21.「聖女」が王宮にやって来た
元王太子との婚約を破棄され、若くして隠居生活の身となった傷物令嬢の朝は――
遅い。
一人ベッドの中でうだうだしている間に昼前後の時刻となり、のそりと起き出す。
それからブランチと称し、自由気ままに食事を取って、その後また昼寝をしたり読書をしたり……。空腹になれば、今度はアフタヌーンティーの時間だ。
誰にも期待されていないのをいい事に、怠惰に生きる日々。他人の生活スタイルには全く合わせる気の無い時間軸で、彼女は生きている。
そんな日常を、マリアローザは送――
っているはずだった。
「……それで、彼は何て言ったと思います⁇“君との結婚は義務だから”って……。例えそうだとしても、言っていい事と悪い事がありますわよねえ!?」
そう言うなり、目の前の令嬢はハンカチで口元を覆いワッと泣き出した。
「わたくしもう、悔しくて悔しくて……。どうにかして、あの人に一泡吹かせてやりたいのです!何かいいアイディアはございませんか?マリアローザ様っ!!」
お茶の入ったカップを手にしたマリアローザは、困惑でぴくぴくとけいれんしそうになる眉を押し止めながら、微笑む。
『――…何故、そんな事をわたくしに尋ねるのかしら???』
現在時刻は、午前十時半。予定では、夢うつつでぬくぬくと寝具に包まれていたはずである。なのに、あまり親交があったわけでもない令嬢が突然押し掛けて来て、話を聞いて欲しいと乞う。訪問するならまずは約束を取り付けてから――と追い返してしまえばいいとお思いだろうが、そうもいかない理由があった。なぜなら……
そんな事をすれば、あっという間に訪問希望者で毎日の予定が全て埋まってしまうからである!!
「え――、マリアローザ様は大変ご多忙につきましてーぇ、本日はこの後、先約がございますー。申し訳ございませんが、日を改めてお出でくださいませー。」
マリアローザの屋敷の前。中と外を隔てる門の所で、執事のリノは全く心の籠っていない棒読みのセリフを吐き出した。そして一方的に話し終わると、彼はペコリとお辞儀をする。その目の前には、中へ入れてくれと群がる令嬢たちの姿が……。
彼女らは、一斉に落胆の声を漏らす。
「…それじゃあ、明日は⁇明日ならどうなんです??」
一人の令嬢が食い下がった。彼は困った『ように』へらりと笑う。
「それはお答えしかねますね~。明日のご予定は明日になるまではっきりといたしませんので、ハイ。」
「貴方、執事ですわよね⁉でしたら、今ここでお約束をさせてくださいませ!明後日以降でも構いませんわ!」
「あっ抜け駆けなんてずるい!わたくしだってお話を聞いて頂きたいのに‼」
なかなか帰ろうとしない令嬢たちは、敷地の外側で諍いを始める。「どの順番でマリアローザと面会するか」。それについて、ああでもないこうでもないと大騒ぎ。キャットファイト寸前の様相まで呈している。……そもそも面会自体、本人はするだなんて一言も言っていないのだが……。
とにかく、そんな光景を眺めているリノは、人形のように無機質な笑顔を張り付けていた。そしてそのまま再び口を開く。
「…………。大変心苦しいのですがマリアローザ様はご予定が詰まっておりまして(嘘)新規のお約束をさせて頂く事が困難でございます、またのお越しを。それでは皆様お気を付けてお帰りくださいませ〰〰!!」
ほとんど息継ぎもせず、彼は流れるように残りのセリフを吐いた。それから強制的に終わらせるようにして、ガシャーンと門を閉じる。
ふう。本日「は」これで一安心。今日も良い仕事をした。
ちなみに。今朝早くにやって来たあの令嬢は、その話を思う存分聞いてやったら気が済んだらしい。昼過ぎになって、ようやく帰ってくれた。その見送りの際、執事は後から集まって来た令嬢たちに捕まってしまったのだ。
それをのらりくらりとかわし、適当に追い返して……というのが、ここ最近の彼の日課である。
「……どうして、こんな事に……??」
大きな溜息を吐きながらテーブルに両肘を突き、マリアローザは頭痛のする頭を抱えた。
「そんなの決まってるじゃないですか~。皆さんご存知だからですよー、この間の一連の騒動を収めたのがマリアローザ様だ!って。」
リノはけろりと答える。
この間の騒動……。とある伯爵家がほぼ崩壊して、悪い噂のあった成金男爵はせっかく得た爵位も財産も全て失う事になった、というアレである。
「どうして‼ブラッチ男爵邸に乗り込んだのは王太子殿下だし、新聞にだってわたくしの名はどこにも載っていなかったはずよ!?」
「あー、それはあれですねー。ブラッチ男爵に対する被害届を取りまとめる際、各家に自ら出向かれたじゃないですかぁ。それから無事に慰謝料を手にした方々が、色々な所で“マリアローザ様のおかげ”って吹聴して回ってるんですよね~。」
「不覚ッ!!」
マリアローザはテーブルに突っ伏した。
確かに、説得のため自ら各家を回った。出戻った娘が男爵に傷付けられたという事は、あまり公にはしたくない話だろう。被害届を出そうと言っても、躊躇するに違いない。そう簡単には首を縦に振ってくれない事が分かっていたからこそ、他人には任せずそうするしかなかったのだ。
「……わたくしが関わっている事は内密にするよう、釘を刺しておくべきだったかしら……。けれど‼こんな事になるだなんて、一体誰が予想したと言うの⁇わたくしだってただの人間よ⁉未来の予知なんて、出来るわけがないでしょうっ!!」
彼女は両手で拳を作り、ドンとテーブルを叩く。悠々自適で自堕落な生活を邪魔されたマリアローザは、珍しく恨み節で嘆いていた。
「マリアローザ様ぁ、くだを巻かれるならお酒をお持ちいたしますー??」
「わたくしを酔わせる酒など無くってよ‼」
……まあ、昼間から酒でも飲みたい気分ではあるが……。
ただ、人を呼び寄せている理由は、今の話だけが全てでは無かった。
「――ねえ、お聞きになった⁇」
「マルカート伯爵令嬢の事でしょう?」
「そう!異母妹じゃなくて、アリーチェ様の方の事よ‼」
「隣国の侯爵様のところへ輿入れですって~~!羨ましいですわあ!」
「でも、マルカートにそんな伝手などがあったのでしょうか⁇」
「あるわけないじゃない!元からほとんど没落していたようなものだもの。」
「じゃあ、どうやって……」
「なんでも――」
…………「マリアローザ様が、お世話なさったそうよ‼」…………
困り事――特に貴族における男女間のトラブルは、マリアローザに頼れば解決してくれる。そういう認識が今、社交界の中では爆発的に広がっていた。
それは彼女自身が、元王太子との婚約破棄劇を人前で派手に披露した事にも関係している。あれを見た後での、今度の騒動……。人々が、特に令嬢たちがマリアローザに強い信頼を寄せるのは、必然の事であった。
「…………全て無かった事にはならないかしら。」
「無理っすねー。」
憎たらしいほどに、バッサリと斬ってくれる執事だ。しかし、日々押し寄せる来客の対応をしているのは彼だから、一番いい迷惑を被っているのはリノである。
それを思うと、マリアローザはもう何も言えなかった。
「――失礼いたします、マリアお嬢様。ご冗談はその辺りになさって、お食事の方はいかがいたしますか?」
タイミングを見計らい、侍女のジーナが声を掛けて来た。そうだった。あの令嬢の話を聞き続ける事、数時間。時刻はすでに昼食時を過ぎている。食事は当然まだだった。
「そうねえ……。この後エレナ様たちがいらっしゃるから、すぐに済ませないと。何か軽くでいいわ。」
「かしこまりました。それでは、お客様がいらした際にも軽食をお出しいたしましょうか?」
「ええ、そうして頂戴。」
この後「先約がある」は、本当の事だった。これから、懇意にしている令嬢とその婚約者である王太子が来る事になっている。
マリアローザは急いで軽い食事を口にすると、二人を迎える準備をした。
明るい日差しの入る、客間。そこの窓際に置かれた丸いテーブルの上には、お茶やお菓子、普段こんな時には用意されていない軽食などが数多く並んでいる。
カップを手にしたマリアローザは、一つ景気でも付けるようにして、目の前の席に座る客人たちへと声を掛けた。
「――珍しいですわね、お二人揃ってこちらへいらっしゃるだなんて。お忙しいのではありませんの⁇」
二人の客人たちは、それぞれハキハキと答える。
「忙しいね、物凄く!」
「王族になる予定だった方をお一人失ってしまいましたので、最近しわ寄せが酷くなりましたわ‼」
言葉とは裏腹な、弾けるような笑顔……。向かいに座る王太子・シルヴィオとその婚約者である公爵令嬢・エレナは、いっそ清々しいほど明るく愚痴る。
……これは相当堪えているらしい。限界を突破した、というところだろうか……。
そして元王太子の存在は、二人の中ではすでに無いものとなっているらしい。もっとも、公務について言えば、彼は元々存在していないも同然だった。
「あらまあ……。外出なさるお時間を、休息に回した方がよろしかったのでは?この後まだご公務がおありでしょう。」
彼らはふらりとやって来たわけでは無く、ニ、三日前に「会いに行く」と連絡を寄越していた。失われた新王族(仮)としては、急にキャンセルされても察する事が出来たのに……。
すると二人は互いに顔を見合わせた。そしてエレナの方が、促すようにこくりと頷く。
「……そう言っていると、いつになるか分からなくなるから……。」
マリアローザに向け、神妙な面持ちでシルヴィオは口を開いた。
たかが遊びに来る事が、そこまで思い切らなければならないほどに忙殺されているのだろうか?――と、彼女は二人を不憫に思う。
そんなところへ、彼は話を続けた。
「少しでも早く、相談したくてね。」
「相談……」
なるほど、そういう事か。エレナはともかく、王太子までもがこの屋敷にやって来るだなんて珍しいわけである。彼の来訪は、初めての事ではなかっただろうか?
どうやら二人には、何か困り事があるらしい。
「王太子殿下からご相談頂けるなんて光栄ですわ。それで……一体何にお困りなのでしょう?愚痴でしたら、いくらでもお付き合いいたしますわよ。」
シルヴィオは弱ったような笑みを浮かべる。
「はは……愚痴で済めば、良かったのだけれどね……。実は――」
いつになく、深刻な表情。かなり本気で困っているようだ。マリアローザも思わず姿勢を正す。
王太子は勿体ぶるように溜めながら、両手の指を組んだ。そして怪談でも語るかのようにして、改めて口を開く。
「王宮に、現れたんだ。“ 聖 女 ”がね。」
客間の時間が、止まる。マリアローザの意識は、遥か遠く星の彼方へ飛ばされた。その間、体感で一、二分。
それからハッと我に返り、慌てて聞き返す。
「…せせせ、せぃせぃ…セイジョ……???」
あまりにも混乱したせいか、上手く口が回らない……。しどろもどろどころか、その言葉は何かのリズムを刻んでしまっていた。――…何十年、いや何百年先の未来では音楽として流行っていたりして……なんて一瞬思ったりもしたが、そんな事はどうでも良い。
真剣な顔の王太子から、不可思議な言葉が飛び出した。
“整除”……“聖所”……“政所”?……“整序”…………
「ホホ……嫌ですわ、わたくしったら。とんだ聞き違いをしてしまったようです。何が、現れたのですって??」
ようやく正気に戻ったのか、マリアローザは取り繕う。そして一つ、お茶を口に含んだ。一先ず喉を潤し落ち着こう、と……
「だからね、“聖女”が現れたんだ。“聖・な・る・女・性”!」
「ゴブォ!」
マリアローザはむせ、茶を吹いた。それからゴホゴホと少し咳き込む。そこへ侍女がサッとやって来て、素早くその口元を拭った。
……失態だ。いかにここにいるのが心の置けない者だけとは言え、人前で茶を吹くなどと貴族令嬢としてはあるまじき事……。しかも相手は、将来国王夫妻となる者たちである。最低限、礼儀は尽くさなければならないというのに……!
「し……失礼いたしました……」
「いや、気にしないでくれ。マリア嬢のせいではない。僕たちも、自分が何を言っているのか分からない。」
そう言いながら、シルヴィオは遠い目をしていた。つまりは、そういう事である。
「あのう、申し訳ございません。わたくし不勉強なようで……。大変恐縮なのですが、お教え願えますか?――我が国アルベロヴェッタに、“聖女伝説”なるものはございましたかしら。」
「無いよ。無いんだよ……。」
少々食い気味に王太子は答える。しかも、重要な事なので二度言った。
「……それって、要するに――…。“詐欺師”、ではなくて⁇」
「だろうね。」
「でしょうね。」
三人は、大きくて深い溜息を吐いた。
色恋にうつつを抜かした元王太子が去り、ようやく平穏が訪れたかと思いきや――
……欲望渦巻く王宮には、早くも新たな頭痛の種が現れたらしい。




