力の差
やがてそんな生きた心地のしない地獄の時も終わりがやってくる。
鳴り止んだ衝撃音と煙が晴れて騎士たちの目に映りこんだものとは・・・。
所々ヒビが入ったり端の方が欠けたり、ボロボロになりながらもサラマンダーと連合軍の間に佇むロヴィアの聖なる盾だった。
「うおおぉぉー!ロヴィア様の魔法が勝ったぞ!」
「流石です!どうだ見たか竜族め!この方が我らの将だ!」
小さな勝利によって生じた歓声に包まれる中、レドモンドも一緒になって労おうとロヴィアの顔を伺う。
しかしその表情を見たレドモンドは喉まで出かかっていた賛辞をグッとのみ込み、腹の底に戻した。
ロヴィアは顰めっ面をしておりとても辛そうに歯を食いしばっていたのだ。
「どうされましたかロヴィア殿!?どこか具合でも悪いのですか?それとも奴の魔法が貫通してたとか・・・」
「いえ、ご心配無く。奴の魔法は完全に防ぎました」
「だったら、何故そのような・・・」
「防いだんです。防いだのですが・・・。正直に言いますと今の攻撃を一回、たった一回防ぐだけで私の魔力の八割を持ってかれましたよ」
「そ、それは本当ですか!?」
「はい。あと二割弱は残ってますが、もう二回目以降を防ぐだけの魔力は残されていません」
周囲の明るい雰囲気とは裏腹に二人は意気消沈して頭を抱え込んでしまった。
そしてお互いに脳をフル回転させた結果至ったのはこの劣勢の状況を切り抜ける唯一無二の策であった。
「どうやら二人して考えることは一緒のようですね」
「仕方ありませんよ。魔力が残り少ない今、我々は耐久戦などといった手段を取ることは出来ません」
「かと言って短期決戦で倒せる相手とも到底思えない。ならば我らが選択すべき行動は一つのみ」
二人は目を合わせ頷くと同時に策を口にする。
「退きましょう」
「退却ですね」
声が重なり導かれたのは同じ答えだった。
「これ以上抗ったとしても増えていくのは兵の骸だけなのは誰の目から見ても明らか」
「・・・誇りだの何だの言ってられる余裕はとっくに消え去りました。優先すべきは兵の命。我々で奴の注意を引き付けている隙に全軍退却させましょう」
方針が定まったとなれば彼らは素早く動いた。
「エルジン連合、全兵士に告げる!速やかに最低限の武具を取り、負傷者を前方にしてこの場から離脱せよ!!」
下された命令に勝てる!と思っていた兵たちは思わず耳を疑った。
そして納得のいかなかった彼らはレドモンドに反対の意見を述べた。
「団長、何故です?お二方の力は奴に通じてます!」
「そうですよ!ロヴィア様も何を迷っておられるのですか!あの竜は今後必ず我らの前に立ち塞がることになるでしょう。今はその憂いを取り除ける絶好の機会です!」
「お二方はどうかご再考のほどを!」
不満の声が次々と湧いてくる。
レドモンドは自軍の力を過信し、敵を甘く見る愚かな部下たちに遂に堪忍袋の緒が切れた。
「いい加減にしろ、お前たち!」
ビクゥッ!
兵士たちはいきなりの叱責に驚き肩を震わせた。
「私たち二人の力を信じてくれるのは大いに結構」
「だがしかし、相手の力量だけは見誤るな!その過ちが取り返しのつかない失敗に繋がる可能性もあるんだぞ!」
「先程は大見えを切ってお前たちを鼓舞した身で情けないことを言っているのは百も承知だ」
「お前たちの期待に添えなかった。私はこの結果をちゃんと受け、次への糧としたい」
「団長・・・」
「だってそうだろ?命さえあれば諦めない限り何度でも挑戦することが出来るんだからな」
「・・・」
「皆んなここは退くんだ。そしてまた挑もう。失ってしまった尊い犠牲を無駄にしない為にも!」
「はい、承知しました団長!」
自分たちの過ちを理解してレドモンドの指示に従う事を決めた兵士たち。
急いで武具を手に取ると負傷者を庇いながらレドモンドとロヴィアに背を向けて安全な領内まで走り出した。
その様子にレドモンドが一安心していると流れを見守っていたロヴィアが話し掛けた。
「重ね重ね感謝致します。私では兵たちの心を動かすのは不可能でしたので」
「礼は不要ですよ」
「了解しました。では私たちも仕事をこなしましょう」
「はい」
揃ってサラマンダーの方へと振り返る。
「待たせたな、炎龍・サラマンダーよ。お前の相手は私たちだ!」
「ほう・・・お前ら如きに我を倒せるとでも?」
「勿論・・・と言えたら格好良いのだが生憎私たちにその術は無い」
「しかし、お前を止めて退却の時間を稼ぐことくらい造作もないわ!」
「はははっ、威勢の良さは認めてやろう」
サラマンダーは不敵な笑みを浮かべる。
レドモンドとロヴィアの言葉は冗談半分に聞き流しているようだった。
二人を嘲笑う態度に沸点が上昇するがそこは歴戦の将、闘志は燃やすが頭は冷静に。
人の上に立つ者として最も重要な事を弁えている。
「先ずは私から!」
ロヴィアが一歩前へ踏み出す。
《聖なる濃霧》
魔法の詠唱をし終えたのも刹那、白く濃い霧がサラマンダーの体を包み込む。
視界の奪取の成功を確認すると直ぐにレドモンドは助走をつけて地面を蹴ると天高くへ跳躍した。
《天降・水龍斬》
レドモンドの一撃必殺の剣技だ。
振り下ろされた剣は次第に水を纏う。
そしてレドモンド自身をも包み込むとそれは一匹の龍へと形を成した。
「うおぉぉぉぉ━━━━━━!!」
雄叫びを上げサラマンダーへと突き進む。
そしてレドモンドの剣がサラマンダーを捉え、灼熱の装甲を貫き奴の肉を断つ音が聴こえると思ったロヴィアだったがその予想は外れてしまう。
辺りに響いた音とは・・・。
キィ━━━━━ン・・・・・・・・・・・・
・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・パキンッ。
「え?」
「は?」
耳に届くのは期待したものとは随分とかけ離れた別の音。
剣撃が鳴り響き間を置いて剣が折れた音がした。
理解が追い付かない二人。
しかし、その答えは直ぐに知らされることとなった。
ぶつかり合った衝撃で吹き飛んだ霧から見えたサラマンダーの手には一本の大剣が握られていたのだ。
そして案の定、折れていたのはレドモンドの剣であった。
「随分と脆い物を使っているのだな。まぁ、非力なお前たちにはお似合いの代物だ」
「お前・・・何だその剣は!?何処に隠していた!」
レドモンドの問にサラマンダーは答えない。
途端、ロヴィアが叫ぶ。
「レドモンド殿!直ちに体勢を・・・!」
「、ッ!」
その声でレドモンドは気付いた。
自分は未だに宙に浮いており、剣は折られて丸腰の状態。そして尚且つ、敵の間合いにいる無防備な獲物であるということを。
「今更気付いたのか・・・。だがもう遅いわ!」
「や、やめ・・・」
ザシュッ。
ロヴィアの静止も虚しく、サラマンダーは大剣で薙ぎ払うとレドモンドの上半身が裂けて血飛沫が飛んだ。
「うぐ、・・・ごほっ!」
地面に倒れ込みうずくまるレドモンド。
手で胸元を抑えてはみるが血はとめどなく流れる一方だった。
「弱い・・・弱過ぎる。何故その程度の実力で我を止められると錯覚したのだ?誠に愚かなり」
サラマンダーは吐き捨てるように言うと大剣に付着した血を振り払い、地面へと突き刺した。
「あぁ、そう言えば退却などと宣っておったな。我が獲物を取り逃がす失態を犯すとでも思ったのか?」
サラマンダーは上体を屈め両手で大剣の柄を握ると火球を幾つか地へ打ち込んだ。
ドクン、ドクン、ドクン。
打ち込まれた火球は大地に溶け込むと真紅の血脈が地を這いずり、やがてはブリングス平原の端まで行き渡った。
当然それは退却中の兵士たちの先へと伸びていき、最悪な結末を予感させるには十分なものだった。
「き、貴様、何をするつもりだ!」
「愚かな人間族、エルフ族共に教えてやるのだ。己の無力さを。埋まる事の無い絶望的な力の差をな」
大気を揺るがす威圧感のある声で言うとサラマンダーは刺さったままの大剣を更に深く突き刺すと魔法を唱えた。
《深炎の大地》
詠唱を終えると地面に亀裂が走り、各地から爆炎が噴出して兵士たちを襲った。
「うわぁぁぁぁー!」
「助けてくれぇぇぇー!」
完全に意識を退却することに注いでいた彼らにはその大規模攻撃はひとたまりもなく、次々と炎に焼かれて数を減らしていった。
ロヴィアはレドモンドを庇いつつ炎を躱すという神経を擦り減らす行為を何度も繰り返す。
しばらく続けているとロヴィアが神妙な面持ちでレドモンド見て一つの提案をした。
「レドモンド殿・・・もう詰みです。兵は既に全滅しているでしょう」
「くっ・・・」
「私は最後にあなたと戦場を共にし共闘出来て良かった。大事なことに気付かせてくれたあなたにとても感謝しています」
「ロヴィア殿?」
「傷は軽くですが治癒しておきました。バルハン王国までは何とか持ち堪えると思います。ですから・・・レドモンド殿はお逃げ下さい」
「駄目です!私も戦いますよ!あなた一人を残して私だけが帰還するなんて出来ません!死線を共にした盟友として最後は・・・」
パチンッ!
ロヴィアがレドモンドの頬をはたいた。
「目を覚ましてください。自暴自棄になってはいけません」
「ですが!」
「あなたは娘さんをこの先一人にするおつもりですか?」
ロヴィアと厳しい言葉に脳裏で出陣前に見納めたセイランの笑顔が霞む。
「わかってくれたようですね。大丈夫ですよ、私の想いを持ち帰ってまたリベンジしてくれる。それだけであなたを活かすことが出来た私は報われますから」
「ロ、ロヴィアど、の・・・」
涙で視界が歪む。そんなレドモンドに手を差し出して立たせるとロヴィアはそっと背中を押した。
「さぁ、早く娘さんの元へ。遊びに連れてってあげるんでしょ?」
「ありがとうございましす。背中を預け合ったあなたとの記憶、生涯忘れません!」
レドモンドは足を引き摺りながらも可能な限りの速度で走っての離脱を試みた。
「父上・・・みんな、戦果を得られず申し訳ない・・・」
ロヴィアは彼を見送った後に天を見上げて呟いた。
そして深呼吸をしてサラマンダーへと向き直るとロヴィアは右手で自身の左胸を貫き心臓を鷲掴みにした。
《魂聖弾》
これはエルフ族二伝わる秘術。自分の命を投げうって標的を仕留める自爆技だ。
空気中二存在する聖なるマナは彼の元へ集い、ロヴィアは眩い光の弾丸となった。
「私の命と引き換えにお前を道ずれにする!」
己の信念を託した者を信じて弾丸もといロヴィアはサラマンダーへと目にも止まらぬ速さで突進した。
その威力は並大抵のものではなくこの世界の上位の竜でも即座に消し飛んでしまう程だった。
・・・そう、この世界に居た竜ならば。
サラマンダーは刺さっていた大剣を抜き取ると頭上に掲げると一気に振り下ろした。
そして・・・。
ズサァァッ!
一刀両断、真っ二つに切り裂いた。
それに伴いロヴィアの気配は完全に消滅したのだった。
「ロヴィアどのぉぉぉぉ━━━━━━!!」
絶叫するレドモンド。
大切な友の死を前に気が動転する。
「貴様生きておったのか。まぁ良いわ。・・・死ね」
《獄炎球》
ボンッ。
先程よりも高火力の火球を放った。
迫り来る火球を防ぐ力も避ける気力もレドモンドにはもう残されていない。
レドモンドは呆然と火球を眺めながら散っていった仲間たちを思い浮かべていた。
浮かんでは消え、また浮かんでは消える。
走馬灯のように次々と湧き出てくる。
そして残された時間もあと僅か。
ラストを飾るのはやはり愛する娘、セイランの顔。
「すまない、セイラン。約束は・・・」
レドモンドの最後の呟きは誰にも聞かれることなく燃え盛る獄炎の海に消えていったのであった。