02 恋人の夢
「んん……」
ガーランドの隣で丸くなっていたカーネリアが目を覚ます。
「おはよう」
先に起きていたガーランドが手を止めて、不器用に笑いかける。
「…おはよう。グリンはいつも早いね」
「眠りが浅いんだけだと思う」
「お腹空いてる?」
冒険者らしくどこでも眠れるカーネリアは、それが少し恥ずかしくて話題を変えた。
「ううん。まだ大丈夫。今、いい感じだからもう少し後にする」
そう言って、手元の白い紙に再び何かを書き始める。
「頑張ってね」
真剣な横顔が眩しくて、嬉しくなる。
「書けたのはどこ? 読んでいい?」
邪魔にならないように尋ねると、『そこにあるよ』とベッドの隣にある小さなサイドテーブルを指す。
机の上には手元にあるのと同じ白い紙が数枚重なっている。
邪魔にならないようにスルスルと静かにベッドから出る。
薄い生地の寝巻き一枚の自分に気付いて、コソコソと着替える。
筆が乗っているガーランドの邪魔にならないこと、というのもカーネリアの大切な仕事だ。
筆が乗らない時に気分転換させるのも役目だと思っている。
身だしなみを整えたカーネリアは鼻歌を歌いながらお茶を入れる。
フワフワと紅茶の優しい香りが部屋に満ちる。
1つはベッド横のサイドテーブルの上に、もう1つは、ダイニングテーブルに置く。
本棚の前に立つ。
さして大きくない本棚には、数冊の厳かな雰囲気のある古書の他に、まだ新しい、しかし、堂々たる装丁の本が一冊ある。
その銀により縁取りがされた分厚い表紙の緑の本を取り出す。
本を開けば同じ白い紙が綴じられている。
カーネリアはそこに新しいページを綴じる。
その本を両手で大切に持ち、そっと机の上に置く。
そして、丁寧に本を開く。
堂々たる本を開けば装丁に似つかわしくない、歪つに尖った癖字がフラフラと並んでいる。
ガーランドの字だ。
見慣れた癖字に愛おしさを覚えつつ、文字を辿る。
ガーランドの夢であり、生きがい、それは作家になること。
創作に関わるブックを持たないガーランドが、作家として成功するのはとても難しい。
〖文豪〗や〖心躍る者〗と言った高位のブックはもとより、〖筆まめ〗や〖読み書き〗といったいわゆるハズレのブックであっても、あるのとないのでは大きく異なる。
『人に伝えるために必要なこと』を本能的に理解し使いこなす者たちを相手に、ブックを持たない物は、沢山の知識を蓄え、それを理論化し、実践する必要があるからだ。
始めるきっかけ、始まりのレベルが既に大きく異なってしまう。
しかし、不可能ではない。
過去には文才に関するブックを持たずに作家として大成した者もいる。
努力の先に未来はある、それは事実だ。
ガーランドにも可能性は残されている。
ガーランドの作る話は単純だ。
『史上最強のスーパー冒険者ダマンドの冒険』というタイトルで、ブランクの少年が旅をしながら、その先々で悪いブック持ちを倒していく。
そして、可愛い女の子に次々と愛を告白されていく。
正直カーネリアにはこの話の面白さはよく分からない。
侯爵令嬢であったカーネリアが幼い頃から触れてきた本や話は、いわゆる古典とか文学とか呼ばれるものだ。或いは詩など。娯楽ではなく教養や芸術の範疇のもので、ガーランドが血熱を上げる大衆娯楽というジャンルにはほとんど触れたことがない。
よく知らない自分の面白いかどうかなどという感想はどうでもいいと思っている。
初めて読んだ名作古典『変遷』は、初め難解に過ぎて、何が書いてあるのかさっぱり分からなかった。
しかし、家庭教師により解説を受けた時、余りの奥深さに涙を流した。
家を出奔する際にも大切に持ち出し、今でも時々読み直している。
読み直す度に新しい発見があり、感動がある。
ワーレン・フィラの詩集『夜と月』もそうだった。
ワーレンの詩は一遍で見れば、よく出来た音遊び、言葉遊びのような心地よい韻律が特長の軽やかな詩ばかりだ。
しかし、それらが詩集として編纂され、更にワーレンの生涯と重ねた時、詩集は1人の魂という小さな枠組みを超え、人の持つ普遍的な優しさ、美しさ、愛しさを著しているのだと分かる。
猜疑心が鎌首もたげたとき、卑屈に押しつぶされそうになるとき、彼の詩を諳んじれば、心が安らぎ、人の優しさを思い出すことができた。
そういう体験が多くあるため、何も知らないくせに面白くないというのは間違っていると思っている。
読み始めれば、癖字の読みにくさ、誤字の多さ、出る度に微妙に登場人物や固有名詞が違っていたりして、思うように頭に話が入って来ないが、そんなことはどうでもいいのだ。
若い少女ばかりで商隊を組む責任ある立場のリーダーが足し算、引き算が出来なくていいのか?とか、〖剣聖〗が振るう砦すら両断する渾身の一撃をただの人である主人公がひょいと素手で掴んでその剣を叩き折ったりと、なぜそんなことになるのかさっぱり分からない展開があったりするが、そんなこともどうでもいいのだ。
カーネリアが気になるのは、出てくる女性の多さと、その容姿である。
主人公の周りに現れる女性は、みんな小柄で胸が大きく、目がくりくりとしている可愛らしい感じだ。
性格も、素直でどこか抜けていて、わざとらしいほど鈍臭い所がある。
良く言えば庇護欲をそそられると言うのかもしれないが……。
それはいいのだが、気になるのは、自分がそういうタイプではないところだ。
割りと気が利く方だと思うし、何かをしてもらうよりも、する方が好きで、実際そういう場面が多いと思う。
見た目も可愛いらしいと呼ばれることは少ない。
胸もさほど大きくはない。
いやいや作り話だから…と思うのだが、少し考えてしまう。
「あ……」
「どうしたの?」
そんなカーネリアの思索を破る微かな声。
ガーランドを見ると、手が止まっている。
「紙が……」
「ああ…」
何が起こったかすぐに分かる。
「紙が無くなっちゃった……」
ガーランドはひどく悲しそうな声を出す。
「ごめんね、買い置き無いんだ…」
すぐに謝るカーネリア。
「うん…」
筆が乗っていたからだろう。
随分としょげている。
「その……また明日買ってくるから、とりあえず朝ごはんにしよっか。すぐに作るね」
カーネリアは、明るい声でそう提案した。