01 新しい生活
「あ゛あ゛ぁ〜、つ゛か゛れ゛た゛ぁあ〜」
夏の日差しも緩み始めた昼下がり、肩甲骨まで伸びた黒い髪を2つに括り、とぼとぼと歩く女の子。
スッキリした目鼻立ちと、しゃんと伸びた背筋、に似つかわしくない呻き声を上げている。
背中に背負った剣と杖と盾が1つにくっついた長尺の武器・ダンサーが歩調に合わせてフリフリと揺れている。
【カーネリア・レ・マーロウ】、16歳。
王国でも有数の有力貴族、マーロウ侯爵家の令嬢である。
今は色々あって家を出奔、冒険者をしている。
この世界には〖ブック〗と呼ばれる特殊な能力があり、その能力が発現することで様々な恩恵を受けられる。
カーネリアは〖治癒戦士〗という戦闘向けのブックを得ている。
このブックは治癒術と近接戦闘が得意になる。
これを活かして冒険者をやっている。
慣れた道を歩くことしばらく、収納住宅が見えてくる。
今の家だ。
建ってから時間は経っているが手入れがされており、ボロいという印象はない。
以前はなかなかなボロ屋に住んでいたのだが、数ヶ月前に遭遇した魔人襲撃事件の報酬でまとまったお金が入ったので思い切って引っ越した。
マーロウ家の価値観で言えば、飼い猫たちをこの部屋に住ませると言ったならば、言い出した世話係は、仕事とどころか頭と体がお別れになるだろうが、自分が頑張ったお金で借りているので小さかろうが古かろうが、大切な家なのだ。
それに何より大切な人がいる。
体は疲れているが、家に近付けば心が弾む。
とぼとぼだった足取りも軽快になる。
トントンと軽やかに階段を登り、ドアを開ける。
白い壁紙の部屋。
入ってすぐには台所。
小さいが使い込まれた清潔な道具が整然と並んでいる。
その向かいにはシャワールーム。
カーテンで仕切った奥には大きな窓のあるリビング兼寝室。
今はカーテンが開いており、入口から部屋が見える。
見えているのは本棚とダイニングテーブル。
部屋に入れば大きなベッドがある。
「ただいまー」
さっきの『つ゛か゛れ゛た゛ぁあ〜』と同じ人とは思えない可愛らし声。
「おかえり」
帰ってくるのは細い声。
「グリン、起きてて大丈夫なの?」
ベッドの上で上半身を起こしているのは、茶色い柔らかな髪をした少年。
名前は【ガーランド】、16歳。
物憂げな瞳と、少しやつれた頬。
顔立ちだけ見れば儚げな美少年と言えそうだが、表情の卑屈さが先に目立つので、美少年という印象は受けない。
書き付けていた手を離し、カーネリアを見ている。
「うん。今日は調子がいいんだ」
ヒフッと片頬を上げて軽く笑う。
「そう! 良かったわ」
カーネリアの声も弾む。
「カーネリアは大丈夫だった? ケガは無い?」
喉に引っかかるようなか細い声。
心配されているのはカーネリアだが、逆に心配になってしまう。
「大丈夫よ。そりゃ擦り傷とかは出来ちゃったけど」
でも、嬉しいのだ。
以前の同居人は疲れていようがお構いなしで、やれ飯を作れ、やれ掃除をしろと好き勝……
あ、ダメダメ、終わったことはもうどうでもいい。
大昔の話はおくびにも出さず、ニコニコと笑顔を浮かべる。
「シャワー浴びて来るね」
少し恥ずかしそうにそう言うと、浴室へ入っていった。
◆◆◆◆◆◆
「今回はどんな冒険をして来たの?」
カーネリアがベッドの端に座ると、ガーランドが尋ねて来る。
ガーランドは子どもの頃に病気を患い、それ以来、余り動けなくなってしまった。
そのためか、カーネリアの仕事の話――冒険者稼業なので荒事も多い――を聞くのが楽しいようだ。
体の弱いガーランドを置いて仕事に出るのは不安があるが、生活のためと言うだけでなく、土産話を楽しみにしてくれるので冒険者にも力が入る。
「今回はね、腹ぺこ羆の討伐だったの」
今は仕事仲間に男がいるぐらいでグチグチと嫌味を言われたりしないので、以前に比べて少し荒っぽい仕事も受けられるようになったな、と思う。
危険はあるがその分、実入りがいい。
それでも自分がケガをしては、ガーランドの世話をする人もいなくなってしまうので安全にはかなり気を使っているが。
「すごいの!グリズリーが立ち上がったら、私なんて腰ぐらいまでしかなくて! 腕だって私より太かったんだから!」
巨大なヒグマに立ち向かう冒険者の話が楽しいらしく、ガーランドもハラハラと息を飲んで話を聞いている。
聞き上手に誘われて、カーネリアの話も熱が入る。
「それでね、グリズリーに『目潰しの玉を投げて』って叫んだんだけど。まさかの玩具箱使いが、慌てちゃって! 目潰しの玉落としたのよ! なんのためのブックなんだよーって話じゃない……?」
くすくすと笑いながら話しかけると、ガーランドがくすんだ顔をしている。
「どうしたの…?」
「……ううん…やっぱりカラードなんだなーって」
消えそうだった声は更に小さくなり、力なく笑う。
ブックを得た人のことを〖カラード〗と呼ぶ。
この呼び方は、ブックを得られなかった人、〖ブランク〗が使う表現だ。
「……ごめん…」
調子に乗ってしまった自分が恥ずかしい。
「……ううん。僕がブランクなのはどうしようもないから」
か細い声が消え入りそうに答える。
「大丈夫」
カーネリアはガーランドの手を握る。
「ブランクだからって関係ないよ! グリンには才能がある! ブックにだって負けないよ!」
ガーランドへの言葉は真摯で真剣だった。