01 犬小屋以下でも愛の城
「あ゛あ゛〜……疲れた゛ぁ〜……」
春うららかな昼下がりに地の底から響く声。
肩まで伸ばした黒い髪はボサボサだ。
しかし、スっと通った鼻筋と茶色い瞳を据えた大きな目は美人と呼べる。
しかしやはり疲れている。
肩と、胸を覆う革鎧は土とホコリを被っているし、背中に背負っている変な長尺の武器も傾いている。
一仕事終えて帰ってきた女戦士【カーネリア・レ・マーロウ】である。
16歳にして360度どこから見ても完璧な疲れた女戦士だが、ミドルネームの【レ】が示す通り、侯爵家の一員である。
と言うより、マーロウ家と言えば、創国物語にもその名前が出る超々名門貴族だ。
色々あって侯爵家だが、影響力は公爵家以上というのは、貴族社会では常識だ。
そんな名門貴族のお嬢様がなぜ疲れた女戦士なんぞに?という疑問があるが、人生には色々あるのだ。
そのため、人に名乗る時は【カーネリア】とだけ名乗っている。
とぼとぼと歩く先には小さな集合住宅がある。
彼女の帰る家である。
「遅くなっちゃう」
ふと気づいたようにそう言うと、少し早足になる。
近付くとアパートの年季がよく分かる。
壁もハゲてるし、ところどころヒビもある。
かつて飼っていた犬の小屋の方が、大きいし綺麗だが彼女にとっては大切な家である。
「えーっと髪を直して、と」
荷物入れから取り出した櫛で髪を梳かす。
「顔も洗って……鎧もか」
近くの水場でカンタンに洗う。
「うーん…まあ、こんなもんだよね」
気になる箇所は山ほどあるが、今できることはない。
軋む階段を上がって、サビて動きが悪くなった鍵を開ける。
「ただいまー」
さっきまでの『疲れたー』と同じ人物とは思えないかわいい声で言うと中に入る。
「――」
……中はかなり散らかっている。
お菓子の袋とか、屋台の包み紙が散乱しており、色んな匂いがする。
その中に混ざるアルコールの匂い。
カーテンは閉まっていて湿っぽいし、ホコリっぽい。
カーテンを開ければ明るいのに、ランプがつきっぱなしになっている。
「ただいまー」
もう一度言う。
誰に?と思ったら、部屋の真ん中にある大きなゴミっぽいものがゴソゴソと動いた。
「あ、シロくん、ごめんね? 起こしちゃった?」
もちろん、ゴミではない。
同居人で恋人の【マシェル】だ。
31歳。
頭もヒゲもボサボサで、服も適当だ。
尖った顎に、細い腕。
不健康そうである。
目も濁っており、酔っているのが分かる。
顔立ちは整っているとも言えるがそれ以上に何となくキケンな香りがする。
「遅えんだよ!!」
そして、いきなり怒鳴る。
喉が荒れているのか声も掠れている。
「ごめん。思ったより手こずっちゃって」
カーネリアが愛想笑いを浮かべながら謝る。
謝りながら、荷物をしまい、出かける前に作って冷蔵庫に閉まっておいた作り置きを確認する。
「あ…」
少し食べた後があるが、ほとんど残っている。
「シロくんちゃんと食べた? いっぱい残って……」
「うっせえんだよ! んなクソまずい飯食えっか!」
乱暴に立ち上がり、怒鳴る。
酔いのせいか足元がふらついている。
「あ、ごめんね! お料理あんまり得意じゃなくて」
怒鳴りつけるマシェルを支えながら謝る。
触れるほど近づくと酒臭さがよく分かる。
マシェルをなだめながら座らせる。
「なあ?クエスト終わったなら金あるんだろ?」
さっき怒鳴ったのはなんだったのかヘラっと笑うマシェル。
「え?」
思わぬ質問に戸惑うカーネリア。
「なんだよ!? 金あんだろぉっ!?」
自分の想定と異なる返事に一気に気色ばむ。
「いや、それは…」
言い淀むカーネリアにマシェルの眦が釣り上がる。
確かにカーネリアはクエストを終わらせて来た。
しかし、まだ報酬は出ていない。
今回は他パーティの応援で入ったので、受注したパーティが報告をしてからの支払いになる。
そのため報酬が入って来るのは8~10日後だ。
「はあ!? お前ふざけんなよ!? 飯も掃除も全部放ったらかして出て行っといて!? 金がねえだって!? ああっ!?」
また癇癪を起こしたマシェルがカーネリアを殴る。
「ごめん! 痛いよ! シロくん! ごめん!」
丸まるカーネリアに殴る蹴るの暴行を加えるマシェル。
亀のようになりながら、頭の中で考える。
『今回の報酬が10日後に入ってきて…』
手持ちと、これからとを考える。
『ヘソクリを足して……いける…はず?』
考えをまとめる。
「焼き肉! 焼肉食べに行こ? ね?」
「え? 肉!?」
必死に丸まりながら提案すると、マシェルの暴力がピタリと収まる。
「ずっと1人でお留守番してもらってたから、ご褒美! ね? ご褒美! シロくん頑張ってくれたから! 後、お詫び! 美味しくないご飯残して行っちゃったからさ? ね? 美味しい焼肉食べに行こ?」
ニコリと優しく笑うカーネリア。
そんなカーネリアの口の端から血が流れているのを見たマシェルが、途端に青くなる。
そしてカーネリアを優しく抱き締めるマシェル。
「ごめんよ? 痛かったよな? ついカッとなっちゃって、ごめんよ?」
抱き締めながら謝るマシェル。
別人のような涙声だ。
「大丈夫だから、ね? 泣かないで?」
優しい声で慰めるカーネリア。
カーネリアの声に絆されたように抱き締める腕の力が抜け、優しさを取り戻したように柔らかなカーネリアの体の上を滑る。
「あっ……」
無意識に漏れる声。
まだ日は高いが、薄暗い部屋の中には2人だけの時間が流れる。
「大丈夫だからね…」
「シロくんは誰よりも優しいの…」
「シロくんの優しさがいつか世界を救うの…」
「私が支えてあげるから…」
睦言に混じって繰り返される言葉は、虚空を穿ちながら、少しずつ染み込んでいく。