バカ親子
軽やかにスキップをしながら廊下を進む少女が一人。
「ふふ〜ん!圧勝です!シオンくんに褒めてもらえますかね?」
試合に勝って愛しのシオンに甘える。
レナの頭の中はその事で一杯だった。
そんな有頂天な気分に水を差すかのように一人の男が彼女を呼び止めた。
「そこの女、先程は見事な戦いぶりであったぞ」
「え?あ、はいどうも」
その正体は四大公爵が一人、ワルビー・バッハだった。
ぺこりと一礼だけして去ろうとするレナをワルビーは引き止める。
「少し待て話があるのだ。わしの名前はワルビー・バッハだ。名前くらい聞いたのことがあろう?」
「ワルビー・バッハ・・・っ!」
名前を耳にした瞬間レナは以前、入試の際に起きた嫌な出来事を思い出す。
そう、しつこく言い寄られナンパされたことだ。
彼女は咄嗟に後ずさりながらこの場を離れようとするがワルビーはそれを許さなかった。
「待て待て、わしは話があると言ったろう?」
「いえ、すみません。今急いでるので・・・」
「そんなもの後回しにしておけ。今はわしを優先しろ」
「嫌!来ないで!」
嫌がるレナを無視してジリジリと詰め寄るワルビーはいよいよ壁際へと彼女を追いつめた。
「どうだ?わしの妾にならんか?」
「お断りします!私には恋人がいますので!」
「ふん!恋人と言っても所詮はガキじゃろう?大人のわしの手にかかればそんなガキのこと忘れるくらいにお前を快楽に溺れされることは容易いぞ」
「嫌です!私は初めては彼に捧げるって決めてるんです!そして初めて以降もずっと彼のものなんです!」
何度訴えても聞く耳を持たないワルビー。
そしてレナの手を壁に押さえつけたワルビーはまじまじと彼女の体を見ると舌なめずりをした。
「おぉ、堪らん体をしておるな。どれ、わしが試してやろう、着いてこい」
「いやぁ!触らないで!私に触っていいのはシオンくんだけなんです!」
「黙っておれ!ふむ、とりあえず唇だけ奪っておくかのぉ」
そう言ってワルビーはレナに顔を近づけるとその柔らかい唇を塞ごうとした。
「嫌です!やめてぇ!助けてシオンくん!」
必死に抵抗を試みるが四大公爵家の当主の力の前には為す術なくと言ったところだ。
ワルビーへの嫌悪感、シオンに対する申し訳なさでレナの目にはじわじわと涙が溜まってゆく。
そしてどんどんと距離が縮まってきてもうダメかと諦めそうになったが、脳裏に愛する者の顔が浮かぶと彼女は。
いや!絶対に最後まで抗ってみせる!
と決意し、もう一度力を込めて抵抗をしようとしたその時、遂に彼女の想い人が姿を現した。
ヒュンッ、ドガンッ!
「ぐっ!」
尋常じゃない速度、あのワルビーが気配の察知に遅れるほどの速さで間に割り込み、ワルビーを蹴飛ばしてレナの前に立った男の子。
レナにとってたった一人の心も、いずれは体も許すと決めている最愛の人。
自身の窮地にはいつでも必ず駆けつけて助けてくれるその男の子の名をレナは呼んだ。
「シ、オン、くん・・・」
彼女に呼ばれ振り向いたシオンの表情は穏やかでレナを安心させるには十分なものだった。
「レナ、大丈夫だった?何もされてない?」
「ぐずっ・・・はい、ジオン、グンがぎてくれましたので・・・ずびっ」
安堵したことで涙が溢れて言葉に詰まりながらも何とか答えようとする彼女の頭をシオンは優しく撫でた。
「間に合って良かった」
「はい・・・あの、シオンくん。その、一つだけお願いがあるのですが・・・」
レナが恐る恐るといった具合にシオンへ尋ねた。
「何?何でも言ってごらん」
「これが片付いたら、シオンくんの試合が始まる前にそのですね・・・」
「うん」
「その、あ、甘えさせていただきたいというか・・・キ、キスを、所望したいと申しますか・・・」
顔を真っ赤にさせて可愛らしいおねだりをする彼女を愛おしく思いながらシオンはレナの願いを了承した。
「ははっ、わかったよ。レナの思う存分してあげる。それに俺も我慢出来ないしね」
「え?」
「君が他の男に汚されそうになった時、やつを殺してこの世の全てを敵に回しても構わないと思ってしまうくらいに怒りが湧いたんだ」
「シオンくん・・・」
「だからレナがもう無理って言っても絶対に辞めてあげないからね?覚悟しておいて」
「ふぇ!?は、はい!の、望むところです!」
彼女は照れながらも答えてくれた。
そんなレナに少し力を貰うべく、つまみ食いと言う表現が正しいだろうか、彼女の額に一度軽く口付けをした。
「シオンくん!?」
「あははっ、これで頑張れる。待っててね」
「はい!応援してますよー!」
両手をグッと握って、フンスッとした鼻息が聞こえてきそうな程に気合いを入れた彼女を見て微笑むとシオンは振り返って今しがた自分が蹴り飛ばした相手を見据えた。
見据える眼光は鋭く、先程のレナに向けた穏やかなものとは打って変わって、憤りを一切隠す様子もない厳しい表情であった。
「ねぇおじさん、俺のレナに手を出そうとしたね?」
シオンの放った言葉に 少々よろめきながら立ち上がったワルビーが答えた。
「くそっ!一体何者だ!わしが気配を感じることすらできなかったとは」
「そんな事はどうでもいいからさ、答えてよ」
「はっ!ガキが!教えてやろう、この娘にはわしの妾という大変光栄な」
そこまで言ってワルビーは口を噤んだ。
その理由とは・・・。
「なんなのだ!この冷気は!?」
今、三人がいるこの空間の温度が一気に下がり、口から白い息が出るくらいに冷え込んだからであった。
「はぁー、ほっんと親子揃ってどうしようもないね」
「貴様!バッハ家を侮辱するか!」
「俺はただ事実を言ったまでだ」
「くそ!いい加減にしておけその態度、わしを誰だと思って」
「ワルビーさん」
プライドを傷つけられたワルビーが怒りで声を荒らげたその時、突如現れた一人の男に名前を呼ばれたワルビーは、声が聞こえてきた背後を振り返った。
「ロワードか、貴様がわしになんの用だ」
「いえ、ワルビーさんが席を立たれた際に何か胸騒ぎがしたものですから」
「ちっ、わしが何をしようが貴様には関係ないことだろう?」
「それはそうなのですが、弟子に危害を加えられて黙って見過ごす師がいるわけないでしょう」
淡々と話しているがその語尾には怒りが籠っており、彼の言ったことが真実であることを裏付ける。
「弟子だと?貴様いつの間にそんなものを携えておったのだ?」
「公表はする必要なかったので言わなかっただけで、隠していたつもりではありません」
「どこで拾ってきたのだ?」
「さぁ?どこでしょうね。運命の巡り合わせとしか言えないのでお答えしかねます」
「・・・スカしおって、若造が」
そう言ってワルビーは黙り込んだ。
会話が途切れたのを見計らって俺は師匠にお礼を言う。
「師匠、助かりましたよ」
「急いだのが良かったかもね」
師匠は笑って言うと俺に近づいて、ワルビーには届かないようにコソッと耳打ちをした。
「でも、シオンならワルビーさんくらいだったらどうにか出来たでしょ?」
「・・・50/50ってとこですかね」
「ははっ、十分だ」
「じゃあ、俺はレナを連れて先に帰りますね、無事だったけど精神的には疲れてると思いますので」
「待って、シオン」
そう言って家に帰ろうとするシオンをハーランが呼び止め、何かを投げ渡した。
「シオン、これ」
「うおっと、・・・ん?鍵ですか?」
ハーランから渡さたのはどこかの鍵であった。
「コロシアム近くの高級宿を予約しといたからそこの鍵だよ、今日はレナと一緒にその宿に泊まってくるといい」
「えっ、一緒って・・・二部屋あるんですよね?」
「いや?もちろん一部屋だけど?」
俺の問いを師匠はあっさりと否定した。
もちろんってなんでしょうか?
レナとその・・・大人の運動をするのは学園を卒業した時と、勝手に決めていた俺は慌てて師匠に抗議する。
「いくらなんでも早すぎますよ!」
「シオン、いつもブリューネからも言われているだろ?奥手なままだとレナが不安になるって」
「だ、ダメですって!まだ俺たちは学せ」
必死に言い返す俺を遮る声が入る。
「ありがとうございます!ハーランさん!有難く使わせてもらいますね!」
「レナ!?」
師匠に可愛らしく頭を下げると師匠が頷いたのを見て、俺の手を思いっきり引っ張って駆け出した。
「ち、ちょっと、痛いって!レナ落ち着いて!?」
「紳士なシオンくんもかっこいいですけど、そろそろ男らしいシオンくんも見たいのです!」
「とっくの昔に私の心の準備は万端ですよ!」
有無を言わさない勢いで俺はレナに連れ去られていった。
シオンとレナを穏やかな表情で見送ったハーランはワルビーに向き直ると一転して厳しい表情となった。
「・・・話が変わりますが近年、王国領内に魔人族の者が出入りしていると報告があがっているのですが、ワルビーさんは心当たりはありませんか?」
「・・・わしを疑っておるのか?」
「いえ、滅相もない。バッハ家の情報網に引っかかっっていないか気になっただけです」
「それはそれはご期待に添えず申し訳ないな。わしはその件自体、たった今知ったばかりなものでな」
シラを切って知らぬ存ぜぬの構えを突き通すワルビー。どっからどう見てもこいつが怪しいのだが、ハーランには彼を、公爵家の現当主を糾弾するだけの権力は持っていない。
仕方なくハーランは納得しておいた。
すると難を逃れたと思ったワルビーがハーランに声をかける。
「そうじゃ、お主」
「なんでしょうか?」
「わしは四大公爵家だぞ?あんな冷気をわしに向けるではない。もっと身分を弁えろ」
先程感じた冷気をまだ根に持っているのか、少女を手篭めにしようと企んだワルビーが自分の行いを棚に上げて叱責する。
しかし、身に覚えのないハーランは考えた。
おそらくワルビーはシオンが発した冷気を自分が出したものと勘違いしているのだろう。
ハーランは意味ありげに口角を上げると
「ワルビーさん、私には冷気を出すほどの強力な氷の魔力はありませんよ」
「なんだと?」
「さっきのは私のではなくて、私の弟子。シオンのものです」
「・・・・・・・・・は?」
ワルビーは今しがた、告げられた真実に思わず耳を疑った。
確かに先程、肌で感じたのは冷気、氷の魔力が溢れ出た物で違いはないはず。・・・まさか氷魔法の使い手がもう一人現れたとでも!?
「嘘であろう?氷魔法は貴様しか使えないはずだ。何人もの名だたる魔法騎士が挑むが、会得するのは叶わなかったのだぞ?それがあんなガキに使えてたまるか!」
脳内が混乱する中で浮かんだ疑問を片っ端から言葉に表し、捲し立てるワルビー。
「さぁ、不思議なこともあるものですね」
そんなワルビーをハーランはのらりくらりとかわす。
「真実は明日、分かります」
「・・・もうよいわ」
執拗に尋ねるが、はぐらかすハーランに痺れを切らしたワルビーは質問を諦めてどこかへ歩いていってしまった。
ハーランは去ってゆくワルビーの背中をじっと見つめると、やがて自身も観覧席へと戻っていったのであった。
この場で深く追求ができなかった権力の差が、後に大きな事態に繋がるということを知らずに。




