第8話【昼のワルツ(5)】
書類作成後、時計塔もとい役所を出て数十秒。彼は不機嫌そうだった。
「私が世話をやく必要などなかったろうに……。こんなことなら助けなければよかった。そもそも、イブニングシフトの要請を受けなければ良かったんだ。仕事の補助係りとか言って…ファインダーにさせればいいのに……。公も私もあったもんじゃない。プライベートにまで介入されると思うと身震いする。赤の他人の世話をやく必要があったのか? こんなことなら助けなければよかった――」(以下無限ループ)
彼はぶつぶつ文句を並べて陰湿オーラを漂わす。そういえば書類を書いていた様子は渋々といった感じだった。苦虫を噛み潰したような顔ってのはああいうのを言うんだろう。
大河を跨ぐ(またぐ)大橋を渡る頃にはミランダさんの悪口へと変わっていた。根に持つタイプなのか、ミランダさんが大嫌いなのか……。
観察しているオレは異世界へと来ているらしい。どこまでも他人事のように感じるが、どうも現実にしか思えない自分もいる。しかし――
「――て、どうすりゃ帰れるんだ!?」
つまりはそこである。大橋の往来が注目する程の大問題だ。鼻唄少女に陰鬱少年プラス咆哮オレ、端から見たらどんな集団だろう。会話も無くため息が出る。
「ため息を吐きたいのは私の方だ。だが、今は生活から。帰る方法は簡単には見つからないだろうし、後回しにしろ」
陰湿少年は若干機嫌を回復して、オレに促した。“帰る未来”より先に“生活する今”なのだそうだ。書類を作ったミランダさんからは仕事がどうのとか言われていたっけ。
「まぁ、士官学校生なら戦闘訓練くらいは積んでいるだろうが、あまり期待はしない」
「士官学校? 普通科高校だけど」
「普通科高校? 立派な制服なのに士官ではない?」
と、噛み合わない会話。失念していたようだが、お互い相手はいろんな意味で異なる世界の人なのだと再確認した。そして沈黙が繰り返す。しかし、すぐに沈黙を割ったのは相手の少年、レイだった。
「歳は?」
「16。まさか一年が365日ではないとか言うなよ」
「大丈夫、365日だ。異世界なんて絵空事だと思っていたが事実とは。会話が成り立つかも怪しいなんて不便でしかたない」
オレもフィクションとしか思えなかった。体験している今でさえ、他人事にしか思えない。他人事といえば、相手の事を知らない。名前は分かっているが、せめて歳くらいは知りたいモノ。
「そういうあんたの歳はいくつだ?」
「15だが、少ししたら16。異世界人と同い年なんて奇遇だな。ここらで改めて自己紹介でもしようか」
……ホント奇遇だ。落ち着いた感じから年上とばかり思っていた。人は見掛けに因らないらしい。
レイについていきながら、自己紹介を聞き流す。外人みたいな名前のレイ=フィッシャー。オレと違って学校には通っておらず、親はいないらしい。フーカちゃんは使用人で他に二人いて、趣味は人形作りと女みたいだが手先が良いようだ。ミランダさんにオレの後見人というか保護者に“無理矢理”させられたらしく、収入源も明かしてくれた。シャドウハンターと呼ばれる一種の害獣駆除を生業としていて、収入の9割はそこから。残りは作った人形を卸しているとのこと。大半を占める収入についてはイマイチよく分からない。
「君はハントの手伝いをしてもらう。ミランダに決められたんだ、変更はできない」
ミランダという単語に悪意すら感じた。
「で、そのシャドウハンターだかなんだっていったい何をするんだ?」
「追い追い話す。家に着いた」
気付くと白い壁が赤に代わっていた。橋を渡った後から赤だった気がしないでもないが、聞くのに集中していたせいか曖昧だ。細長いオランダ風の家がそこにある。