18.ただひたすらに、穴を掘る
「これは、一体どこの誰の子なんだと聞いている!!」
マルカート伯爵は実子だと信じていた娘を指差し、再度声を荒らげる。現伯爵夫人は狼狽しながら彼の脚元に縋り付いた。
「ラウラは貴方の子よ!本当よ!!」
「ではなぜ私に全く似ていない⁉私だけではない……歴代の伯爵家の誰とも似ていないのは、何故なんだ!?!」
貴族の屋敷には、歴代の当主やその一家を描いた肖像画というものがほぼ必ず存在している。それはマルカート伯爵家も同じ事だった。しかし……
愛人だった現夫人の産んだ娘・ラウラは、そこに描かれた誰とも似てはいなかったのである。
「本当なのよ!私を信じて頂戴、あなた‼」
「どうやって信じろと言うんだ!?」
「それは……。‼だったら、あの女の言ってる事だって信用出来ないじゃない!」
夫人は酷く歪めた顔をしながら、キッとマリアローザの方を向いて指を差す。
「わたくし?わたくしは貴女のご実家の元使用人から聞いたお話ですから。ああ、必要であればその方々をお呼びしてもよろしくてよ。」
「嘘をおっしゃい!!どうしてアンタなんかが私の家の元使用人の事を知っているのよ!?」
「それはわたくし独自の伝手があるからです。信じるかどうかは、そちら次第ですけれど。」
マリアローザは不敵に微笑む。伯爵夫妻はつうっと冷や汗を垂らし、ゴクリと唾を飲み込んだ。
……彼女は、この王国の事を知り尽くしている、次期王妃となるはずだった人物。
例え田舎のいち男爵家の内部ですら、知っていたとしてもおかしくはないのかもしれない……
「……やはりお前は信用出来ない‼離縁だ!!」
「待ってあなた、私の話を聞いて!ラウラは本当に貴方の子なのよ、私にはちゃんと分かっているの!!」
「お前が言っているだけではないか!証明出来る物など何も無いんだろう⁉…他の男とも通じていたとは……よくも今まで騙してくれたな!!」
「違うの、お願い私の言ってる事をちゃんと聞いて‼」
夫妻はギャアギャアと、早くも泥沼の様相を呈して来ている。……ここは他人の家なのだが……
一方その話題の中心にいるラウラだが、若干空気の読めない彼女でもさすがにこの事態は理解して、父と母を交互に見ながらオロオロとしていた。その婚約者・カルロも、どうしていいか分からない様子。
「あらあら。」
野次馬のように彼らを眺め、マリアローザは扇子を広げて口元を隠す。
――…このまま放っておいても、きっとこの一家は勝手に崩壊するだろう。だが残念ながら、それで許される期限はもうとっくに過ぎている。
彼らはマリアローザの慈悲を無視し、失望させたのだ。その報いは、全員にきっちりと受けて貰わなければ……。
計画を次の段階へと移そう。このどさくさに紛れ、彼女はまず自身の侍女と執事に素早く耳打ちをした。
「…ええっ、こんな時に……いいんですか⁇」
戸惑ったように執事が返す。
「問題無いから、行って。今すぐ!」
慌てて「はい」と答えると、彼は揉めている一家を横目に一目散に駆け出した。
これで今、アリーチェを守る一角が消えてしまったわけだが……伯爵たちはその執事が部屋を出て行った事になど、気付いてさえいない。周りに気を配っている余裕など、今の彼らにはどこにも無いのだ。
さて。
それではそろそろこちらの仕上げに掛からなければ……。マリアローザは、ここぞとばかりにその修羅場へと口を挟む。
「――伯爵、そんなに夫人を責めないであげてくださいな。それほどまでに、貴方と一緒になりたかったのでしょう。例えどんな事をしても、貴方の妻の座に収まりたかった……ねえ?夫人。」
「部外者は黙ってなさいッ!」
現夫人は夫には縋るような顔をするのに、彼女には鬼のような顔をする。しかし伯爵は、そんな妻の方に詰め寄った。
「子が出来れば私と一緒になれると⁉そのためにどこの馬の骨とも分からん奴を連れ込んだと言うのか!!何と愚かな……不本意とはいえ、私には前妻がいたんだ。妻の座なんてそう簡単には手に入らんぞ!そんな事も分からなかったのか!?」
「…………」
夫の問いに、青白くなって何も答えない現在の妻……。マリアローザはくすりと笑った。
「つまり――前妻がいらっしゃらなくなれば、後妻になれるという事ですわよね?分かっていらしたからこそ、どんな事でもしたのでしょう。」
「……なにっ!?」
伯爵は目を見開いて、マリアローザの方を向いた。それから顔を強張らせ、再び現夫人を見る。
「まさかお前……」
「私はやってないわ!!だってここへ来たのは、あの女が死んだ後よ⁉それまで遠い実家にいたのに、どうやってそんな事が出来たと言うの!?」
「それは…」
「それに、あの女は病死なんでしょ!私は何も関係無いじゃない!!ただのラッキーよ!天が私に味方をしたの‼」
彼女は、饒舌に弁解する。それには一定の信憑性があり、追及しようとする伯爵の勢いも衰えた。
「……確かに……そうだな…。あいつは、屋敷の中で段々と弱って死んだんだ。お前を後妻に迎えられたのも、偶然の事……」
いくら何でも、それはさすがに考え過ぎだ。彼はそう思った。
――『現在の妻が、以前の妻を殺した』だなんて…………。
「あら夫人。マルカート家に出入りしている医師を、篭絡したのではなくて?」
マリアローザの声がした。現夫人は目を剥いて彼女を睨み付ける。……本当に、鬼か悪魔のような表情だ。
「……いい加減な事を言わないで。私が?いつ?どうやって⁇」
「さあ?けれど医師の身元さえ分かれば、いくらでも接触出来ますわよね。」
「暴論だわ‼」
「可能性のお話よ。それに――」
そう言うと、マリアローザは紙の束をバサッと彼らの足元に放った。一家はそれを拾い、思わず目を通す。
「そこにあるのは、マルカート家を担当している医師が薬品を購入した店のリストです。」
「…これが、何だって言うの⁉」
「前夫人のご遺体を調べ、検出された薬剤がそこにある店で購入出来る物であると分かれば、捜査は進むでしょうね。」
伯爵らは戦慄する。しかしただ一人、まだ余所者である意識を持つカルロは驚愕の度合いが低く、口を開く事が出来た。
「前夫人は、病死だったのでは……」
「いいえ。そうだとすると、不審な点が多過ぎますわ。少しずつ毒を盛られ、死に至ったと考えた方が自然。なのに、それを伯爵家の医師が見過ごした……。考えられないお話です。という事は、その者が一枚噛んでいると見るべき。まあ、それもこれも、改めて検死をすれば分かるでしょうね。」
――…以前マリアローザが宝石商に依頼した内容――。それは、薬種問屋の購入者リストの入手であった。
このアルベロヴェッタ王国では、薬種問屋には相手に氏名を明かして貰い控えておかなければ売買出来ないという決まりがある。危険物を取り扱うため、いざという時にはそれを提出しなければならないのだ。
通常は、外には出さない情報である。かなりグレーな依頼だが、マリアローザの名と正当な使用目的によって、後でどうとでも処理出来ると彼女は考えた。
「……たぶん、栄養剤か風邪薬とでも言って処方したのではないかしら。どんな薬でも、使い方次第で毒になる事は常識ですわ。医師であれば、それは当然熟知しているはず。例え普通に売られている薬でも、符合すれば捜査の手掛かりになるでしょう。」
後の詰めは専門家に任せれば良い――
「…………フッ……フフフ……アハハハハ!!」
そのリストを見た現夫人は、笑い出した。声高らかに――というより、もはや大笑いである。壊れた……わけでは無さそうだ。
「……一体何を出して来るのかと思ったら……。これは、何⁇」
紙の束をパシパシと叩いて、彼女は言う。
「さっきアンタの言ってた事が全て事実だったとして?これはその医者の罪を暴くだけの物であって、私が関係してるなんて事はどこにも載ってないわよねえ??」
「…ええ、そうですわね。」
「だったら何を根拠に私を貶めているわけ??これは立派な名誉棄損よ!!」
「医師が、貴女の指示でやったと告白したら証言になりますでしょう?」
「だから!どこにそんな証拠があるのよ⁉医者の責任逃れだと判断されるわ!」
ただの馬鹿ではないらしい。やはり、それなりに頭は働くようだ。
自分の方が有利な立場だと理解した現夫人はどんどんと調子を上げ、増長して行く。
「……ずいぶんと評判のご令嬢だから、どんなものかと思っていたけど……ハン!何てお粗末な証拠と推理なの??たったのこれだけで人を犯罪者呼ばわりして……所詮はこの程度の小娘なのよ。王太子の婚約者から降ろされて当然ね‼」
勝ち誇ったような顔……。もはや完全に立場が逆転したように見える。
そして彼女は自信満々に夫の方を向いた。
「……ねえ、あなた……分かったでしょう?これは全部、あの女が私を陥れようと仕組んだ事なのよ!」
「あ……ああ……。そう、だな…………」
しかし伯爵の口は重い。表情は硬く、まだ何を信じていいのか分からないようである。マリアローザの後方にいて全ての流れを黙って見聞きしていたアリーチェも、かなり戸惑った顔をしている……。
現伯爵夫人は、マリアローザを上から見下ろすようにした。
「ねえ。それってぜぇんぶ、ただの憶測でしかないわよねえ?これ以上、貴女の思い込みで言い掛かりを付けるのはやめて貰えるかしら。マリアローザ嬢??」
「……。」
マリアローザは無言で、彼女のしたり顔を見据える。
きっともう、返す言葉が無いのだ。そう思った夫人は、勝利を確信した。
「――これでもまだ捕まえられると言うなら、捕まえてごらんなさいよ!!」
勝ち鬨のようにそう言って、高笑いをする。
……彼女がここまで強気なのは、きっと物証を何も残していないからなのだろう。現金を直接手渡したのか、体を使ったのか……とにかく、言葉巧みに口約束でやらせたに違いない。そしてこれだけ『証拠』に固執しているのも、それさえ無ければ逃れられると思っているから。
だって、さっきまでのあの焦りようと反応……。確実な証拠が無い事に喜んでいるのも、やましい事があると自白しているようなものだった。
しかし、現夫人を追い詰める決め手が無い事も事実。詰んでしまったのがどちらかは、明らかのように見える。――マリアローザの敗北か、と思われたその時……
「……今ここで、確実に証明出来る事があるとすれば、それはアリーチェ様が伯爵の実子であるという事だけですわ。夫人の罪がどうであれ、少なくともラウラ嬢に付いた疑問符が消えていない事もまた、事実です。それで、伯爵。どうしますの?その子にマルカート家を継がせます??」
彼女は夫人ではなく、伯爵の方を揺さぶった。
「それは……」
彼は返事を濁す。
夫人がどれだけ言おうと、誰とも似ていないラウラへの疑念は伯爵の中で燻り続けている……。死んだ元妻の件がどうであれ、今生きている“娘”が本物かどうかは、彼自身にとっても伯爵家にとっても重大な事なのである。
……そう。現伯爵夫人は一つ、大きな思い違いをしていた。
相手の目的が、自分を追い詰め真実を解き明かす事――などでは無い、という点である。
彼女の目的……それは、アリーチェをマルカート伯爵家から解放する事。ただそれだけなのだ。
重要なのは、一致団結したマルカート家をいかに崩壊させるか、という一点のみ。だから、確たる証拠や推理ショーは必要ない。いくつかの事実を突き付け疑いの種を撒けば、それによって家庭内には不和が生じる――。後は、時間の問題。
つまり、ラウラの出生の秘密をばらした時点で、マリアローザは王手を掛けたも同然だったのだ。現夫人は、そこで後戻り出来なくなったと気付かなければならなかった……。
後は全て、おまけのようなもの。だが彼女は、そのおまけによって破滅するのだ。
だから、これ以上事態が悪化しないよう、この話の幕引きに舵を切るべきだった。
「ちょっと!!性懲りも無くまだ夫をたぶらかそうと言うの!?」
まだ何も気付いていない夫人は、叫ぶ。
……“捕まえられるものなら捕まえてみろ”。ふむ。ではお望み通り、あと一つ足りない要素を補うための、後押しをしてあげようか――。
「でしたら、ラウラ嬢が伯爵の実子であるという証拠をお出しになったら?」
不利な立場にあるはずのマリアローザは、余裕の表情をしている。その顔が、夫人をより苛つかせた。
そんな怒りの炎に油を注ぎ、更に煽り続ける。
「前夫人のご懐妊を聞いた時、さぞかし焦った事でしょうねえ……。彼女に子が出来なければ、いくら政略結婚でも破婚の可能性はありましたもの。その時貴女に伯爵との子がいれば、すんなりと後妻に収まれたのに……」
「…………ッ!」
その時、夫人の中で何かがプツンと、切れた。
――…そうだ。アリーチェさえ生まれなければ、全てが上手く行ったのに。
だが、もしもラウラが女児ではなく、男児であれば何かが違っていた?もし自分が跡取りを産んでいたら――…。
否、変わらない。その時は息子が伯爵家に迎え入れられただけで、自分は結局愛人のままだ。そんなのは嫌。
「…そうよ……そもそもお前が生まれて来た事が全ての間違いだったのよ……」
やっとの事で入り込めた、王都の夜会。そこで、幸運にも伯爵家の嫡男と知り合う事が出来た。なのに、婚約者持ちだったとは……。でも。
どうしても、欲しかった。『伯爵夫人』という地位が、羨望の眼差しが――…。
例え……
何をしたとしても!!
現夫人はカッと目を見開き、継娘を激しく睨み付けると同時に、血走った目で彼女に向かって飛び出した。凶器は持っていないものの、恐怖を感じるような尋常ではない様子である。
「…きゃ…」
突然の事に、アリーチェは青ざめて動けない。襲い掛かろうとする夫人を退けられたはずのマリアローザの執事は、今この場からいなくなっている。この状況に動揺したのか、その側にいる侍女も動かない。
夫人は振り上げた腕を、思い切り振り下ろそうとしている。その指には、いくつものごつごつとした石の付いた指輪が……。一度で死ぬ事は無いだろうが、当たれば確実に怪我をするだろう。
「…アリーチェエエエ!!」
地獄の底から沸き上がって来るような声に、アリーチェは思わず身を竦め、目を瞑る。その時「ガッ」という、鈍い音がした。
……あれ?でも、痛くない。
彼女はそうっと目を開ける。そしてその目を疑った。
「……マ……マリアローザさま……!?」
自分と継母の間にはマリアローザがいて、そのご尊顔からは血が流れている。……にも拘わらず、彼女はニヤッと笑った。
次の瞬間――
「傷害の現行犯で逮捕する!!」
突如としてこの部屋の出入り口が勢いよく開き、多数の騎士たちが雪崩れ込んで来た。――これは……王室騎士団だ!
何が起こっているのか理解出来ず、現伯爵夫人を始めとしたマルカート家の者たちはみな唖然としている。しかしそうこうしている間にも、夫人は彼らによって取り押さえられた。
「ちょ…ちょっと待って…なんなの!?!」
後ろ手にされ、床に組み伏せられた夫人は言う。騎士は答えた。
「貴様は今、マリアローザ嬢に対し、危害を加えたではないか!先ほどの話も大方聞かせて貰った。王宮へ連行し、問い質さねばならない事が山のようにありそうだな。」
「なんで……なんでこんな所に、王室の騎士がいるのよ……!?」
侍女から渡されたハンカチで頬の血を拭いながら、マリアローザは逆光の中で微笑む。
「あら。わたくしが事前にご招待したからに、決まっているではありませんの。ありがとう、夫人。貴女なら……墓穴を掘ってくれると信じていましたわ。」
捕らえる理由が無ければ、作ればいい――…。
この屋敷へとのこのこ誘い出されて来た時からすでに、彼女たちはマリアローザの罠にまんまと嵌っていたのである。
ここの家主を殴り怪我をさせた現伯爵夫人は、騎士たちに連れて行かれながらもなお、こちらを睨んで喚く。
「この、この……悪女がああっ!!」
……だから、何度も何度も警告したのに。『早く帰るように』、と――…。
それに大人しく従っていれば、今頃こんな事にはなっていなかった。
「夫人。ごきげんよう。」
マリアローザはその背中に向かい、笑顔でひらひらとハンカチを振った。




