2.予定調和な婚約破棄
こうなるであろう事は、ある程度予想していた。
「マリアローザ!ここにいるソフィア嬢に対する数々の言動は、未来の王妃にあるまじき所業である‼よって貴様との契約も今日この時まで!王妃に相応しいのは、この可憐なソフィア嬢だ!私は今ここで、彼女との婚約を宣言する!!」
自分の婚約者であったはずの王太子・ロベルト。その傍らには、本来エスコートすべき自分ではなく、か弱そうな子爵令嬢が寄り添っている。そう、これはいわゆる婚約破棄の場面だ。
マリアローザは口元を扇子で隠し、溜息を吐いた。
『……契約、ね。』
まるでまだ婚約はしていないかのような口振りだ。
『この方ときたら、どうして――…』
こんなにも馬鹿、なのだろうか。まさかここまでだったとは……
侯爵令嬢、マリアローザ・ディ・フォリエ。
彼女は幼い頃、ここ『アルベロヴェッタ王国』の王太子の婚約者となった。ただ、手続きまでは済んでいたものの、正式に発表されるのは“令嬢の成人祝いの席”と決まっている。だからいくらその事実が広まっているとしても、表向きには確かに今は「まだ婚約者ではない」。
ちなみにだが、この国では貴族の子女が成人を迎える時、その家が中心となってその子のためだけにパーティーが催される。それは規則や習わしというよりも、家の名誉や見栄のような意味合いの方が大きい。そして彼女の場合、王太子の婚約者という事で王室が取り仕切る事になっていた。
……しかし。
マリアローザが成人となる18の誕生日を過ぎても、そのパーティーが開かれる気配は一向に無かった。
それは、婚約者であるロベルトがその開催に待ったをかけていたからだ。
本来ならば、大々的に執り行われて然るべきパーティー……。延期されるだなんて、異例中の異例の事である。
そんな事になったのも、取り仕切っていたのが王室だったからという事が大きい。でなければ、王太子の我儘が通る事など無かっただろう。
その結果、マリアローザが満19を迎えた後で、ようやく開催の運びとなったのだった。
――ここは、王宮のホール。
件の成人祝いのパーティー会場である。その最中、王太子が婚約破棄を告げるとホール内は騒然となった。
この場に招かれているのは、老若男女を問わない数多くの貴族たち。
当然、向こうの玉座にはロベルトの両親である国王夫妻の姿がある。そして少し離れた場所には、彼の弟である第二王子・シルヴィオの姿も……。また別の所では、マリアローザの両親であるフォリエ侯爵夫妻が困惑しながらその行く末を見守っていた。
それらは皆一様に、不安そうな顔をしてヒソヒソと何か言い合っている。
この場を収めるべき国王は、なぜか玉座から動こうとしない。そんな王の手前、誰もこの婚約破棄騒動を止めようとする事は出来ないようだ。ただじっと、その成り行きを見ているだけである。
『ふむ。』
そんな周囲の様子を確認したマリアローザは、開いていた扇子をパチン!と閉じ、しばらく結んでいた口をついに開いた。
「――ええ、確かにわたくしはソフィア嬢に対し、色々ときつい事も申し上げました。ですがそれは、どれも彼女のためを思っての事――…いえ。ひいてはこの国のため、でございますわ。」
しれっと言ってのける彼女に、ロベルトはカッとなって言い返す。
「黙れ無礼者!!この期に及んで国のためとは……不敬にも程があるぞ‼」
不敬……否。マリアローザの行動は全て、本当に国の将来を思っての事だった。
この婚約が決まったのは、彼女がまだ10歳にも満たない年齢の頃――…
もっと早くに選定されていた候補者の中の一人だったマリアローザは、様々な審査や調査の末、最終的に王太子の婚約者として選ばれたのだった。
正式な発表は、成人までお預けではある。
だが言うまでもなく、厳しい王妃教育は内定が出てからすぐに始まった。
「マリアローザ様!どうしてこれくらいの事が出来ないのです⁉」
「遅い‼もっと早くお答えになれるように!」
「何ですその動きは⁇もっと優雅に!!」
「違う!!」
「こう‼」
言葉遣い!作法!立ち居振る舞い!!――…多岐にわたる勉強に国内外の資料の読み込み、ダンスや護身術に至るまで……
とにかく、王の隣に立つに相応しい王妃となるため、日々ありとあらゆる辛く苦しい教育を受けた。時には体罰すらも――…。それはもはや訓練にも近かった。
しかし、元々負けず嫌いで生真面目なマリアローザは、歯を食いしばってそれらに耐え続けた。
そうして血の滲むような努力の結果、成人を迎える頃には完全無欠の婚約者となっていたのである。
――…そんな彼女への“断罪”は続く。
「貴様はソフィアを人気の無い所へ連れ出し、いびり倒したそうではないか!」
「殿下。それは“指導”、ですわ。」
「もっともらしい事を言うな忌々しい!!ソフィアがどれだけ辛かった事か……」
……いつの間にか「嬢」が抜けている。この状況の中、マリアローザはそんな事を考えていた。
「その上、あろう事か母上主催の茶会で暴力まで振るった!」
「狭義としては承服しかねますけれど、まあ……広義としてはその通りですわね。こうしてポン、と軽く叩いただけですよ。」
「暴力に軽いも重いもあるか!恐ろしい女め‼」
王太子は、「怖かったですー」などと言ってさめざめと泣くソフィアの肩を優しく抱き寄せた。
彼は一層声を張り上げる。
「皆の者!今のやり取り、しかと聞いたな!?これではっきりとした。この者は王太子妃には――いいや、この国の国母には相応しくない人間だ!!マリアローザとの婚約は即刻取り止めるべきであると、よくよく分かっただろう!」
会場の者たちに向かい、ロベルトは熱く演説をした。憎たらしくも、その顔は優越感に満ちている。
方やマリアローザだが、彼がどんなに熱く語ろうと変わらず平然とした表情を崩さない。そんな様子を、どうせプライドゆえの瘦せ我慢だろう、とロベルトは苦々しく思っていた。
それを見透かしたように、彼女は「フウ」と一つ息を吐く。
「気はお済みになりましたか?では今までの話は聞かなかった事にしますので、婚約破棄はやめた、とおっしゃってください。」
「おいちょっと待て!!頭がおかしいのか⁉責められているのは貴様の方なんだぞ⁇なぜ私が諭されるような事を言われなければならない‼」
ロベルトは顔を真っ赤にして憤り、地団太を踏んでいる。それを宥めるようにマリアローザは続けた。
「ですからね、殿下。わたくしは何もソフィア嬢との仲を裂こうというわけでは無いのです。彼女に王妃は務まりません。ですから王太子として、結婚は大人しくわたくしとなさり、ソフィア嬢の事は“側室”として愛でれば良いでしょうと申しているのです。ああもちろん、世継ぎの事がありますから、わたくしとの間にも子を儲けて頂かなくてはなりませんけれど。」
「……子…⁉」
彼女があっけらかんと言うと、ロベルトは怒ってますます顔を真っ赤にした。もはや完全にゆでだこである。
「何と破廉恥な!!」
彼は叫ぶが、一体どの口が言うのだろうか、とその場の誰もが思っていた。
「それに、私の愛しいソフィアを側室にだと⁉どれだけ彼女を侮辱すれば気が済む‼」
「殿下。我が国では、国王・王太子にのみ側室を持つ事が許されています。これは安定的な王位継承のために設けられている制度であり、決して恥ずべき存在ではございません。」
「そ ん な 事 は、知っている‼そうまでして王妃の座が欲しいのかと言っているんだ!浅ましい女め!!父上には、側室も妾もいらっしゃらないではないか!私は、そういう真実の愛で結ばれた結婚がしたいんだ……」
激しい(?)応酬の末、ロベルトはソフィアと見詰め合ってそんな事をのたまっている。この一瞬でよくもまあ、色ボケられるものだ。
それを冷めた目で見詰めながら、マリアローザはぼそりと呟いた。
「……“真実の愛”、ねえ……」
確かにこの国の側室については、王の浮気を濁す体のいい制度という側面もある。だから現国王にその類いがいないのは、単に王妃に対して誠実だという事なのではないだろうか――?
彼女はそう思ったが、言っても詮無い事に違いない。
「ロベルト殿下。もう一度、申し上げます。お考え直しなさいませ。」
「するか馬鹿者!貴様との婚約は破棄だ!!」
「…そうですか。」
再び「ハア」と落胆の溜息を吐くと目を閉じ、彼女はこれまでの辛く厳しい王妃教育の日々を思い返した。
こんな風にあっさりと婚約破棄されるのだとしたら、あの血の滲むような努力は一体何だったのだろうか……。全てが虚しい。
……昔読んだ物語では、こんな時。「王子様」が助けに来てくれたっけ。
だが現実には、そんな都合の良い人間は目の前に現れない。――いや。
そんなものは要らない。
その時、小鳥のさえずりのような雑音がして、マリアローザは閉じていた目蓋を開いた。そして目を据わらせる。
『これはもう、駄目ね。』
――…では始めようか。
ここからが、「婚約破棄劇」の本番だ――。