07 決別
「カーネリア!? なんでお前こんなところに!?」
思わぬ再会に、声が裏返るマシェル。
カーネリアも、流石にぽかんと口を開けてかつての恋人を見る。
「カーネリア、大丈夫?」
玄関口の慌ただしさにさすがに心配になったガーランドが、ひょこっと顔を出す。
「え!? おい!? 誰だよ、その男!?」
知らない男の登場にさらに慌てるマシェル。
「閣下?」
「いや! ちゃんと説明しろよ!?」
イザベラが隣で怪訝な顔をしているがそれどころではない。
「この人、誰?」
ガーランドが後ろから心配そうな声を出す。
恋人がいきなり訪ねてきた騎士に詰問されていれば、不安と恐怖以外持ちようがない。
「グリン、大丈夫よ。古い知り合い」
カーネリアは、慌てふためくマシェルを無視して、ガーランドの側に寄る。
「知り合……」
知り合い呼ばわりされて、黙るマシェル。
さすがに何が起こっているか分かり始めているが、頭が理解を拒んでいる。
「古い知り合いはないだろう!?」
騒ぐべきではないと頭の片隅ではわかっているが、騒がずにはいられない。
「ごたごたに巻き込まれて、国に拘束されてやっとこさ久しぶりに戻ったと思ったら、書置き一枚で行方不明になって……どれだけ探したと思ってるんだ!?」
ブランクだったマシェルは、人類の天敵である魔人襲撃事件に巻き込まれ〖弱者の導き手〗という神話級のブックに目覚め、魔人を撃退した。
当然そんな人材が元通りの生活に戻れるわけもなく、王国から褒章と言う名の拘束を受けた。
一庶民、それも庶民の中でも下の方だったマシェルがどうにかできることなど何もなく、濁流に飲み込まれる枯葉のように翻弄された。
それでも何とか時間を作り、カーネリアに会いにかつてのボロアパートに飛び込むと、ボロアパートは『あれ?リノベーションしたのかな?』と思うほどに綺麗に掃除され、マシェルの荷物――ほとんどカーネリアが買ったもの――だけが残されていた。
『あなたにはもう私は必要ないと思います。さようなら。カーネリア』という書置きとともに。
何が起こっているのか理解できず呆然とするマシェルだが、そんな悠長なことが許されるはずもなく、再び王国の権謀術数にとらわれ、気が付けば第一独立隊なる新設騎士隊の隊長に任命され、西に東にと奔走することになった。
しかし、マシェルはカーネリアのことを忘れたことは片時もなかった。
マシェルにとってカーネリアは最愛の人であり、恩人である。
ブックを得て、やっとカーネリアを守ることができるようになったのだ。
わずかな休日を利用し、時間を作り、カーネリアの足跡を探した。
しかし、その足跡は恐ろしいほど巧妙に消されており、全く見つからない。
見つからないどころか『有力情報!』と思ったら最後の最後でガセだとわかるなど、公私ともに翻弄されっぱなしのマシェルだった。
マシェルの慌てっぷりを見れば、誰が見ても『ただの古い知り合い』程度の関係でないことは明白である。ガーランドでもわかる。
しかし、マシェルの取り乱しっぷりに比べるとカーネリアは怖いほど落ち着き払っている。
「そうですね、マシェルさんには、ただの知り合いと言うのは少し失礼になるぐらいお世話になりましたけど」
「カーネリア…?」
他人行儀な呼び方に、さらにショックを受けるマシェル。
「もう婚約者もおられると思いますし」
王国が神話級のブック持ちを縛り付けるためにすることなど大体わかっている。
「……」
マシェルに断る術などなかった。
「綺麗な副官様もおられるようですし」
ちらりとイザベラに目をやる。
明らかにそういう目的で副官に任じられているだろうし、イザベラがマシェルを見る目には明らかに上官以上の好意が窺える。
「違う! イザベラはただの副従官だ!」
必死に否定するマシェル。
イザベラは表情を変えていないが、少し目の色が陰ったのをカーネリアは見逃さなかった。
反応を見るに手は出していないのだろう。
しかし、所詮マシェルである。
30で無職で生活力皆無なくせに、15になったばかりの何も知らない少女を無責任に手籠めにするようなロクデナシなのだ。
好意を向けられていることが分かれば、堪えようなどあろうはずがない。
「とにかく、避難ですね。分かりました。避難先はどちらですか?」
「いや、待て!まだ話は全然お
「中央区にありますアルガイル教会です。そちらにて、防御壁を形成し、住民の避難と保護を行っております」
「おい!イザベラ!話はま
「混乱が発生する恐れがありますので、落ち着いて行動くださるようお願い申し上げます」
先ほどとは打って変わってひどく穏やかに丁寧にイザベルが割って入る。
「グリン、避難ですって。準備しましょう」
明らかに何か言いたそうなガーランドを優しく部屋に戻そうとする。
「カーネリア! 話はまだ終わってないぞ!!」
マシェルが詰め寄り、カーネリアの肩をつかむ。
「離してください」
しかし、カーネリアは穏やかに、それでいてきっぱりと拒絶する。
「今のマシェルさんに殴られたら、私は死んでしまいます」
「!!」
言葉を失うマシェル。
カーネリアを掴んだ手が力なく垂れ下がる。
「閣下! 避難勧告はまだ済んでおりません! お急ぎを!」
ショックに打ちひしがれるマシェルを後ろから優しく抱き寄せながら、騎士らしい律義さで部下の務めを果たすイザベラ。
「あ、ああ……」
マシェルはうなずくしかなかった。
「カーネリア……」
それでも最後に言わずにはいられなかった。
引きずられるように歩きながら未練がましくカーネリアに目を向ける。
「俺はどうしようもないロクデナシだが……お前のことを…いや、俺は命を懸けてお前を守る。だから……いや、、あの、避難を頼む……」
今のマシェルがどうであるかはともかく、自分の半分ほどの歳の少女に甘え、縋り、暴力をふるったクズであった事実は消えない。
消えるような声で、なんとかそれだけ告げて、マシェルは足を引きずるように去って行った。
「ブライブ閣下のことは副従官たる私にお任せください!」
「ええ。ま、私にはなんの関係もない話ですけど」
「……」
ふふふっと美しく笑い合う二人の女性に、ガーランドは何も見てないと思うことにした。
◆◆◆◆◆◆
「どうしよう……?」
カーネリアは困っていた。
「こんなに大掛かりな荷物いるの…?」
ガーランドは隣で戸惑っている。
「うーん…いると思うの」
何をもって避難するか?カーネリアは荷物を前に悩んでいた。
これが普通の一時避難であれば、さほど気にしない。
カーネリアは冒険者なので荷物をまとめるのは得意だし、ガーランドも物持ちではないので必要最低限の荷物程度なら知れている。
しかし、カーネリアにはこれがそんな簡単な話には思えない。
まずもって騎士団である。
それもフォコン騎士団。
外征を主たる目的にした騎士達が住民の避難に駆け回る。
騎士団が動いているのも異常であるが、それ以外の目的も見える。
警備隊であれば、避難勧告に対して説明を求める住民が多いはずだ。
しかし、騎士団から指示が飛べば、大抵の庶民は反論なく従う。
つまり、説明しにくく、かつ大きな理由で避難が必要と言うことだ。
更にマシェルの存在だ。
第一独立隊がどのような立場にあるかなど知りたくもないが、彼はブレイバーである。
個人の武力としては、王国でも相当に上位に入る戦力のはずである。
その戦力を避難先に張り付けている。
と言うことは、それだけの脅威がここへ殺到すると読んでいると考えられる。
それだけの脅威……カーネリアの背筋を未だに忘れられない恐怖が駆け上る。
中空に浮かぶおぞましい美の体現者。
自分の渾身の一撃がまるで効かなかった怪物を悠々と屠った達人の生首。
頭を振って想像を追い出す。
「戻ってこれないかもしれない…」
カーネリアがぽつりとつぶやく。
「えっ!?」
ガーランドが青くなる。
「とにかく、荷物を絞ってまとめていきましょう。まだもう少し猶予はあるはずだから」
「う、うん」
しかし、言うは易し、改めて荷物をまとめながらカーネリアは困っていた。
ガーランドの薬に服、着替え、寝具の類もなければ辛い。
水や食料も、悩むところだ。
体が弱いガーランドは、食べられないものも多い。
なんでも気にせず食べられる自分と違って繊細なので、避難先で支給される固い食事は受け付けない可能性が高い。
そうであれば、食料の配分は増やす必要がある。
ガーランドを守るための武器に防具も必要だ。
いざとなれば自分が盾となってガーランドを守らなければならない。
そして、ガーランド本人もだ。
無理をすれば一人で歩くぐらいはできるだろうが、無理がたたって病気になっては大変だ。
背負うことは無理でも、肩を貸すぐらいのことは出来なければならない。
治癒戦士であり冒険者として鍛えているカーネリアは見た目よりも腕力も根性もある方だが、さすがに持てる荷物の量には限界がある。
自分の能力と必要なものを考えながら荷物をまとめていく。
◆◆◆◆◆◆
「準備は出来た? 早く行こうよ!」
小さなリュックにダマンドの冒険とわずかな水と食料を詰めたガーランドが催促する。
「え、あ、うん。出来たわ」
出来た、と言いながらカーネリアの目は本棚を見ている。
本棚には『変遷』『夜と月』の他、彼女が感銘を受けた数冊の本が並んでいる。
もし、街が戦火に包まれたら、この名作たちは焼け落ちてしまう。
それはひどく悲しい。
しかし、彼女の荷物にはこれらをしまうだけの余白はもうない。
心が揺れる。
決心がつかない。
「そんなつまんないボロいの置いて早く行こうよ!」
ガーランドは早く避難したくて仕方がない。
「早くしないと! 危ないよ!」
「……そうね。ごめんね。待たせて。行こう!」
カーネリアは心の中で感謝と別れを告げ、自分の荷物を背負うとガーランドと共に避難先の協会へと歩き出した。




