04 英才教育の使い道
「マリアンヌちゃんって言うの! カワイイねぇ」
油っこいオッサンが揚げ物をつまみながら胸焼けしそうな笑顔で話している。
黒い髪をキレイにまとめ、上品な化粧を施し、少し胸元の緩い黄色い派手なドレスを着た茶色い瞳の女の子がニコニコと相手をしている。
本気になったカーネリアである。
ちなみに、マリアンヌというのはカーネリアが昔飼っていた猫の名前である。
ベトベトした手でベタベタと手を握ろうとするのをさらりと交わしている。
「なんだい?つれないねえ」
しかし、そんな反応も楽しいらしく、ご機嫌に酒を空ける。
空いたグラスを滑らかに引き寄せると、さりげなく水滴を拭き取り、次の酒を注ぐ。
1つ1つの仕草が恐ろしく洗練されているのに、その洗練さがまるで目立たない。
見る人が見れば感動を禁じ得ない、本物である。
本人的にはかなり錆び付いてるな、と思うのだが。
幼少期より叩き込まれた最上流貴族の作法に加え、彼女の周りには超一流の使用人がいたのだ。
生まれつきの性分なのか、誰かにされるより、する方が好きなカーネリアは、給仕を受けるだけに収まらず、給仕の仕方を後学のためにと教えられていた。
教えるが側は悲惨な板挟みだった。
令嬢に給仕の仕方など教えているのが分かれば、どんな叱責があるか分からない。
しかし、緩〜く教えてお茶を濁そうとすると、ちゃんとやりなさいと令嬢本人から激しい叱責が飛ぶ。
カーネリアの父も母もカーネリアには甘かったので、カーネリアに教えろと言われたと説明しても怒られるのは使用人なのだ。
カーネリアの言うことを聞いても怒られ、聞かなくても怒られる。
歴戦の老執事があれ以上の困難は無かったと述懐した一件であった。
それはともかく。
マーロウ家の使用人ともなれば、場面によっては僅かな粗相で物理的に首が飛ぶことすらある修羅の世界である。
そんな世界を支えるプロ中のプロに教えを受けたカーネリアにかかれば、街の安酒場の酔っ払いなど、昼寝している赤子の子守りをする程度のことでしかない。
「マリーちゃん、いつもいてくれないかなぁ」
そんなカーネリアに酒場の女店主が熱い視線を送っている。
「マリーちゃん、ステキですよね」
「すごく優しいんですよ」
「なんでも出来ますしね」
「あ、マリーちゃんが作ってくれたまかない、食べました? ヤバウマでしたよ」
「ヤバかった! あのカレーパン売ってたら週3で通う」
「マジで!? あるの?」
「あ、最後の私が食べた。残ってたから」
「はぁ!?アンタふざけんなよ!?」
「メニューに入れましょうか、あれ」
「「「賛成です!」」」
女中仲間も楽しそうだ。
「……あの程度」
「………ふん」
つまらなそうな顔をしているのは、ナンバーワンとナンバーツーの2人である。
『シロくん、ちゃんとご飯食べてるかな〜? 食べてないだろうな…私のご飯あんまり美味しくないからな』
ニコニコと油っこいおじさんの相手をしながら頭の中は別のことを考えている。
頼みの綱のヘソクリまで使われてしまいお金が足りなくなったので、急遽バイトをしているのだ。
『友達とご飯食べてくる』と言って出てきた。
マシェルはかなりのヤキモチ焼きなので、仕事とは言え、知らない男と酒を飲むなどと知れたらどうなることか分からない。
しかし、1日で即金でそこそこ稼ごうと思うとこの仕事が一番楽なのだ。
ちなみに、冒険者をする時は、男のいるパーティーとの行動は禁止されている。
それが稼ぎを押し下げる要因になっているのだが、マシェルはそんなこと知らない。
知らないのはいいのだが、とにかく金を稼がねばならない。
食事はなんとかなる。
最悪、街の外で鹿の1頭でも狩れば済むから。
問題は家賃である。
今のアパートの大家さんはいい人なのだが、マシェルのことを余り快く思っていない。
前回、支払いが遅れた時に『次遅れたら穀潰しの同居人は追い出すからね。キャリーちゃんはいてもいいけど』と言われている。
そんなわけで遅れるワケには行かないのだ。
今、カーネリア他数人が相手をしているのは、怪しげな商売で成り上がった成金で、最近、男爵位を買い取ったらしい。
人間性は貧しいが金払いがいい上客だ。
「ちょっと! 何してんのよ?」
そんな人間性の貧しいオッサンが金切り声を上げる。
酒が跳ねたらしい。
カーネリアと反対に座っている女の子が、肩だか尻だか胸だかを触られそうになり思わず身をよじって跳ねたようだ。
逃げたくなる気持ちは、店中が共感している。
しかし、こういう人が往々にしてそうであるように、このオッサンもかなりめんどくさい性質である。
「男爵かっ…」
女主人が慌てて駆け寄ろうとしたその時。
「あら、ごめんなさい。でも、男爵閣下の胸板が余りにも逞しくて、お酒も思わず飛び込んでしまったんだわ」
オッサンが続けて爆発する寸前に、カーネリアがするりと間に入ると、艶やかな笑みと共にお酒のはねた上着をすすっと脱がす。
上着の下では、たっぷりBカップぐらいありそうなタプタプした胸がシャツに貼り付いていて、酒と汗と加齢臭の混ざったフレグランスを振りまく。
カーネリアは極めて自然な笑顔のまま、上着をボーイさんに渡す。
「ハディア絹を使ったマーセル工房の逸品ですから、必ず専門の職人に洗わせるように」
そして、ごくさり気なく服を褒める。
それだけでオッサンはさっきの怒りはどこへやら、ダラダラに脂下がった顔でカーネリアの見えそうで見えない胸元を見ている。
その隙に、触られそうになった女の子に目配せをする。
意を察した女の子がスっと席を立ち、他の子と入れ替わる。
「マリーちゃんカワイイねぇ」
ブフブフと鼻息荒く、カーネリアを舐めまわすように見る。
「俺のバロンがバロンしちゃうなあ」
オッサンのオヤジ発言に、数人の女の子がドン引く。
しかし、オッサンの目はかなりイッてしまっている。
女主人すら、どうしようと困っているのに、カーネリアは『ふふっ』と上品に笑う。
そして、オッサンの唾が混ざっているだろう飲みさしのグラスを取ると、一息で空けてしまう。
「グラス、空いてますわね。お作りしますね」
そして、自分が空けたグラスに新しい酒を作り、ネチャネチャした手に、自分の手を重ねながら、グラスを握らせる。
その一連の流れだけで剣呑とした場の空気が元に戻り、オッサンは更にご機嫌になる。
それなりに修羅場をくぐって来た女主人ですら言葉を失う恐るべき手腕だった。
その後、オッサンは正体を無くすまで飲み潰され、カーネリアはオッサンが落とした金のおかげで家賃を滞りなく支払うことが出来た。
『私が頑張れば大丈夫!』
カーネリアこのいびつな暮らしは、自分が努力すればこれからも続けられるのだと信じていた。