急転
「――くみちょう……?」
――しまった、と思った。
そういう組織の応募を受けてしまっていたことに――ではなく。そういう組織であることを知らない私が、ここに座っている事実が露呈することに。
――知らないということは、要するに無関係ということで。また、こういう組織は、総じて閉鎖的で――そして、排他的な性質を持っているのが常だと。そう、聞いたことがあったから。
故にこその――後悔。
先の兄妹の微笑ましいやりとりで、すっかり緊張を解されていたのが災いしたのか。絶対に出してはいけない言葉が、思わず口を衝いて出てしまった。
「え、はい……もしかして、聞かされてない? ――麻沙?」
「いや、伝えてねって……言ったと、思うんだけど……」
私の焦燥をよそに、ヒソヒソと会話する――慣れていないのか、全然聞こえているけど――兄妹。会話の内容からして、彼らにとっても、この事態は想定外だったのか――まぁ、どっちにしろ問題は変わらないのだけど。
――どうにかして、誤魔化さなければ。
せっかく、私もまともな人生過ごせそうなのに。――ようやく、幸せになれそうなのに。
ずっと、ずっとずっと――昔からの、悲願だったのに。それだけを目標に、勉強して就職して……失敗して、今ここにいるのに。
なにか――なにか、ないのか。
この、決定的とまでは言わずとも、しかし着実に終わりが迫っている現状を――打破できる、一言は。
そう思って、背中に冷や汗を感じながら必死に既知の語彙を探すものの、一向に私が望んでいるような言葉は見つからないまま。
そして。ついに。
「――あの、枯野さん」
――来た。
赤人さん達から見えない角度で、ギュっと拳を握る。
「――……はい」
――終ぞこの場を誤魔化せる言葉は思いつかず。
さっきまで私の内面を蝕んでいた焦燥は、今や諦めとなって心に巣食っている。
(あーあ、せっかくならそれなりの給料貰って、それなりの幸せ感じてみたかったな……)
返事は、おおよその予想がついているから。いよいよ諦観し、沈んだ声で返す私に、赤人さんは。
「これが最後の質問なんですけど――今から何を見聞きしても、うちの会社で働いてくれますか?」
――ん?
「え、あ……はい、もちろんです」
予想外の組長さんの言葉に虚を突かれ、思わず生返事気味に返してしまう。だけど当の組長さんは、「ならよかった」と満足げな表情を浮かべ、膝上の麻沙ちゃんと顔を見合わせていた。
――というか今の……ニュアンス的に、もしかして……
「なら良かった――じゃ、ちょっと準備してくるからここで待っててください」
「え、あの――あ、はい……」
だけど、言うやいなや――というか、言いながら麻沙ちゃんと別室に向かう組長さんに、その真意を聞くことは叶わず。
気付けば私は、埃っぽい部屋に一人取り残されていた。
〇
それから、五分も経たない後。
手持ち無沙汰にぼーっと蛍光灯を眺めていると、ふと、部屋の扉がノックもなしに開いた。
音につられて扉を見ると、そこにはさっきの二人――ともう一人、彼らの手を握る小さな女の子がいた。麻沙ちゃんよりも更に幼く見える、ともすればまだ10歳にも満たないような、とにかくそれくらい小さい子だった。
――正直、ちょっと肩透かしを食らった気分だった。
というのも、組長さん――赤人さんが麻沙ちゃんを連れて出ていってから、一人の部屋で蛍光灯を眺めている間、面接の最後の質問について考えていた。
――『これから何を見聞きしても、うちの会社で働いてくれますか?』
創作物なら、大方この後身体がドロドロに溶けたヘドロみたいなクリーチャーとか、あるいはおぞましい死体がたくさん積まれた謎の儀式部屋みたいなところとか、そういうとんでもない物を見せつけられる台詞だ。
自称組長の人がこんな前置きをしてから出してくるようなものなんて、ロクでもないものであることはまず間違いないだろうし、法規制されてるようなものでもなんらおかしくない。
……そう思って、少しは身構えていたのだけれど。
「こ、こんにちは……! わたしは、もちづき まきなです。――えっと……」
赤人さんのそれによく似た黒い髪を、麻沙ちゃんと同様に腰まで伸ばした彼女は、パッチリと開いたそのガラス玉のような瞳を私の視線に割り込ませ、まっすぐこちらを見てそう言った。
一生懸命話す彼女。拍子抜けの体ながらも、私を見上げる彼女にまずは目線を合わせるべく、膝を折って返事をする。
「あ、えと、初めまして、枯野 緋秋です。こんにちは、マキナちゃん」
「う、うん……こんにちは。んと――か、枯野さん……?」
名前を呼ぶと、彼女――マキナちゃんは、照れたようにはにかんで応じてくれた。年相応の表情に、ついつい頬が緩む。
その様子を微笑みながら見守っていた赤人さんが、だし抜けにマキナちゃんの髪をわしゃわしゃとかき回す。
「わ、わぁ!?」
当惑の声を上げ目を白黒させるマキナちゃん、しかしそれを黙殺するかのように、髪をかき回す手つきをより乱暴にしながら、彼は明るく笑った。
板についた仕草だな、と思う。多分、この笑みこそが素の彼なんだろう。
どんなひねくれ者でも、大抵子供の前では素直になるものだから。
「なーに一丁前に硬くなってやがる」
「こ、子供あつかいしないでって! ――だって、しらない人と話すの、その、なれてないし……」
尻すぼみな返事だった。図星過ぎて返す言葉もないのかな。
めちゃくちゃになった髪の毛を、短い両腕をいっぱいに伸ばして直す彼女。その仕草には、母性というか庇護欲というか、とにかくそういった類の感情を掻き立てるものがあり。
――ぷに、と。
「わっ!? ……え、な、なに――?」
衝動的に、私の人差し指がマキナちゃんの頬を突いてしまった。
「うわぁ……」
思わず、口から感嘆の声が漏れる。
――餅かと思った。
本当に、息を吞んでしまうほど素晴らしい突き心地だ。指先が沈み込むくらいふわっふわなのに、ある程度まで押すと、今度は絶妙な具合で指先を押し返す弾力も併せ持った頬。触ったことないけど、高い寝具の触り心地ってこんな感じなのかな。触ったことないけど。
指から伝わる心地よい感触と、
「ちょ……ちょっと! あは、くすぐったいよ!」
――まったく、どの口で『子供あつかいしないで』などと言っていたのか――私の指をその小さな掌でつかんで、楽しそうに笑うマキナちゃんの可愛らしさに、つい表情が緩んでしまう。
ついさっきまでの緊張もとうに消え失せ、キャッキャと楽しそうにはしゃぐ二人は、傍から見ればかなり微笑ましいものであったと思う。
と、
「んじゃあ、マキナとのアイスブレイクも済んだところで――枯野さん」
「んぁ、は、はい!」
ニヤニヤしながらニコニコしているような――例えるなら、猫と猫のじゃれ合いを見つめる飼い主のような――妙な生暖かさを感じる目で、赤人さんが言った。
「今さら言うまでもない気がしますけど……面接の結果は、合格です。諸々はまた後日連絡するんで、今日のところはお戻りくださって下さい」
――と。
「……おにぃ、流石に敬語へたくそすぎない……?」
「慣れてないんだよ、いいだろ組長だし」
「一般的な組長、社会性要るけどね……」
「組員3人――あ、いや4人になるのか……4人の組の組長なんてまともなわけねえだろ。他の組から隠れてるのもコミュ障だからだし」
「……自分で言ってて、悲しくないの……?」
「うっせ! うっせ! あ――――――!!!」
またやってる……。
私を他所に再び掛け合い漫才を始めた二人から目を逸らして、私は手持ち無沙汰にマキナちゃんの頬をまた弄り始める。子供特有の体温の高さに、ちょっと驚いた。
――現実味が薄い面接だったからか、合格の感動はあまりなかった。
頬を引っ張ったり戻したりしながら、どこかぼんやりした頭で、結局最後まで業務内容もまともに知らないまま終わったなぁ……と思った。それからちょっと考えて、まぁ別にいっか……とも思った。
するとその矢先、なんだか全身の力が抜けて。
あぁ、終わったんだなあ、と。目を閉じて、そんな余韻に浸る。
しばらくして、目を細めて喜んでいたマキナちゃんが、ふと、何かに気付いたかのように目を開き。
「――あ、また子どもあつかいしてる!」
と、突かれている頬を膨らませて怒った。
一応、この話を以て一区切りとします。
次回からは、緋秋ちゃんが極悪非道の望月ヤクザに毎日17時間労働週7勤務を課せられ、泣きながら昼食に食べる東京ラーメンの食レポ小説が始まります。
──なんて、冗談です。本当は昼の東京ラーメンではなく、夜の激安居酒屋を同僚と二人で巡って食レポする小説が始まります。