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東京の上空は、かつての大都市の面影などないほどに澄んだ空気をしていた。
雨風による風化や、熱による膨張と収縮を繰り返したアスファルトの路面はひび割れている。一部ビルなどの建物は崩壊しているが、アスファルトに比べて比較的綺麗に残されていた。
宮城県や福島県ではかつて震災があった。当時の記録から、復興にあたってまず一番綺麗になるのは道路であることが分かる。まずは足回りがないと物も人も運べないからだ。
封鎖された東京でも、怪人が最初に破壊したのは交通網だった。線路や道路などを優先的に破壊し、移動手段を奪ってから狡猾に中の人間を狩り尽くした。
東京にいたほとんどの人間が死んだこの出来事は、世間のショックも大きく、航空戦力の死滅していた人間は徒歩での救出作戦を敢行するも失敗に終わり、最終的に立ち入り禁止区域として封鎖することになった。
とはいえ、封鎖はそこまでしっかりとしたものではなく、二重フェンスと鉄条網。水を入れて設置する簡単なバリケードで封鎖されているだけだ。怪人は空を飛べるし、封鎖には意味がないと思われた。
当時の怪人に関する情報は、世界中である程度調べられていた。これは怪人ではなく人間を閉じ込めるためのものである。
大きなストレスを抱えた人間は怪人を生みやすくなるのだ。そもそも襲撃した怪人の目的は、東京にいる政府関係者及び、上級国民と言われるような人を標的としていた。魔法少女という対抗手段を失った日本では、被害を広げないための方法しか取ることができなかった。
「のう、ライゼンターよ」
魔法力があった付近に到着したが、反応が見当たらなかった。東京を見下ろしてそれらしいものがないか探していたレンが口を開く。
「何かあった?」
「いや、何もないのじゃ。むしろ、おかしくないか?」
彼女は、すぐに答えを出した。
「なんで東京にこんなに怪人がいないのじゃ?」
私はハッと目を見開いた。
確かにそうだ。私たちは東京の件に関しては何も手出ししたことはない。日本は滅亡していないから、責任と戒めのために、東京から出てきた怪人の処分以外に関わらない事を決めていたのだ。
「滅亡のフェーズの初期段階は確認したはず。なら、急激な環境変化と身の危険によって、爆発的に怪人が増えている」
「そのうちの、東京から出たいという目的で動く怪人は処分しておる。中にいる怪人は破滅によりヤケになった人間の願いによって生み出された怪人が居るはずじゃ」
「人間を襲い尽くして外に出た?」
「いや、ある程度の知性を手に入れた怪人は中級以上になるのじゃ。新人では対処が難しいから、即座にこちらに情報が飛んでくるはず」
「彼らは我が処分した」
濃厚な血の匂い。振り向くと、そこには尊大な雰囲気を押し出した銀髪の男が立っていた。
「何者じゃ?」
「おや、見覚えがないか? ああ、そうか。この姿じゃないのか」
意外そうな顔をした男だが、すぐに気付いた様子で、体を丸めた。ドロリと肉体が溶けて色を失う。黒い水のような質感が現れる。
そして、次に顔を上げた時には、学校の生徒と同じ顔をしていた。千葉くんと喧嘩をした不良男子そのものの姿だ。
「魔法力をほとんど感じないのじゃ……物すごい隠密能力じゃよ」
「以前見た時から擬態能力は高かったけど、これほどまでに?」
男の姿をした怪人が笑う。
「どうだい? 見事なものだろう。これこそが我が理想。魔法と人間の融合だ!」
「飲まれたか」
表情も見た目も人間そのものだ。これまでの短い期間にどれだけの怪人や人間を喰ったのかは分からない。しかし、まるで自分の意思のように大きな理想を語る姿からは、元々の願いが見えなかった。
聞いていた姿と大きく違う。短期間で下級怪人から上級怪人へと変貌している。これほど急激な変化では、既に元々の怪人の願いすらも忘れてしまっているだろう。
「飲まれた? いいや、違う! 我は新しい魔法と人間の世界を作るための選ばれし存在だ! 君たちなら分かるだろう? 魔法を使う同類じゃないか! なら、次代を担うべき存在として理想や不満があるはずだ!」
「妾たちにそんな意識などないのじゃ」
「差し伸べた手はどんな目に遭わされた? 願った平和の先に何が待っていた? その小さな夢を持ち続けられる魔法少女こそが、次の時代を担う新人類だ!」
怪人が吼える。
「確かに、私たちは分かり合えなかった」
欲望のままに人間は魔法少女を襲い、魔法について調べて、戦争へ利用した。怪人との戦いよりも大きな苦痛と悲しみに直面した魔法少女たちは、人間との関わりを断つことにした。
「だからといってそれを後の世代にまで押し付ける必要はない」
私たちがやるべきことは、後の世代の子たちが自由に生きられるように居場所を作る事だ。魔法少女そのものが受け入れられなかった場合の異空間にある本部。戦争を再び起こさないためのセーフティ。過去の遺産を再利用させないための処理。
「一回駄目だったからなんだ。理想と現実が違うだけで全てを諦めるのか」
どうにもならないなら、どうにもならないなりに頑張るべきだろう。
魔法力を解き放つ。現実を知った大人が子供の未来を奪っては駄目だろう。自分が見た理不尽と絶望だけで、全ての可能性を否定するのは間違いだ。
「清濁併せ呑んだ大人なら、自分の理想を子供に押し付けないで、子供の未来のために可能性を広げて最善を選べるように手助けするのが役割じゃないか」
成功も失敗も過程含めて全てを話した上で、道を示すなら理解できる。だが、プライドで隠して道を強要するのは違うだろう。
「私たちのやるべきことは、個人の理想を叶える事じゃない。願いを繋いでいくことだ」
その先で、皆の願いを叶えればいい。
「久しぶりに聞いたのじゃ」
レンが茶化すように言う。これは、魔法少女協会設立時に何度も話し合った言葉だ。
既に何度も殴り合いの喧嘩をした。その先で皆で決めた事なのだ。
「魔法は死んでも残るんだ。その先に安らかな眠りがある方がいいでしょ? 仲間たちに悲しい顔はさせられない」
「全くその通りじゃな! いまだに平和までは遠い。妾たちと今の大人たちでは仲が悪過ぎるのじゃ。許せないことも多い。だからこそ、後の子たちに良い未来を用意できるようにするだけじゃな」
「そういうこと。悪いけど、ここで貴方も倒させてもらう。今はまだ相容れない願いだけど、いつかの未来で叶えるように、その魔法は背負わせてもらうよ」
レンと私で武器を相手に突き出す。
怪人は、表情を消すと唸るような低い声を出した。
「そうか。なら、その理想すらもさらなる理想に飲まれて消えろ」
怪人が構える。両腕が異常に膨れ上がり、翼が生える。全身の色が黒に染まり、顔には大きな口だけが残った。魔法力が立ち上り巨人の形を作る。
「魔法力だけならば、疑似災厄級だと自負する我に挑むのか?」
「はっ。お主が災厄級? 笑わせるでない。所詮は上級止まりじゃ」
レンが怪人に向かって嘲る。
「数多の戦を乗り越えた戦士が保証してやる。お主は脅威足り得ぬとな」
獣が牙を剥いた。レンが最初に仕掛ける。刀を腰に差したまま距離を詰め、居合斬りを放つ。
「《紫電一閃》ッ」
魔法力を限界まで溜め、瞬間的に解き放つ。開放された魔法力が推進力となり雷の如き光が軌跡を残す。撃ち出されたといえるような剣閃が怪人の拳とぶつかり、衝撃波を起こした。インパクトに合わせてレンが距離を取る。
「予想以上に硬いのじゃ……」
「実戦をサボり過ぎたんじゃない?」
怪人の腕は拳から肘まで斬り開かれていたが、軽口を叩いている間に塞がってしまう。
「戦争期の魔法少女と言えど、攻撃力はそこまで高くないようだね」
怪人が傷口をなぞる。余裕そうな笑みに、レンの額に青筋が浮かんだ。
「は? 妾はチームで唯一の前衛にして高速アタッカーだったんじゃが? 最も技巧に優れ、戦いのうまい者だったのじゃが?」
「戦闘のレン。戦術のエインヘリアル、戦略の私、軍師のエンハンサーだったね」
「いいか! あやつは妾だけで倒す! お主は後詰めをしておるのじゃ!」
レンが私に向かって威嚇する。
「その油断こそが敗因だっ!」
顔を背けた瞬間に、怪人が魔法力を撃ってくる。急所を狙った散弾に、レンが刀を振るう。魔法力がきらめいて同時に撃たれた魔法力を弾き飛ばした。
「《長刀会釈》……。ただ飛ばされた魔法力では妾に傷一つつける事はできぬぞ」
後述詠唱だ。レンが得意とする魔術の後出し詠唱。瞬間的な対応の後で詠唱できる前衛向けの技術。
いつ見ても、とんでもないズルみたいな技だと思う。
「ほざけ! 魔法力の総量では我の方が遥かに上だッ」
弾丸では駄目だと考えた怪人が壁のような大きさの魔法力を撃ち出してくる。
「だからお主は駄目なのじゃ」
レンが怪人の背後に出現。その場で刀を上段に構えた。
「《流星光底》技巧の真髄を刮目して見よ」
なんてことはないただの振り下ろし。紫電一閃とは比べ物にならないほどの遅い一太刀。
即座に両腕で頭上を守る怪人だが、刀は一切の抵抗を受けることなく通り抜けた。サンッという鈴を鳴らしたような甲高い音が鳴り響く。
「ガッ……ア……」
怪人は脳天から両断されていた。怪人だけではない。剣の振るわれた先にある物全てが断ち切られている。空中故に雲と空で済んでいるが、地上で振るえば甚大な被害を齎してただろうことが示されている。
レンは刀を戻し残心する。それまでが一連の動作であり、刀を納めると同時に、割られた場所を埋めるための突風が吹き荒れた。
「どうじゃ!? これが妾の実力じゃ!」
怪人には目もくれず、レンが私に向かって胸を逸らす。ドヤ顔で鼻息を鳴らしている。
「オオオオオオオオッ!!!」
怪人が絶叫しながら動き出す。振り返ったレンに向かって拳を振り下ろした。脳天に直撃する。
「……油断大敵」
「まったくじゃ。ここが過去の戦場なら既に死んでいたのじゃ」
拳はそこで止まっていた。どれだけ力を籠めようとも、山を押すようにピクリとも動かないらしい。
「《常在戦場》妾が最初に創り出した魔術であり、これまで幾度となく命を救ってきた、ただ一回だけ攻撃を防ぐバリアじゃ」
無造作に刀を振るう。バラバラになった腕が剣圧で吹き飛んだ。
レンが八相の構えをする。気迫を吐き出し刃紋がきらめく。
「《打首獄門》」
首が舞う。溢れ出た魔法力の煙でそれは瞬く間に見えなくなった。
『魔法は使用者が死んでも消えない。逆に、使用者がいる魔法は復活する可能性がある』
怪人の声がどこからともなく聞こえてくる。
『我が死んだとしても、この計画は遂行させてもらうぞ………ッ!』
怪人の体に宿る魔法力が一つにまとまる。それは煙を突き抜け高速で飛び去り、海へと落ちた。
海に大規模な魔法力が広がる。
『我が願いを紡げ、災厄よ』
声とともに気配が消える。同時に、世界が震え上がった。全身が押し込まれる感覚。耳を聾する声なき絶叫が衝撃波となって地殻を剥ぐ。
海が沈んだ。
「ま、まさか……」
レンが怯え、膝をつき絶望の表情を浮かべる。
『二人共、聞こえるか?』
威厳に満ちた女性の声が聞こえてくる。
「エンハンサー? どうしたの」
『想定していた中でも最悪の事態が発生した。落ち着いて聞いて──災厄級怪人が復活した』
「ああ、それなら、こちらからも確認している」
太平洋の向こうが壁のような水の山を作っている。そこから、巨人の上体が現れた。




