16.飛んで火に入る何とやら
「――これからお客様方がいらっしゃいます!“主賓”がいらしたら、真っ直ぐにわたくしの所へご案内を!“来賓”の方々には、然るべき所でお待ち頂くように。」
外出先から帰って来たマリアローザは、屋敷の玄関ホールを勇ましく歩きながらてきぱきと指示を出している。
そんな中、アリーチェに付けている侍女長にだけは別の指示を与えた。
「ジーナ!貴女は決して、アリーチェ様から離れないように。安全な別室で待機していて頂戴。彼女を守って!」
「お任せくださいませ、マリアお嬢様。」
アリーチェを託されたジーナは、勇敢な騎士のように凛々しい表情で頭を下げる。
一方、何も知らされていないアリーチェは戸惑っていた。……この緊迫した物々しい空気は一体何なのだろうか、と。それを丁寧に誘導しながら、ジーナは共にその場を去って行った。
――彼女たちの避難が済めば、とりあえずは安心だ。
“客人”は、必ずすぐにやって来る。
「それではみんな、手筈通りに迎え撃つ準備を!…あら失礼。おもてなしの用意をして頂戴!」
「はいっ!かしこまりました、マリアローザ様!!」
主人の言葉に、使用人たちは一斉に鬨の声のような返事をした。
……この時のため、準備万端整えている。抜かりはない。
後はただ、向こうからのこのことやって来るのを迎え入れるだけ――…。
「――…さあ、楽しいパーティーにしましょう……!」
同じ頃。マリアローザの屋敷へ向け、一台の馬車が猛スピードで走っていた。中に乗っているのは言わずもがな、マルカート伯爵家の面々である。
そしてもう一人――
「伯爵!もしこのままアリーチェを連れ戻せなかったら……どうなるんです⁇」
姉から妹へと乗り換えた、『婚約者』のカルロが尋ねている。
「聞くまでもない!我が伯爵家は破滅だ‼何としてでも連れ戻し、男爵のところへ送らなければ……。それが失敗すれば、君も困る事になるんだぞ!!」
「……それはつまり、私は伯爵には……」
「なれなくなるという事だ!!」
カルロは焦っていた。
実家はマルカートと同格である伯爵家だが、自分は三男。そのため家督が回って来る可能性は限りなく低い。それでも、何も問題は無かった。幼い頃からこの家のアリーチェと婚約し、伯爵になる事が決まっていたからだ。それが――…
相手が少々変わったとはいえ、このままでは婿入り予定のマルカート家が存続出来ない事態になるかもしれない。そうなれば、自分はただの「貴族の人」である。
「やだ~お父様ったら!破滅とか、怖ぁーい。ねっ、カルロ様⁇」
「あ、ああ、そうだね…」
彼の隣で、アリーチェの異母妹であるラウラが、甘えた声でその腕にしがみ付いて来る。現婚約者である彼女は、この事態をあまり呑み込めていないようだ。そんな危機感など微塵も感じない、能天気な振る舞いをしている。
「ハア……家出だなんて、お姉様にも困ったものよね。我儘言うせいで、私たちまで迎えに行かなきゃいけないんだから!」
「本当よ!結婚が嫌だから“絶縁する”だなんて……自分勝手過ぎるわ‼伯爵家の娘として、恥ずかしくないのかしら⁉」
現伯爵夫人も、その言葉に便乗して憤る。
「とにかく!居場所はもう分かっているんだ。全員でアリーチェを丸め込むぞ!それでも駄目なら、引きずってでも連れ帰る‼」
伯爵が力強くそう言うと、車内の全員が頷いた。
やかましくガラガラと音を立て、馬車は一路、姿を消した娘のもとへと急ぐ――
「――アリーチェ!!ここかッ!?」
その屋敷へ到着したマルカート伯爵は、案内された部屋の扉をバン!と勢いよく開けた。――しかし。
そこに娘の姿はなく、代わりにこの屋敷の主がのんびりと座ってお茶をしていた。
「あら、伯爵。ずいぶんなご挨拶ですこと。」
カチャリとカップを置き、家主のマリアローザは落ち着いた笑みを浮かべた。片やここへ乗り込んで来た伯爵は、すでに怒り心頭の様相である。
「ずいぶんな挨拶だと!?文句があるなら来いと言ったのはそっちだろうが‼アリーチェはどこだ⁉出せ、連れて帰る!!」
がなるマルカート伯爵を見て、彼女はフウと溜息を吐く。それからやれやれと小さく首を振った。
「――まぁ。何て礼儀のなっていない方なのでしょう。それで本当に伯爵ですの?他人の屋敷へやって来て、まともな挨拶もせずに喚き散らすだなんて。先ほどわたくしが言ったのは、皮肉でしてよ。」
「うるさい、傷物の小娘が!出せと言ったら早く出さないか!!」
甘い顔をしてやるのもそろそろ限界か。マリアローザの目が冷たく据わった。そしてスッと立ち上がる。
「伯爵。何か勘違いなさっているようだけれど、わたくしは自ら侯爵家を出ただけであって、勘当されたわけではありませんのよ。除籍になったわけでもありませんし、身分的には未だ侯爵家の娘。――…つまり……」
胸の前で腕を組み、彼女はカツンカツンとマルカート一家の方へ近付いて行く。そして伯爵の目の前に立つと、ずいっと至近距離に顔を近付けた。
「口の利き方には気を付けなさい。伯、爵。」
「…………っ」
その顔があまりにも屈辱的に歪んだものだから、マリアローザは思わず笑いそうになってしまった。いけないいけない。それを隠すように扇子を広げると、口元を覆う。そしてくるりと後ろを向いて数歩進むと、彼らとはまた少し距離を取った。
彼女は再び客の方を振り返る。
「そういえば……お一人、少ないようね?」
乗り込んで来た面々を、改めて見てみたマリアローザは気付いた。
ここにいるのは向こうの家で会っている伯爵夫妻と、異母妹らしき若い娘。伯爵の執事は付属品なので数に入れないとして、後はその婚約者と思われる青年の四人だけである。件の男爵はいないようだ。てっきり一緒に来るものとばかり、思っていたのに……。
「一人少ない……?ああ、ブラッチ男爵の事ですか。彼なら来ませんよ。」
「異母妹と、その婚約者は来ているのに?」
「この二人は伯爵家を背負って行く事になるのですから、当然でしょう!これはマルカート家の問題なんです‼」
イライラとはしているものの、伯爵は敬語を使い出した。さっきの言葉、少しは効いたらしい。
「フウ。その答えについてはある程度理解出来ますけれど、でしたら一番の当事者は、アリーチェ様とご結婚なさる予定の男爵なのではなくて?自分の花嫁を自分で迎えに行かなくてどうします。」
「…彼の考えなど、私の知った事ではありません!!」
「あらまあ。」
マリアローザは呆れて溜息を吐いた。彼らがここへ来てまだ数分しか経っていないというのに、もう何度目になるだろうか。数えるのも面倒だ。
しかし……
「ふむ。」
このパーティーにブラッチ男爵が参加しないとは残念だ。せっかく彼にも「おもてなし」をしてあげようと思っていたのに……。
『まあいいでしょう。後でどうとでも出来る。……メインはこちらだものね。』
マリアローザは、開いていた扇子をパチン!と閉じた。
「とにかく!アリーチェ様は、そちらにお帰りにはなりません。文句でしたらいくらでも受け付けますから、言いたい事を全て吐き出してお引き取りを。」
――普通に考えれば、それに大人しく従うような人間などほぼいない。この一家の事情であれば尚更だ。
あの時「文句があれば来い」と言ったが、本当にそのためだけに来るわけが無い。彼らの目的は、アリーチェの奪還。そんな事は猿にでも分かる。それをあえて、マリアローザは口にした。
その結果は……
「…………貴女、一体何なの!?」
ぶるぶると怒りに震えた現伯爵夫人が声を荒らげた。ほら、釣れた。
「さっき夫が言ったはずよね⁇これは私たちマルカート家の問題だと!他人の貴女が口出ししないで頂戴!!」
「ええ、わたくしは確かに他人です。けれど、アリーチェ様から助けを乞われましたのよ。それを無下にするほど、わたくしは冷酷ではなくてよ。」
一呼吸置いて、マリアローザは一家をじろりと見回す。
「ふ……。マルカート家の問題、ねえ……。この中に、一人でも彼女の味方をした事がある方はいらっしゃるのかしら?そうであれば、こんな他人に頼る必要など無かったでしょうに……。」
するとそれに異母妹が反論した。
「それはお姉様のせいでしょ⁉お姉様が悪いから、誰も味方をしないのよ!それを人のせいにするなんて……本ッ当、最悪な女!!」
今の言葉には、マリアローザの眉がピクリと動いた。
……「最悪な女」とは、自分の事を言っているのか、異母姉の事を言っているのか……。今の短い言葉の中には、問い質したい事が他にも山ほどあった。だが今は、その気持ちを抑えなければ……
いずれにせよ、未来の伯爵夫人には相応しくない人物だという事だけは、よくよく分かった。
引きつりそうになる表情筋を気力で押さえ付け、マリアローザは口角を上げた。そして語り掛ける。
「……ねえ、皆さん。わたくしもオトナです。穏便に済ませる方法というものは、よく存じておりますのよ。だから悪い事は申しません。アリーチェ様を解放して、もう二度と関わらないと誓ってくださいな。……そうすれば、何事も無くお帰り頂けますわ。これは最終警告です。」
――…この意味が、この慈悲が。誰か一人にでも伝わって諦めてくれるのなら、見逃してやろう。
彼女はそう考えていた。
ここが運命の分かれ道。破滅するか回避出来るかの、最後の地点。救いの道は、用意した。後はどちらを選ぶか、だ。
あの異母妹は、『何を言っているんだ』とこちらを馬鹿にしたような顔で首を傾げているが、それも仕方のない事だろう。可哀想だから今だけは許す。
問題はそれ以外――
「〰〰〰〰ッもう我慢ならん!!」
マルカート伯爵が、顔を真っ赤にして叫んだ。
「こんな話をしていても無駄だ‼ええい、捜せ!アリーチェはこの屋敷のどこかに必ずいる!外に待たせている連中も呼んで、屋敷中くまなく回って捜し出せ!!」
「まあ……‼」
およそ父親であるとは思えない言葉と共に、伯爵は大きく腕を動かし命令をする。一家に付いて来たのは執事である中年男性だけかと思っていたが、連れはまだ他にもいたらしい。そしてそれは、あまりガラのいい者たちでは無いと見た。どうやら彼らは、力尽くでもアリーチェを取り返すつもりのようだ。
……何という“家族”だろうか。継母も異母妹も、父親も――…
マリアローザの中で、堪忍袋の緒がブチブチと音を立てている。
――…決定。パーティーは続行だ。
「無礼者‼そんな事、許可いたしませんわよ!もしもこの屋敷の中を勝手にうろつくと言うのなら、こちらにも考えがあります。」
「王宮にでも訴えると言うのか⁉やりたければやればいい!どうせその前にあの子は見付かるし、こちらにだって正当な理由がある‼マリアローザ嬢が娘を拐かしたのだとな!!」
吐き捨てるようにそう言うと、一家は入って来た扉の方へと踵を返した。
「リノ!!」
主が名を呼ぶと、それに反応した執事が一足早く扉の前に立ちはだかり、出入り口を塞ぐ。向こうの執事は一足先に出て行ってしまったので仕方がないが……主賓には、今ここを出て行かれては困るのだ。
「そこをどけ!!この執事風情が‼」
伯爵が彼に怒鳴った。
「いや~、それはちょっと無理ですねー。」
リノは怯む様子も無く、両側に開く扉の真ん中に背を押し付けて体重を掛ける。ドアノブも体で隠し、顔は笑っているものの梃子でも動かないという状態だ。
「おいカルロ、手伝うんだ!こいつをそこから引き剥がす‼」
「は、はい伯爵…」
伯爵に言われるがまま、異母妹の婚約者もリノに近付く。そして男二人掛かりで、扉を押さえる彼の腕や上半身を引っ張った。それでもリノは頑張っている。
「イタッイタタ!ちょっとマリアローザ様!いつまでこうしていれば良いんですか〰〰!?」
執事が弱音を吐いた。それもそうだろう。二対一では分が悪い。…いやそれどころか、継母と異母妹の二人まで加勢しようとしているではないか。これではいくら彼に武術の心得があったとしても、多勢に無勢。
「うーん、困ったわねえ……」
まさか“伯爵”が、ここまで野蛮な行動に出るとは思わなかった。しかし。
主賓にご退場頂くのは、やっぱりまだまだ先である。だってパーティーは始まったばかり。だから来賓を呼ぶにはまだ早い……。どうしたものか。
するとその時、扉の向こう側からノックをする音がした。
「――わたくしなら、ここにいます!」
「!!」
皆の動きがピタリと止まった。そして視線が一斉に扉へと向かう――。
「アリーチェは、ここにいますわ!」
その声は、はっきりとそう名乗った。




