カンニングと自殺
最近のニュースで、カンニングをした男子高校生が発覚後に自殺をしたというニュースが流れてきた。この件について色々考えた事をまとめていく。
この件を知った際一番考えさせられたのは遺書の「このまま周りからひきょう者と思われながら生きていく方が怖くなってきました」という言葉である。
私達は、多かれ少なかれ自分が周りにどう思われるのかを気にした経験があると思う。カンニングは自分で行い、自分に非がある行為であるけれど周りからどう思われるか恐怖するのは当たり前であり、それが高校生の一日の大半を占める学校という場で起きた事も問題だと捉えるべきである。
この事件では、男子高校生のカンニングが発覚した後別室で複数の教師に叱責され、全科目0点・自宅謹慎八日間・写経八十枚・反省文という処分をされており、写経という処分に馴染みがない以外は学校の行う処分として想像できるものであった。学校の行う処分について調べてみると学校教育法施行規則第26条で
『校長及び教員が児童等に懲戒を加えるに当つては、児童等の心身の発達に 応ずる等教育上必要な配慮をしなければならない。』
と定められており、指導は勿論処分の場合であっても学校側は教育的な配慮を行う必要がある。その視点で今回の処分を見直すと、私は複数の教師による叱責と自宅謹慎という対応に少し疑問を持った。
叱られる時に限らず、人と関わる際に相手側の人数が多く自分側が一人であれば緊張するものである。加えて生徒と教師という関係性で指導される側と指導する側というより一層緊張しやすい状態で複数教師が叱責する行為は、生徒にカンニングの重大さを伝えやすいというメリット以上に生徒に精神的な負荷がかかりすぎるというデメリットが大きいと考える。本当に複数教師による叱責が必要だったのだろうか。
自宅謹慎について調べてみると、登校できないという処分は正式な懲戒である停学と学校独自の指導方法である自宅謹慎の二つに分かれているらしい。停学の方が重い処分であり記録に残る可能性が高く、自宅謹慎の方は軽い処分で記録上欠席とされる事が一般的だそうだ。今回の事件では自宅謹慎の方が選択されており、学校側の対応が特別厳しい訳ではないようだ。
ただ、この自宅謹慎という処分の難しい部分は他の生徒に伝わりやすい所である。八日間連続の欠席は大抵の場合注目される行動であり、しかもテスト後と重なった場合はカンニングをしたのではないかと疑われたり、噂になる可能性が高い。カンニングを行う生徒は普通よりも周りからの見え方を気にする生徒が多い傾向があるからこそ、停学でも自宅謹慎でも生徒視点ではあまり変わらず非常に重い処分に感じるのだろう。
学校の対応について、まず大前提としてテスト中のカンニング行為は禁止されており、これは学校だけではなく共通テストや資格試験でも同様であり社会全体の共通のルールである。社会で許されない行為は学校でも許されないので学校はカンニングに対して厳しい対応をする必要があり、厳しい姿勢を見せる事で予防しているという側面もある。カンニングに厳しい雰囲気は、カンニングが起きにくい空間を作るけれど、カンニングをした者にとって非常に生きづらい空間になるという点は常に意識するべきだ。
ここまで色々とカンニングに対する処分について調べてみたけれど、一番重要なのは生徒が周りからどう思われるかを気にしていた事だろう。カンニングに対する処分は仕方ないが、その後の教師や保護者の対応はどうだったのだろうか。もし自分がその立場だった時、カンニング行為への反省を促しつつ生徒の気持ちに寄り添えたのだろうか。生徒への対応が、生徒視点では今後の周りからの見え方を想像させる事まで意識出来るのだろうか。自殺を選んだ男子高校生の気持ちを思うとやるせなさを感じる。