題と行こう。
――高官たちは皆ポカーンとしながら、男爵の話す事を聞いていたらしい。当然だろう。きちんとした教育を受けていれば、それが正常な反応である。だから国王に話を通す事も無く、門前払いをした。しかし……
“「信じられないのは仕方ありません。ですので、今からその証拠をご覧に入れましょう!」”――
「……証拠⁇」
またもや眉をひそめ、マリアローザは再び話の途中で口を挟む。一口かじったパンを急いで飲み込んでまで。
するとシルヴィオとエレナは同時にこくりと頷いた。
「男爵は、“聖女の奇跡を見せる”と言ったそうだ。」
「き……キセ…キ…………とは??」
マリアローザは目をしばしばとさせた。再度飛び出す、謎の言葉……。いちいち反応していては話が進まない、と分かりつつも、どうしても口に出したくなってしまう。
「その辺りに落ちていた石を拾って、“今からこれを光らせる”とおっしゃったそうですわ。」
「い……石を光らせる事と聖女に、一体何の関係性が……???」
「さあ……。“石が光るなんて不思議でしょう?”という事なのでは⁇」
三人は「うーむ」と考え込んだ。しかしとりあえず、話を先へと進める事にする。
「その日はとても天気のいい日でね。ここでは分かり難いからと、男爵は暗室を要求したらしい。」
面倒な事になったなと思いつつも、高官たちは『満足して帰ってくれるなら、それくらいは付き合ってやるか』とその二人を暗い部屋へと連れて行った。そうして――…
「……“聖女”なる人物が、見事石を光らせてみせた……という事ですわね?」
「その通り。」
ふむ、とマリアローザは考える。
「十中八九、トリックでしょう。それは。」
「恐らくはね。」
「では、なぜ殿下方が悩まれるような事態に⁇」
「一つは、それを見て信じた高官がいた事。そしてもう一つは、その場でトリックだと証明出来る者がいなかった事。それによって、一先ず陛下にお伝えし、判断を仰ごうという事になったからだよ。」
彼が連れて来たのは、うら若い娘――。とりあえず危険は無いだろうという事で、国王は一度その者に会ってみる事にした。
御前にやって来たのは、何の変哲もなさそうな見目の良い、ただの可愛らしい娘である。元は一般庶民の娘で、子のいなかったモスコン男爵は、その出会いを運命の導きだと思ったという。そして「聖なる力」を持った彼女を、養女にしたそうだ。
「…う……ん……⁇ただ石を光らせただけで、“聖なる力”……。モスコン男爵は、頭の中にお花でも咲いていらっしゃるのかしら??」
「ところがマリア様。それがそうとも言い切れないのですわ。」
「どういう意味です?」
また頭が痛くなって来たマリアローザに、エレナが真顔で返す。
「“聖女様”は、石を光らせただけでは無かったのです。王宮へ来るまでに、いくつか平民の病院を回っているそうなの。そこで――」
怪我人を治したり、重い病に苦しむ人を癒したりしたらしい。それを、多くの人々が目にしている。
「……予め、色々と準備をして来ているのね……」
マリアローザはぼそりと呟く。その時シルヴィオは、もう一つ思い出した。
「あ!そうだ。あと、雨を予知したりもしたそうだよ。」
「雨?」
「そう。“もうすぐ雨が降る”と言うと、その後本当に雨が降って来たらしい。」
「…………。」
その結果、市井ではじわじわと「聖女様」の人気が広がっているそうなのだ。中には、すでに信者と呼べるほどの者までいる。
――このアルベロヴェッタ王国には、国教が無い。何を信じても、それは個人の自由である。決まった信仰が無いからこそ、人々も受け入れやすかったのだろう。
そうして満を持して王宮へとやって来た彼女は、国王の前でこう宣った。
“「この国に、もうすぐ厄災が襲って来ます!それから王国を守れるのは、あたしだけなんです!!」”
「その、“厄災”とは?」
マリアローザは少々きつい眼差しで王太子らに尋ねる。
「分からない。具体的な事は言っていない。」
「そうですか。お続けください。」
それを聞いた高官らは、動揺した。信じた者も、そうでない者も……。
“この大法螺吹きが‼”と言ってやりたいが、それを証明出来るものが無い。嘘だと思うが、もし本当だったら……?そう考え始めると止まらなくなる。
国王も、その扱いには困り果ててしまった。
そんな中、モスコン男爵の主張は更なる飛躍を見せたのである。
“「陛下!!何かあってからでは遅い。この国を守るためには、聖女の力が必要なのです!そして王国を守るのは、王族の務め……。どうか、この聖女を次代の王妃となさいますよう申し上げます!!」”
「――…なるほど。それが狙いというわけですわね。」
マリアローザは大きな溜息を吐いた。
何ともまどろっこしいやり方だ。モスコン男爵は、恐らく権力を欲したのだろう。子がいないのをいい事に、でっち上げた「聖女」を養女にし、それを王室へ送り込む……。そうして王家の縁者になろうという魂胆だ。それが実現すれば、男爵家の家格は上げざるを得ない。
そのために、この大掛かりな猿芝居を考え出したに違いない。
「それにしても…………また、男・爵・家!!」
マリアローザは苦悶で顔を歪める。
つい先日も、伯爵夫人の座に収まりたかった元男爵令嬢が、前夫人を殺めた事が分かって投獄されたばかり……。そして今度は、別の家とは言え、男爵自身が謀をしたようである。この国にまともな下級貴族はいないのか?
「男爵家といえば、最も位の低い貴族だからね。子爵家もそうだが、ハングリー精神に溢れた者が多いのだろう。」
「それは良い方向へ向けてこそ価値のある精神です。」
身も蓋もなく、一刀両断した。とりあえず下級貴族の野心については、後回しだ。
「それから、どうなりましたの?」
「どうもこうも……。一先ず結論は先送りだよ。真実が分かるまで、現状維持という事になった。」
やれやれという顔で、王太子は答える。それからやけくそのように話し出した。
「…だからね!僕らは探したよ、どこかにあるかもしれない“聖女”に関する記載をね‼(無いだろうけどね‼)それはもう、ありとあらゆる学者を当たったり、王室の禁書まで漁った!寝る間も惜しんで……。でもやっぱりありはしなかった!!」
カッと目を見開き、王太子は覚醒したようにまくし立てている。
「もうこの際っていう事で、異国の書物まで調べたんだよ!ねっ、エレナ!?」
「ええ、別大陸の物まで取り寄せましたわね。」
「でも、無いッッ!!」
一度噴出した愚痴は止まらない。シルヴィオとも付き合いは長いが、こんな勢いの彼はマリアローザも初めて見る。よほど鬱憤が溜まっているようだ……
「……それでも諦めずに、僕らは探したよ。そしてついに、見付けたんだ…………創作小説の中にね!!」
「――ハイッ、こちらがその書籍でございますわ‼」
いつの間に用意したのか、エレナが示した場所には小さな丸いテーブルが置かれ、その上には山と積まれた本が載っていた。……それは全て、確かに聖女が登場する『空想小説』だった……。
「…………そんな余計な事に追われて、僕ら二人は今、必要最低限の公務をするので手一杯でね……」
「政務の方はほとんど手付かずで、かなり不味い状態になっていますわ……」
急に動力を失ったかのように、二人の勢いはしぼんだ。というか、どちらもやつれてヘロヘロとしている。風に吹かれたら飛ばされて行ってしまいそうだ。
何となくテンションのおかしかった理由が分かった。恐らく本当に睡眠時間を削ってまで聖女の痕跡を探し、極度の寝不足で疲労困憊なのだろう。
こんな状態なのに、わざわざここまで足を運んだのか……。
「じ、侍従や側近にやらせれば良かったのでは⁇」
「……さっきも言ったように、王宮の中にも聖女を信じている者がいるから、捏造があると困る……。政務の方は、少し頼んだけれどね……」
「そ、それは、お気の毒に……。」
最後の気力を振り絞ったのか、シルヴィオは体を起こすと真面目な顔に戻った。
「……トリックを暴き、聖女ではない事を証明するのはたぶん、簡単だ。けれど、それでは収まらないかもしれない。」
「――…そうですわね……。これまで知る由が無かったとはいえ、先手を打たれ過ぎていますわ。」
男爵らのやり方は、大胆でありながらも巧妙だった。偶然か計算かは分からないが、聖女にはすでに“信者”が付いてしまっている。これはこちらにとって、かなりの痛手だ。仮に全てのからくりを明らかにし、それが存在しない事を証明したとしても、信者らは納得しないだろう。
――「王宮は真実を握り潰した!!」――とか何とか、言い出しかねない。
「……厄災がどうの、というのがまた厄介ですわね。」
「そうなんだ。曖昧だし、天災ならばいつでも起こり得る。偶然起きてしまったそれと、予言?…を結び付けられてしまうのが一番不味い。」
そんな事になれば、元々の信者はより強力に、更には新たな信者まで増えてしまう事は目に見えている。そうしたら本格的にお手上げだ。
「小さな天災にも要注意ですわ。“聖女様”のおかげでこの程度で済んだ……などと、いくらでも利用出来てしまいますから。」
「あぁ……そうですわね。何も無くても、“聖女様”のおかげ……」
溜息を吐きつつ相槌を打って、マリアローザも遠い目をした。これはなかなか頭が痛い。
「……殿下。いっその事、あの聖女様を側室にでもいたしましょうか?それでとりあえず収める、という方法もありますが……。」
エレナがシルヴィオに提案する。しかし彼は首を横に振った。
「面倒な事になる。それはしたくない。」
大方、男爵は第一王子のザマを見て、養女王妃化計画でも立てたのだろう。あの兄と一緒にされるのは面白くない。――それに。
彼らが要求しているのは、『王妃の座』……。
「ああ、シルヴィオ殿下は昔から一途でしたものねえ。ご馳走様です。」
「あらまあ!そうでしたの⁇いやですわ殿下ったら、もう……」
「二人とも。不敬罪に問われたいのかな?」
マリアローザの軽口にエレナが乗って来るというお約束に、シルヴィオは少しだけいつもの調子を取り戻した。
「それにしても。“聖女”、ねえ……」
山と積まれた小説を手に取り、マリアローザはいくつかパラパラとめくってみた。ふむ。それがどういう存在なのか、というのは何となく分かった。読み物としては面白い。ただ、これを現実世界で再現しようというのには……横転してしまう。
控え目に言って、いかれている。
「――さて。どうしたものかしらね。その“聖女様”方は。」
「えっ?もしかして、手を貸してくれるのかい⁉」
わざとらしく王太子が言う。マリアローザはじろりと二人を見た。
「……そのおつもりでこちらへいらしたのでしょう?」
「あはは。」
「うふふ。」
シルヴィオとエレナは、返事の代わりに笑っていた。
――しかし。二人のこんな姿を目の当たりにしておきながら、我関せずは寝覚めが悪い。それにおかしな者たちに王室へ入り込まれても、平穏な日常をぶち壊されそうで気掛かりだ。不吉の芽は早めに摘んでおくに越した事はないだろう。
そして、彼らが頼りに出来るのは、現状自分しかいない――
「まあいいですわ。わたくしもちょうど、小鳥たちが賑やか過ぎると思っていたところですの。体のいい断り文句になりましてよ。」
「さすがはマリア嬢!そう来ないとね。それで、どうする?」
「そうですわねえ――…」
王太子に問われ、マリアローザは少しの間考えを巡らせる。
「殿下のおっしゃった通り、まずは彼らのペテンを暴き白日の下に晒す事が必要です。けれどそれでは収まらないでしょうし、何よりそれだけでは詰まらない……」
そう言って、彼女はニヤリと笑う。
「向こうが偽の聖女を出して来たのなら、こちらも創り出しましょう。――“聖女・エレナ様”を、ね。」