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「一色、散歩に行くぞ!」

「分かりました。少々お待ちくださいね」


 季節は『春』。

 雪が溶け、三寒四温を乗り越え、我々はのどかな世界を取り戻した。世間は入学シーズン真っ只中で、下ろし立ての制服やスーツに身を包んだ初々しい人々の姿がテレ ビに映る。ま、私には関係ないけどな。

 悠一は、警視庁の春の人事異動の関係でまた忙しくなった。


 でもすぐに終わるっていうから、また一緒にゆっくり夕食を食べられるようになると思う。

 別に、そんなに寂しくはないが。一緒に食べた方が美味しいのは確かだ。


 春の芽吹きと共に私の抑えられていた活力が蘇った。 やった! 外あったかい! 防寒具なしで出歩ける!!

 冬の間は頑として外に出なかった私であったが、春ともなれば話は別。私はついにお散歩を解禁した。

 朝食を食べ終えて仕事へ行く悠一を車まで見送り、ちょっとテレビの前でゴロゴロした後、私は霧島に買い物リストを渡されお散歩へと繰り出す。


 勉強は午後からだ。



 天野邸があるのは東京都渋谷区松濤。

 人気の少ない高級住宅街だ。聞けば右隣の邸は文部科学大臣、お向かいさんはあの大物ベテラン俳優の松下龍太郎だっていうんだから驚きだ。

 かち合わせたことはないが(多分身一つで外に出るなんてしないだろう)近くに有名人がいるってだけでちょっとドキマギする。


 ......まあ、そういうわけで外に出てもあんまりはしゃぐ訳にもいかないんだが。なるべく目立ちたくない私にはうってつけの町だ。


 とはいえ、渋谷って言ったら若者の聖地らしい。

 スクランブル交差点とかハチ公とかスクランブル交差点とか......うう、それくらいしか知らないんだよ。あんまりそっち方面には行くなって言われてるし。

 そこから一つ奥へ進んだ松濤は、表通りに反して実に落ち着いた場所である。


「一色、私やってみたいことがあるんだ」

「何ですか?」

「山手線に乗ってみたい」


 私がそう言うと、一色はきょとんとした顔をする。右手にはみりんの入ったビニール袋がぶら下がっていた。

 普段、生活必需品や食品は家に配達してもらうのだが、やはり予期せぬ調味料切れというものはある。

 そんなときに私と一色のお散歩が活躍する。


  「じゃあ、今度二人で山手線に乗って色んなところに行ってみますか。悠一様に話してみましょう」

「やった。あと私、満員電車も乗ってみたいんだ。乗車率120%なんだろう? なんだよ 120%って」

「いや......それはちょっとお勧めしませんけど、一度くらいは体験してみるのも良いかもしれませんね」

「あと、東京ドームもちゃんと中まで入ってみたいな。東京ドーム何個分って、よく分からないし」

「それは多分みんな分からないと思います」


 家から一歩外に出るだけで、見える世界が大きく変わる。

 初めて見る植物や虫、街路の作りなんかも興味深い。この美しい土地に、一体どれほどの歴史の蓄積があるのだろう。すべてが知りたい。すべてを体験したいと思った。


 家から一番近い大きな公園のすぐ側には”交番”があった。警察官が駐屯する箱だ。

 一定区間ごとに必ず交番があり、いつも少なくとも二人の警察官がいる。


 悠一と違ってスーツではなく制服を着ていて、左肩には遠隔無線機(トランシーバー)、腰には拳銃と警棒が携えられている。

 やはり男性ばかりだが、一度だけ婦人警官を目撃したことがあった。うら若い女性だった。


 一色に聞けば、警察官は公務員ーーつまり、国に雇われているという。

 騎士団や憲兵も同じだった。国に必要不可欠な人材や業務は、やはり国が一手引き受けなければならない。


 こちらは公務員の数が多い。

 治安維持だけではなく、戸籍や地域行政の管理局や消防など、あちらにはなかった職種がある。

 官僚の数も桁違いだし、公共の施設も大量にあって驚いた。


 やはり王政ではないから、税金がずっと効率よく国のために使われているのだろう。

 しかし民主主義という興味深い考え方が生まれたのはここ数百年のことで、それ以前は世界の大半の国々が血統による統治を続けていたという。


 ここまで発展するにはそれなりの時間と、労力と、失敗が必要だ。だから歴史を学ぶことが大切なんだ。

 決して自分の世界をけなしているわけじゃない。私はあちらを愛しているし、あちらにも良いところはあった。まったく頭に浮かばないがあった。

 ブランコに揺られながら、一色と他愛もない話をする。


 平日の真昼間っから公園にいるなんて、相当な暇人だ。

 私たち以外の生命体は鳩くらいしかいない。脇道にはランニングをしている老人や犬の散歩中の婦人なんかもいるが、わざわざ座ってまで公園に留まっているような人間は私たちくらいだ。


 背の高い時計は10時半過ぎを指していた。

 すっかりこの公園に馴染んだ私は、あの噴水がどのタイミングで一番大きくなるのかさえ分かる。



「リミナちゃんはさ、学校に行かないの?」


 ベンチに座る一色の隣で煙草をふかす制服警官が言った。


「行かない。自宅学習」

「アメリカンだねえ」


 すぱーっと吐いた副流煙が風に乗って私の方まで飛んでくる。

 ううっ、けむい。 非難の目を向けたが、彼ーー上山相太はどこ吹く風といった具合だった。


 彼は公園の目の前にある交番の警察官だ。勤続うん十年のベテラン、の割には無気力でだらしない。


「風下に立て!」

「あ、ごめんごめん。でも灰皿ここにしかないんだよ。交番(ハコ)で吸うなって言われたからさ。喫煙者には肩身の狭い世の中だよ」


 そう言うと相太は煙草を煙草用のゴミ箱に捨てた。

 こいつ、私らがここに来るといっつも決まって煙草休憩をしにくるんだ。お前サボってて良いのかよ。


「家で勉強してんなら、リミナちゃん『高認』取るの?」

「そう。だから毎日頑張ってるんだ」

「偉いね〜。じゃあ受かったら、おじちゃん美味しいもん奢ってあげるよ」

「回転寿司行きたい」

「お、いいね〜」

「リミナ様......それくらいでしたら私が連れて行きますよ」


 おや、そんなに高級なものじゃないのか。

 前に霧島が出前でお寿司を頼んでくれたのが美味しかったんだよな。それがぐるぐる回るっていうから、一体どんなもんかと思ってたんだけど。



『高認』の勉強は割と飽きることなく続けている。


  今は英語の書きをどうにかしようと奮闘している真っ最中で、これがまた難しい。

 なんてったって、言葉は分かっても私には文字が認識できないんだ。霧島が読み上げてくれれば意味が分かるのだが。


 困ったことに、私の自動翻訳機能は音声にしか適応されない。

 日本人でも英語という言語は幼少期から身近にあるものらしい。確かにカタカナ語の多くは英語が由来だし、服のロゴや会社名、店名にも英語が使われている。 しかし私は、りんごが『Apple』で車が『Car』であることをわざわざ教えてもらうまで知らなかった。


 これくらいならそこらへんを歩いている小学生でも分かるっていうのに。どうしようもできないむずがゆさと悔しさがある。


 というか、アメリカにいた設定なのに英語書けないって、突っ込まれたとき洒落にならないぞ。

 話と聞きはできるからまだ良いものの、簡単な英文さえ読めないのはあまりにも不自然だ。

 だから私も霧島も、他の科目以上に必死こいてやっているところがある。

 そういうわけで、認定を取るまでには少なくとも後一年はかかるはずだ。


 いくら高卒認定といえど難易度はそう低くなく、過去問をちらと見せてもらったが数学以外はまるで解ける気がしなかった。

 そもそも知識の欠如が甚だしいのだ。文字もまだ満足に読み書きできないし。


 ああーー、落ち込む。

 ここまで道のりが遠いとやる気の持続が大変。


「ええ? やる気を保つ方法? んー、そうさねえ」


 私がぼそっと弱音を吐いてみると、相太は新しい煙草を取り出して言った。


「なんか目標でも作ったら?」

「目標?」

「そう。だって、受かることだけ考えたって仕方ないじゃん。受かったらどうしたいの? 大学行くの? 就職するの?」

「......就職しようと思ってる」

「良いね。やりたいことがあるの?」


 やりたいこと......考えたことなかった。

 とりあえず、お金さえ稼げれば良いと思っていた。


 帝国にいた頃はまだ親の脛をかじっていたし、逃亡後も村の何でも屋のようなことはしていたが、大した仕事はしていなかった。

 強いて言えば農業ならできるが、申し訳程度の植物しか残っていないこの東京に、一体いくつ農地があるだろうか。



 街を散歩をしていると、”自称”芸能事務所の人間からスカウトをされることがよくある。


 毎回名刺だけは受け取っているが、悠一も霧島もあまり良い顔をしないので、芸能関係の仕事はない。芸能人は”ぷらいばしー”がないっていうし。


 じゃあ何が一番良いのだろう。

 別にやりたい仕事なんてないしな。しまった。私の無計画性がここにきて露出したぞ。



 相太と別れ、一色と家まで歩いて帰る。


 家に帰るまでの間、一色は私に世の中の様々な職業について、一つにつき3分で説明してくれた。

 説明はありがたいが、いまいち想像がつかない。

 探偵と刑事の仕事なら、毎週楽しみにしてるドラマのお陰で分かるんだけどなあ。


 オフィスものの恋愛昼ドラも見たことはあるんだが、人間の醜さと愚かさにおののいて見るのを止めた。あと単純に小っ恥ずかしかった。

 だってなんか、生々しいじゃん......。

 昼ドラってそういうの多いよなって霧島に言ったら、昼の視聴者層は主婦が多いから、女性が好む作品が集中するとのこと。

 なるほど、この世界のご婦人方はああいうのがお好きらしい。私にはよく分からない。



「お帰りなさいませ。みりんは......っと、ありがとう」


 私はキッチンの端にある安っぽい椅子に腰掛けた。


「なあ霧島、私って『高認』取ったら何の仕事をすればいいと思う?」


 部屋を去る一色の背が見えなくなるくらいにそう言った。

 霧島はキッチンの片付けをしていて視線こそは向けないが、しっかりと私の声は聞いているようでこう答えた。


「メイドとかどうですか。ここの」

「それ、今とそんなに変わらないだろ......」


 確かに料理もできるようになってきたし、掃除の手際も良くなった。

 ふふ、得意料理はハンバーグだ! 霧島がハンバーグさえ作れれば基本的にみんな喜ぶって言ってたからな。早いうちに習得した。


 初めは、霧島の見張りがないと魔法を使って掃除することすら許されていなかったが、最近は魔法がそれほど危ないものではないと分かってもらえたようで。

 二階の掃除はすべて私に一任されている。


 メイドか……霧島の女版ってとこだな。

 でも今まで一人で回していたんだから、正直私とかいらんだろ。もう一人執事がいるらしいし。


「外に働きに出たいんだ」

「では、リミナ様は料理の腕が良うございますから、調理師免許を取るのはいかがですか?」

「調理師免許って......それ、また勉強しなきゃいけないんじゃ」

「ええ。だいたいの方が調理師学校に通って、そこで免許を取得します」

「うーん......」


 この世界には選択肢が多い。

 なろうと思えば何にでもなれる。金と時間と努力が必要だが。それでも身分によって職業が区切られているということはない。

 きっと私が何になりたいといえば、悠一をはじめとしたこの家の者たちは私をできる限り支援してくれるだろう。

 だからこそ困った。自由ってこんなにも悩ましい。


 ただ、やりたいことは何だと言われ、一つだけ頭に浮かんだことがあった。



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