第7話【昼のワルツ(4)】
で、無事到着したようである。フーカちゃんが先頭を執るようになって数分、彼の圧迫迷宮は突破された。
目的地らしい部所では女性に案内され、オレ達は応接室のソファーで一息ついている。やっとこさ楽になったのだ。
「待たせたね。突然だったもんでロクなもてなしはできないけど、まあ、寛いでいってくれ」
淡々とした口調でトレーに飲み物を乗せてきた一人の女性。案内してくれた女性とは同一人物であり、フーカちゃんから『ミランダちゃん』と呼ばれる女性だ。
ミランダさんは腰まであるウェーブのかかった黒髪が印象的だ。彰がこの場にいれば飛び付くくらい とびっきりの美人なんだと思う。犬さながらにしっぽをぶんぶんと振る彰の姿が目に映るようだ。これはもちろん比喩ではあるが、オレとしては十二分に的を射ているつもり。
「それじゃ、いただきます」
目の前に出されたティーカップをぐいと呷る。すると、力強いハーブの芳香が胸を充たしていった。ハーブティーなんて高尚なもの、飲み慣れてなどいない。なのだから、ただただムセるしかなかった。盛大にゲホゲホ、みっともないほど咳込んだ。
「ミランダさん、本題に入ります」
そんなに品が無かったのか、オレに冷ややかな一瞥をくわえた後に無視を決め込んだ。
向かいの席に腰掛けたミランダさんにゆっくりと説明を始める。
先にオレが聞きたかったような説明が進んでいく。内容はオレが知るすべのなかった“事後”を端的に述べたものだった。シルエットの化け物――名称は“シャドー”と言うらしい――に襲撃されたオレを保護、プラス、件のシャドーの処理。
事態を把握しきれていないオレの頭に、ある程度の整理をさせるだけの情報がもたらされたわけである。
「ふーん……。現状は理解させてもらったよ。保護したはいいけどその後の対処に困ったから、あたしのところに来たって訳か。で、マサト君だったかな? その顔から鑑みるに、よく理解できてないみたいだね」
レイとオレは別々のことで首を振って肯定した。
「んっと……。ズバリ説明しちゃうけど、ここは君のいた場所と根本的に違う場所です。簡単に言えば異世界ってこと。突飛なファンタジーだよね」
微笑みを交えて優しくミランダさんは言ってくれた。信じられないけど、信じるファクターをオレは手に入れている。
影絵の怪物シャドー。それと見慣れないアナクロニズムを覚えさせる街並み。あの直線の大河は世界地図ですら見たことないかもしれない。
それでも、一縷の望みにすがりたい自分がいる。納得したくないオレがいる。
「そんな…そんな馬鹿な話し、信じろって言うんですか!?」
「じゃ、これなんて読む?」
ミランダさんはオレの反応を予想していたらしく、紙にさらさらと何かを書いていく。表れたのはアルファベットにハングルが混ざったような横長の図形。
「解かるわけない」
「そう、解かるわけない。ここに書いてあるのは“私の名前はミランダ=セイクリアです”って読むの。あたしたちの文字は嘘偽り無く、この形なの」
「ははは…なんだそれ……」
最後のトドメを刺され、引き攣った笑いが零れ落ちる。他でもない自分の低く乾いた笑い声だ。目に手を当てて天井を仰ぐ。
家出して道に迷うのによく似た感覚。暗くなって、途方に暮れて、そんでもって巡回中のお巡りさんに保護されて。そんな感じ。
親は?住所は?――ここに無いから答えられない、通じない。レイには『そんな地名、この国には無い』って断言されてたっけな。
「君はまだラッキーなケースよ。この世界に来た途端、シャドーに襲われて命を落とすケースだってあるんだから。ま、身元不明の遺体を調べた結果の憶測だけどね。異文化っぽかったり、見た目が違ったりとか判断基準が曖昧ではあるよ。あ、“生き残り”呼んでみよっか?」
ふがいないオレのようすを見兼ねたのか、ミランダさんは言う。返事は出来ていない。
ミランダペースは返答を待たずして人を招き入れた。およそせっかちな気質らしい。
「失礼すル。ミラ、何の用ダ?」
ドスの効いた重低音が応接室に響く。フードコートを身に纏った大男が屈んで入室してきたのだ。
「ああ、ちょっと見世物になって」
「見世物? 余り乗り気にならんナ。ここはサーカスではないはずダ」
「いいだろ、あたしのボディーガードなんだから。これも業務の内」
「この坊主に見せるのか? 見せびらかす物ではないから少しだけダ」
「けっこうけっこう♪」
ただならぬ雰囲気が漂い始めた気がした。視線はもう大男に釘付け。ミランダさんがクスクス笑っているのを視界の端に捉え、身構える。自分を笑ってなどいられない状況が作られていく。
さすがせっかちミランダペース。鬱になる暇すら与えず、頭の中のお巡りさんは蹴散らされた。
そいつはするするとフードコートを脱いだ。隠された顔が露見する。すると見た瞬間、視線がくぎづけになり凍り付いた。
「伝承に伝わる狼人間をワーウルフと呼ぶなら、目の前にいるのは竜人間、ワードラゴンと言ったところかな」
ミランダさんが説明を加える。後頭部に生えた一対の紅い角。顔は全て緋色の鎧鱗。魚のそれとは似て非なる堅牢さを持つ、一枚一枚が独立した鱗ではない、完全に皮膚が変化した代物。存在するだけで他を圧倒する力の象徴であり、ファンタジーに付き物のドラゴンがそこにいた。
「ミラ、何度も言ったがこれが私の世界では普通なんだゾ。むしろミラのような形の部族の方が少数派ダ。人を化け物みたいに呼ぶんじゃなイ」
「あはは、ごめんなさい。最初はあんたのほうが驚いてたくらいだもんね」
どうやらこれが紹介された“生き残り”というやつらしい。
「大変だったんだよ。言葉も通じない、文字も伝わらない。揚げ句の果てには、化け物だと石を投げられる。逃げた先でシャドーに出くわす」
「ミラには感謝していル。正面から向き合ってくれたのはミラだけダ。拳銃越しには少々ではなく驚いたがナ」
「仕方ないじゃん、シャドーかもしれないのにさ」
「まあ、今となっては当然カ」
想像してみる。いきなり未知の世界に踏み込み、異民族に襲われ、正体不明の怪物に追い回される。
同じような体験をしたから理解できる。さらには、いかに恵まれていたのかを思い知った。オレはちゃんと助けられたし、言葉は通じる。
と、ここでもミランダ節が炸裂し、沈みかかる船を陸に放り投げた。
「じゃ、次行こう。とりあえず、しばらくはワルツに住むんだから、いろいろ契約しなくちゃね♪」
「それは良いのだが、ミラの仕事が秒単位で増していくゾ」
「んなもん、あんたがやりなさい」
「この大きな手でカ? 粉々になっても知らないならやってもいイ」
ぐっとミランダさんが怯む。仕方ないという風に首を振ると竜人を部屋から出した。任せるのも諦め、用も無しといった感じだ。 それからはレイを筆者に書類作成へと移行した。なにかと都合が良いからと半強制的に、レイの同居人と仕事の補助係りとなった。