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 これが夢ならばどんなに良かっただろうと、覚醒した私はいの一番に思った。

 看護師に叩き起こされ、朝の検診が終わると朝食が配膳された。何やら野菜と、魚と、穀物と、汁物とーー随分と豪華な朝食だ。

 実を言うと、私にとってこれが初の”異世界の料理”なわけであって。


 良い香りと湯気が私の唾液腺を刺激する。

 じわりと出た舌先の唾を飲み込んだ。 う、美味しそう......けど、ううん......安全か? 違う世界の人間には毒とか......もしかしたらあるかもしれないぞ。


  私が未知の料理を前に食うか食うまいか葛藤していると、ドアの開閉音が聞こえた。

 入ってきたのは看護師ではなく隼人だった。


「ーーってお前、まだ食ってねえのかよ」

「......朝っぱらお前の顔を見ることになるとは。あまり気分の良いもんじゃないな」

「こっちだって好きで来てるんじゃねえんだよ。ったく......」


 隼人は近くの椅子を引き寄せて近くに座ると、じっと私の朝食を見つめた。


「食わねえわけ?」

「腹は減ったが抵抗がある。見たことのない食材ばかりだ。この魚はなんて名前だ?」

「魚は知ってんだ。......時期的にブリとかじゃねえの? 病院食の割に美味そうだし、いらないなら俺が食うぞ」

「......いらないわけじゃない」


 ところで、この二本の棒の使い道はなんだ? こう、刺すのか? それなら最初から魚に刺しとけよ不親切だな。

 すると隼人はああ、と勘付いた様子で、私のトレイの上の二本の棒を手に取った。

 それにしてもこの食器やトレイ......初めて見る素材だ。プラスチック、というらしいが随分と軽くて丈夫なんだな。床に落としても割れなさそうだ。


「お前、箸の使い方が分からないのか」

「......ああ」

「スプーンとフォークは?」

「多分、分かる」


 そう言って私は、別の二つの食器を取った。

 名前は違うが、これは形状も使い方も、私のところとよく似ている。

 ただ私が使っていた食器類は全て木製だったから、ここまで鋭くはなかった。やろうと思えば人も殺せそうだ。


「箸はこう......片方は人差し指と親指で挟んで、もう片方は薬指で支えて......」

「は? ......難しい」


 無理矢理握らされたが、一方の棒は指で支えきれずに落ちてしまった。

 こんなものでどうやって飯を食えって言うんだ。全く機能的じゃない。

 男はこれが日本国の文化だというが、外部の人間にとっては中々難解な代物だろう。


 結局あきらめて、箸を使わずに食べることに決めた。

 恐る恐る白い穀物のようなものを口に運ぶ......温かい。それに噛めば噛むほど甘くなる。こっちでも穀物を水につけて熱にかけてーーという手法で食べることがあるが、こんなに柔らかい穀物は初めて食べた。


「はっ、お前そんなに美味いのか? ニコニコしてるぞ」


 と、隼人が馬鹿にして笑う。

 私は思わず自分の顔を触った。彼の言う通り頬が自然と緩んでいた。......全く気がつかなかった。

 こいつは無視しよう、非礼な男は無視に限る。


 一口一口、噛み締めて喉に流し込む。塩味があるーーこれだけでも贅沢すぎるくらいなのに、まるで獲れたてみたいな新鮮さがあった。

 魚には脂身がのっていてじんわり舌に溶け込む。青菜は柔らかく、他の野菜はシャキシャキしていて水々しい。虫食い跡さえない。


 隼人の助言を黙って聞き入れ、魚を白い穀物ーー米と一緒に食べたら更に味に深みが出た。そうか、一緒に食べるというのも美味しいものなのか。


「美味しい......お前たちはこんなものを毎日食べられるのか。幸せだな」

「いや、まあ、日本じゃ飢えるってことはないし。病院食って割と不味い部類なんだぞ。そんなに喜ばれるとなんか照れるわ」

「そうなのか? ......もっと美味しいものが沢山あるのか。羨ましい」

「......そんなに気に入ったんなら、今度焼肉屋にでも寿司屋にでも連れてってやるよ。係長の奢りで」


 あっという間に完食し、私は言われた通りに皿を重ねて備え付けのテーブルの端にまとめておいた。

 窓から外の景色が見える。ガラスは透き通っていて、まるで板なんて何もないかのように青い空を映し出している。

 白い雲に、太陽......異世界といえどこの空は変わらない。


「それで、一体何の用だ? お前がここに来るってことは、何かしら理由があるんだろ」

「名目は監視と警護。本音はサボり」

「はあ。帰れ」

「嫌だね。なんだって一生手がかりの出ない事件の捜査をしろってんだ。俺は無駄なことはしたくない」


 ふーん。

 まあ不真面目な憲兵は割と多かったし、この男も氷山の一角に違いない。とはいえ私の正体を知る人間が近くにいるのはありがたい。

 この世界の住民にとっては常識でも、私にとっては非常識なことは数え切れないほどある。


 とりあえず、一回外に出てみたいな。

 身体も随分と動くようになってきたし、歩行は少しぎこちないが問題ない。


 隼人は私の言葉に頷くと、”スリッパ”という名前の靴を用意してくれた。

 濃い緑色で、ひんやりと 冷たく、滑らかでツルツルとしていた。こんな感触は初めてだ。硬いが柔らかい......簡単に形が変わる。不思議な素材だ......。

 足を動かすたびに、光沢が歪みながら縦にできる。私がしげしげとそれを眺めていると、またしても隼人が口角を上げる。


「お前、生意気だけど色々と可愛いとこがあるじゃねーの」

「は? 全身に大やけどを負いたいんだったら、ちゃんとそう言え」

「いや......何でもない」


 どうやら昨日の魔法の行使によって、彼の心に少々癒えぬ傷をつけてしまったらしい。

 自業自得と言っておこう。


 いやに効率良く開くドアをくぐり抜けて、二人病院内を散策することにした。

 分からない物があればすぐに立ち止まって、その都度隼人に説明を求めたためか足取りはとても遅かった。

 ここは三階らしいが、一時間かけても階段を上がったり下ったりすることはなかった。

 まあつまり、知っている知識は全て話したくなる性分の人間と何も知らない人間が一緒にいると、会話だけで夜も越せてしまうということだ。


 自分で嬉々として器具や病院という機関の説明を始めたクセして、今、隼人はソファにもたれかかって一人疲弊している。

 彼はぐったりと背もたれになだれ、「あーっ」と声を出して喉の調子を確かめている。

 まだあの棒についた液体入りの袋とか、車椅子とかの説明を聞いていないってのに。


「おい、一人で休むな」

「いやマジで喋るの疲れるんだって。お前もやってみろよ。へとへとになるぞ」

「......」


 無言で脛を蹴ってやったが、彼は小さく嗚咽を漏らしただけで他に反応を示さない。腕組みをして待っていると、唐突に彼はあっと声をあげた。


「お前ちょっとジュース買ってきてよ。何でも良いから」

「ジュース?」

「ほら、あそこの売店で」


 彼が指差した方向には、確かに食品やら服やら本やらが置いてある店があった。ああいったものが施設内にあるのは、なるほど確かに便利に違いない。

 けれどそのジュースがよく分からないし、第一ここの貨幣制度を知らない。


「果実の飲み物だよ。りんごジュースが良い。一本150円くらいね。これ店の人に渡したら買えるから。お前もなんか好きな飲みもんとか買って良いぞ」

「あ、ああ......」


 そう言って渡されたのは、ちょびひげのおじさんが印刷された紙だった。

 色々と文字が書いてある上、模様が信じられないくらい細かい。

 光に透かしたら、真ん中の楕円の中にまたちょびひげのおじさんが見えた。

 すっ、すごい!

 すごいすごい! なんて発達した技術だ!

 もしやこれは魔法の一種なんじゃないか?!


 きっと偽ものを流通させないために発達した技術なんだろう......!

 ううん、なんとも凄まじいな。一般人たるこの男が持っているということは、貴族が持つような高級なものでないことは間違いない。

 つまりこのようなものが量産されているわけで......。


 と、とにかく......その”ジュース”とやらが気になるし......紙のお金への感動は脳の片隅にしまって、おつかいを遂行しよう。


 売店には数え切れないほどの商品が陳列されていたが、客は一人も入っていなかった。

 どれもこれも、興味をそそる見た目をしている。しかし余計なものを買ってこのお金を浪費するのは流石にどうかと思うし、とりあえず飲み物を買おう。

 りんごは確か、昨夜散々復唱させられた単語だ。あの赤くて丸みを帯びた物体......の、飲み物 か。

 ん? 飲み物って何処に置いてあるんだ? えーっと、えーっと......。


 一人店内であたふたしていると、


「やあ、こんにちは。可愛いブロンドのお嬢さん。お一人で何かお困りごとでも?」

「......はあ?」


 見知らぬ男に声をかけられた。

 第一印象は小綺麗な優男といったところか。

 容姿は割と整っていてーー少なくとも隼人よりはーー スラリと背丈が高く細い。なんともひ弱そうに見える。

 口元には昔教会で見た神様の石像のような優しい笑みが浮かんでいて、少し茶色がかった目には私を慈しむような光が湛えられていた。


「いや、別に......」

「本当かい? 何か困っているように見えるよ。僕に言ってごらん」


 どうしようか唸っていると、ふっと男の手が頭に置かれた。

 私は舌打ちをすると、すぐに乗せられた手を叩き払った。彼は酷く驚いた顔をして、どういうわけか笑みを深めた。

 え、きも。


「汚い手で触るな」

「......きたっ......はぁあ......」


 すると彼は頭を垂らし、虚しくも払われた手を胸に重ねながら小さく震え始めた。

 怒っているわけではなさそうだが、かといって女性に拒絶されたことに動揺しているようでもない。


「ふふっ......ふふ......」


 いやこいつ、笑っている(・・・・・)

 私は一瞬で悟った。「目を合わせちゃいけない系」の人だったと。


「よし、戻ろう」

「待って! ちょっと待って!」


 立ち去ろうとしたところ、がっちりと手首を掴まれた。

 見た目はこんなに線が細いというのに、なんて馬鹿力だ。

 掴まれた手にはお金が握られていて、もしやこの男は強盗の類なのではないかと訝った。もしこの状態で刃物を取り出されたらどう対処しようか。

 こんな狭い場所で魔法を使ったら店ごと吹き飛んでしまうんじゃないだろうか。そんなことが電流のように一瞬で私の脳内を駆け巡ったが、杞憂に終わった。


 すっと手が離され、彼は今度は両手で私の手を包み込んだ。

 そしてそのまま跪き、


「僕と結婚してください!」


 ......果たして、杞憂に終わったと言えるだろうか。


「......誰か! 警察! 警察の人ー!」

「結婚が駄目なら、踏み付けて『この汚らわしい豚め』と罵ってください!」

「どんな二択だ......この変態め!」

「ああ、その蛆虫を見るような目......」


 確かに私は今、彼の言うような目をしているに違いない。

 控えめに言って『ドン引き』である。我が人生十数年、出会い頭求婚されたことも、勿論、加虐してくれと言われたこともない。

 できるもんなら、この世界に住むありとあらゆる人間にこの見事な鳥肌を見せてやりたい。


 男の目は本気だった。

 少し濁った茶色は潤み、細められ、口元は悦びを隠そうとしない。自然と上がる口角を必死で抑えようとしているのが見て取れる。

 それが余計だらしなさを生み出している。呼吸も荒い。

 早速土下座の構えを取り始めた。お、おい、公衆の面前だぞ?


「おい......ちょっと、頭でも冷やした方が良いんじゃないか?」


「えっ?」


 すっと男の綺麗な顔に触れると、一瞬で作った冷気をそのまま体表面に流し込んだ。

 冷気を生み出す魔法を応用して、身体中に纏わせているだけ。害はない。

 慣れれば心地が良いが、突然使うと身体が驚いてしばらく動けなくなる。


「あっ......ええっ......?」


 何が起こったのか彼は分かっていないようで、土下座のまま唖然としていた。

 私が身体を飛び越えて店の外に出ると、流石に隼人も状況に気がついたようで慌てて駆け寄ってきた。助けにくるのが遅すぎる。


 ふっともう一度振り返ると、店員が恐る恐る男を揺すり起こしている様子が見えた。


「お前マジで......何やってんの? いや、俺の監督責任もあるけどさ」

「私だって好きで絡まれてたわけじゃない。......ああいう奴がいるって、何でもっと早く教えてくれなかったんだ。知っていたら対処できたかもしれないのに」

「かなりのレアケースだ。ここ警察病院だぞ?」


 私が捕まえろと言わずとも隼人は警察官としての義務を全うしてくれるようで、渋々ではあったがすぐに不審者を拘束し始めた。

 警察病院って、名前からして警察が管理する病院ってことだろう? ......案外こっちのも役に立たないのかもしれないな。


「はいはい、お兄さんどっから入ってきたわけ? 名前と年齢と職業は?」

「いたたた......あんまり強く引っ張らないでくれよ。結構良い服なんだから」

「良い服だと思うんなら土下座すんな」


 隼人は無理やり男を立たせ、そのまま両手首をがっちり握ったまま店の外に出てきた。 その間ぶつくさと私に対する文句を吐いていたが、一応仕事をしてくれている。脛を蹴るくらいで済ましてやろうと思う。


「お嬢さん、ちょっとこのお兄さんのこと説得してくれないかな?! 僕、正義の味方(ヒー ロー)だよ!」

「もし未成年者に土下座して罵倒を求める奴が正義の味方(ライダー)だったら、俺は警察官になんてなってなかったよ。絶対にな」


 隼人は気持ち悪いな、と吐き捨てて男の顔を改めて見た。

 途端、彼の顔色が変わる。先ほどまで侮蔑の色を浮かべていたにも関わらず、ほんの一瞬で血の気が失せたように青くなっていた。


 なんだっていうんだ。 まさかお尋ね者の殺人鬼だったとかか?

 とても犯罪を犯せそうな胆力があるようには見えないが。



「お前......なんて奴引っ掛けてんだ」

「は? 何を......?」



「総監?! こんなとことにいたんですか? 探したんですよ!」


 すると新たな乱入者が現れた。

 彼はエレベーター方面から息を切らしながら走ってきて、隼人に捕らえられた男を見て呆気にとられていた。彼の眉はぎゅっとひそめられ、見下すように男を見つめる。


「げっ、見つかった......」

「”見つかった”じゃないですよ。今度は何をやらかしたんですか。すまないね、君。彼を放してやっ てくれませんか」


 彼は初老のようだった。しわと白髪がちらほらと見え始めるている。靴の年季の入り具合や、顔に刻まれた細やかな線から察するに、相当な苦労を背負って生きてきたに違いない。

 隼人は尚青くなったまま、羽交い締めにしていた腕を放した。


「総監、一体今まで何処で何をしてたんですか」

「小腹が空いたからお菓子でも買おうと思ったらさ......僕の好みドストレートながいたから、ね」


 男の言葉と同時に、苦労人の視線が私に向く。

 そして爪先から頭の天辺までじろじろ見回すと、ああ、と声を漏らした。以前にもこのようなことがあったのかもしれない。

 この苦労人は不審者の部下か何かか......どちらにせよ、立場が下に違いない。”ソーカン”というのがこの男の名なのだろうか。


「申し訳ありません。一般の方にご迷惑をおかけしました」


 と、苦労人に頭を下げられた。

 いや、別にお前が謝ることじゃないだろ......まああいつに謝られたとて許すわけじゃないが。


 すると隼人が少し遠慮がちに尋ねた。


「あの、次長ですよね? そちらはその、警視総監・・・・......?」

「その通りです。まあ私は今は総監補佐で、次長ではありませんが。君は確か瀬口さんのとこの......」

「城ヶ崎隼人です」

「どうも、総監補佐の櫻井健吾サクライケンゴです。君にも迷惑をかけました」

「いえいえ! とんでもないです」


 私には偉そうにしていた人間が、補佐を名乗る男に恐縮している。

 口ぶりからして警察のお偉いさんのようだが、うーん、言葉だけ聞いてもどれくらい上の人間なのか分からないな。

 流石に騎士団長並みに権力の強い人間がこんなところで一般人に絡むことはないだろう。

 しかし補佐官がつくくらいだから、”ケーシソーカン”とやらはそれなりに立場のある人間に違いない。


 彼らはその場で少し話をした。 人目につくのが憚られたのか、私は隼人に引かれて病室へと戻ることになった。


 何故か後ろから” ソーカン”達がついてくるのだが......おい、隼人、あいつらは追い返さないで良いのか?

 そんな視線を向けたが、視線だけでは伝わらなかった。 なるほど、お前は権力に屈したか。

 さては金か何かと引き換えに私をこいつらに売ろうとで も考えているんだろう。私には分かるぞ、お前は金で動く人間だ。


 ううん......最悪襲われそうになったら、窓を突き抜けて逃げ出すか。

 ここは地上ではないから、そのまま飛んで雲の上までいけば何とかなるだろう。この世界の人間であっても、まさか空を飛ぶことはできまいよ。


 病室は先ほどと何も変わっていなかった。変わるはずもない。変わっていれば良かったかもしれない。そうであれば後ろの彼らだけに気を擦り減らすことはなかっただろう。


 ガラスの向こうには晴天の青空が広がって見えた。このガラスというものは素晴らしいーー村の窓は木製が普通で、部屋の中から外を見ることはできなかった。

 こんなに高い景色を、地に足つけた状態を眺めるのは初めてかもしれない。

 向こう側には奇妙な形の建物が数え切れないほど敷き詰められている。下を見ると青々とした芝生の上で子供が遊んでいた。


 体調がすこぶる良いためか、今日はベッドに寝転ぶ気になれない。

 変態に絡まれなければきっと、あの青空のように爽やかな気分だった。振り返ると件の不審者一行はやはり部屋まで押しかけてきていて、隼人は丁寧にも大人数用の椅子に彼らを促した。

 補佐官にならともかく、”ソーカン”に対する礼節は必要であろうか。


「まあ、お前も座れよ。カインド」

「何処に?」


 部屋に椅子は三つしかなかった。大人数がけ一つ、背もたれのない一人用が二つ。

 確かに私が座れる椅子はあったが、そこに座って対面した瞬間、そこの変態と同じ土俵に上がってしまう気がした。


 腕を組んで不機嫌そうに外を見ている私の姿は、きっと彼らには拗ねているように見えるのだろう。

 不本意極まりない。こうやって被害者は泣き寝入りさせられるのか......。


「とりあえず......総監、係長がそろそろ来るんで、少し待っていていただけませんかねえ」

「は、はあ?! 瀬口さんが来るの?! ......やばいよ櫻井、怒られる」

「怒られる自覚があるんなら最初っからやらないでください......」


 大声を上げて”ソーカン”が立ち上がった瞬間、


「あれ。天野君じゃないか。一体どうしたんだい」


 がらがらと扉を横にずらして、慶四郎が部屋に入ってきた。

 皆の口ぶりからするとこの二人は慶四郎と知り合いかそれ以上の関係のようで、そして不審者の慌て具合から察するに、慶四郎は彼らにとって畏怖すべき存在らしい。

 こんな好機またとない。私は口角を上げると、なるべく同情を引く高い声で、


「そいつ! その男が私に不埒なことをしようとしたんだ!」


 私の様子と、椅子に座り直した視線を合わせない男を交互に見比べた彼は、ふう、と小さな息をついた。


「彼女と何があったんだい? 天野君」


 心底呆れたような様相だった。垂れた眉は更に垂れ、真ん丸な目玉は男をまっ直ぐ見つめていた。

 男は彼と目が合うと稲妻が身体に落ちたかのようにびくりと震え、そのまま両手を顔にあてて話し始めた。


「不埒なこととは認識してーー」

「私はね、リミナ君の言葉が真実かを聞いているんじゃない。何があったのかを聞いているんだ。全く......久しぶりにあったというのに説教はしたくないんだがね」

「売店で彼女を見かけて、その......一目惚れをして......プロポーズしました......!」

「君はいつも一足飛びだな」

「瀬口さん、娘さんを僕にください!」

「彼女は私の娘ではないし、君も良い歳だろう。いい加減自分を顧みなさい」


 むっ、この男、変態行動の部分をちゃんと告白していないぞ!

 さては怒られるとみて言わなかったな。

 私は奴の罪を洗いざらい明かそうと口を開いた。


「慶四郎! こいつ、公衆の面前で土下座して『踏みつけて罵ってください』とか宣ってたぞ! 公益のために屠殺した方が良いんじゃないか?!」

「......天野君?」

「あは、あはは......」

「はあ、全く。これで私に話が回ってきた面倒ごとは何件目かな。プロポーズも問題だが、一般の方がいる場所で性癖を解放するのはもっと問題だ」


 慶四郎はそのまま私に向かって頭を下げた。

 それは補佐官の先ほどのお辞儀よりも深く、私は虚をつかれた。まさか彼が私に謝罪をするとは思いもよらなかったのだ。

 だって、彼らは知り合いのようだが補佐官のような関係ではないようだし、隼人の先ほどの態度から見ると相当な身分差があるはずだ。

 それなのに、なんで......?


 私の困惑を受け取ったのか、慶四郎は頭を下げたままこう言った。


「天野君は私の教え子だ。私にも責任がある。この通りだ、どうか許してやってくれないか」

「せ、瀬口さんはこの件には何の責任もありません! あの......本当にすみませんでした。警察官としての自覚が僕には足りませんでした。不愉快な思いをさせて申し訳ありません」

「......あ、いや......」


 えぇぇぇ......。 いや、とんでもなくはねっ返し辛い......ぼっこぼこにしてやろうと思っていたのに。慶四郎もろとも頭を下げられたら受け入れるしかないじゃないか。

 拒否できるはずがない。


 私は丁寧に謝罪されても根に持ち続けるような湿っぽい女ではないし、かといって簡単に許して良いものか? 口だけならどうとでも言えるしな。


 私が言い淀んでいると、慶四郎は頭を上げた。


「では、天野君に君のこちらでの生活を絶対的に保証してもらおう。こう見えて彼は警察組織のほぼ最高位の階級でね。社会的地位は私たち全員分を足しても到底届かないくらいなんだ」

「生活の保証ねえ」

「事情はある程度話さなければならなくなるが......良い提案だと思うんだ。君に安定した生活と 確かな身分を与えることができる」

「そうだよ! 何があったのかは知らないけど、僕が力になるよ!」


 まだ許してもいないのに笑顔で男は顔を上げやがったので、魔法で無理やり押さえつけた。

 何か不思議な、見えない力によって彼は再び謝罪の姿勢をとることになったが、それが何によるものか分かっているのは、私と隼人と慶四郎の三人だけだった。

 慶四郎にやめなさいと目で促されたので、私は嫌がらせを断念した。


「まあ......こちらでの生活が保証されるのだったら悪くない条件だ。でも信用できるのか?」

「信用はできる。それは間違いない」

「とんだ変態だがな」


 漏れ出す笑い声が聞こえた。

 危ない危ない......こいつを貶す言葉には気をつけないと。


 それにしても、警視総監とは中々......位が高いのだな。警察職の最高位に就く男ともなればさぞ器量があって堂々たる実力者なのだろう。

 まったく、こいつを選任したのは一体どこのどいつだ? 見る目が皆無に違いない。



 さて、一体どうしたものか。

 私にはこの世界での後ろ盾が必要だ。

 慶四郎や隼人は平民。彼らに頼り続けるわけにはいかないし、そもそも私には大量殺人の嫌疑がかかっているのだ。

 そうだ、それをすっかり忘れていた。

 仮に慶四郎と隼人が私からは情報が得られなかったと報告しても、少なくとも私に対する調査は行われるし、その時に身分を証明するものがなかったら厄介だ(こちらでは戸籍が一般的なようだ)。


 あらぬ罪を着せられて死刑だなんて、まっぴらごめんだ。


「......分かった。謝罪を受け入れよう」

「本当かい?! いやあ、良かった良かった! ありがとう!」


 握手を求められたが今度は後ろで腕を組んで無視した。

 もう同じ轍は踏まないからな。


「ええと、彼女と瀬口さん方は、一体どういうご関係なのですか」


 ずっと黙っていた補佐官が重い口を開いた。


「何か並々ならぬ事情があるようですがーー不法入国なんて言わないでくださいよ。入国管理局(ニュウカン)とは最近、事件の関係で折り合いが悪いんです」


 慶四郎は少し悩んだ素振りを見せると、私を見ながら言った。


「先日、都内の廃ビルで大量殺人の現場が発見されたのをご存知ですか?」

「ええ。昨日から庁内でもえらい騒ぎでしたね。目下捜査中だったと思いますが」

「そうです。彼女はその現場で警察官によって発見され、保護されました」


 彼の言葉に二人は絶句する。


「一名の生存者が現場から保護された、との報告は受けていましたが、まさか彼女とは......」


 補佐官は今度は品定めするような目を私に向ける。

 一瞬だけ、この女は人殺しができるかと考え、そして人の顔に戻った。同情されているのか、それでも疑われているのか。

 私はこの居心地の悪い空気に耐えきれなくなって、窓の方に視線を逸らした。

 私をおいて彼らは話を続ける。


「なるほど。そういうことでしたか」

「大変な目に遭っていたんだね。けど、病院内を歩き回っていたってことは、嫌疑は晴れたってことですよね?」

「病室から出る許可は与えていないが。(隼人の肩がビクリと揺れた)まあ......もう良いさ。つい先ほど、現場の指揮を執っている池之上管理官と話してきてね。彼女単独での犯行は不可能だろうと結論付けた。そうは言っても依然重要参考人ではあるが、容疑者候補からは外れている状態だ」

「それは良かった。......で、”こちらでの生活”というのは一体どういうことですか? 勿論、僕は彼女を心からの慈しみと愛を持って保護しますが、それにしたって事情を知らないからにはなんとも......」

「......リミナ君」


 ”事情”を、話すべきだろうかーー。


 勿論、私の安全と身分を保障してもらう以上、私が何者であるかは話さなければならない。

 都合良く記憶でも飛んでいれば良かったのに。

 彼らに下手な小芝居は通用しまい。しかし、自身が異世界人であることをそうやすやすと話して良いものか。本当に信用に値するのかが分からなかった。

 私の身の上はおいそれと明かして良いものではない。隼人や慶四郎が口と義理の堅い人種だったから良かったが、この変態と補佐官がそうであるとは限らない。


 きっと、魔法を使えば信じてもらえるだろう。

 けどその後は? もしかしたら殺されたり、拷問されたり、実験材料にされたりするかもしれない。


 けれど、


「......分かった。話そう」



 人生、何回か腹を括るべきときがくる。


 一度目は、帝国に捕まったときだった。

 私は逃げ出すために、捕らえられていた建物をぶっ壊してやろうと心に決めた。まさか王都が半壊するとは夢にも思わなかったが、あれは結果的に良い方向に転んだ。


 そして、これが二度目だ。




 以降の私たちの会話は割愛しても差し支えはないだろう。

 隼人と慶四郎のときと同じやり取りをし、魔法を見せた上で信じてもらった。

 補佐官ーー櫻井健吾は乾いた性格なのかあまり驚いた素振りを見せず、魔法にむしろ強い関心を寄せているようだった。

 そして問題の変態クソ野郎ーーこいつの名前は天野悠一だーーーは腰が砕けていた。

 何でこうなっているのかは......考えたくもない。


 そういう経緯があって私の正体を知る人間が四人に増えたのだが、何より頭を悩ませたのは新入りたちだった。

 どうやら私の戸籍をどうするかで揉めているらしく、法律がどうやら倫理がどうやら......。


 いずれにせよ、私のために職権を濫用するのは決定事項になったらしい。



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