第6話【昼のワルツ(3)】
仄暗く狭い通路。
白い壁紙がランプの光りを受けて不気味に揺らめく。聞こえるのはレイとフーカちゃんとオレの足音だけ。壁が迫ってくるような圧迫感が不安を煽る。空気は重たい。まるで静謐な墓所のようだ。閉所恐怖症の気はないが、この雰囲気に神経が潰れてしまいそうだ。相変わらず背中は疼き、雰囲気とあいまってか不安拡大に拍車をかけていた。
ここは時計塔もとい市役所の中。裏手にあたるこの通路に人気はない。入ってすぐのロビーにはかなりの人が居て、ざわめきが絶えなかったのに……。仕事中でもあるし、役所の通路と考えれば当たり前なのだろうか。
それにしても、この通路ときたらまさにラビリンスだ。情けない事に一人で出られる自信は無い。とっくの昔に方向感覚は失われている。
右へ、左へ。また左。階段を昇って、さらに右。延々と続く。もうどのくらい階段を昇ったのかもわからない。
それにしても、誰一人としてすれ違う人がいないのは不安だ。気まぐれに扉の数を数えていたが、ついさっき放棄した。数が多過ぎて、神経に負担が増えるからだ。
先導するレイは迷い無く進む。黙々と足を繰り出し、通路を曲がる。ずいぶんと頼もしい姿だ。
列はレイ、フーカちゃん、オレの順番だ。普段(と言っても時間的な付き合いは短いが)どおりフーカちゃんはソワソワ落ち着きがない。見ていると楽しいので、神経衰弱の緩和に役だっている。
や、オレはロリじゃないぞ。
10才くらいの女の子だからって、変な気を起こしてる訳じゃないからな。楽しいのは仕草が可愛いからであってだな、全然そういうのとは違う。え、楽しいって事はそういう嗜好があるからなのか? 違う、断じて違う。絶対にありえない。は?そんなに否定するって事は認めてるのかだって? み、認めてなんかいない!
「レイちゃん、まだ着かないの? いくらなんでも遅くない?」
煩悩と格闘しているとフーカちゃんがおもむろに口を開いた。レイは答えないでひたすら進む。そして再び。
「ねぇったら。ぜったい遅すぎるよ。レイちゃん、迷ってないよね」
返事は無い。この場合、返事が無いのは肯定しているってことだよな。
「レイ、どういう事なんだ? 自信満々に見えたけど、実は迷ったりしてないか?」
「……実のところ、そのとおりだ。すまない」
躊躇いがちにレイは口を開いた。俯いていて、しかもさっきまでの冷たい威厳は失せている。搾り出したような声はどこか震えた感じに思える。
ああなるほど、恥ずかしいのか。失敗したらそりゃぁ、な。
「まぁ、過ぎたことは気にしない。で、どっち行けばいいんだろうな」
語調が不自然に明るくなるのを感じつつ、打開策を募る。迷子って自分じゃ解決出来ないと思うけど。それでも、まいった神経に鞭を振るうほかない。
「はーい! 勘で進む! 女の勘ってあたるんでしょ」
何が嬉しいんだか知らないがフーカちゃんは元気に手を上げ発案する。狭い場所なため声が反響してより大きく聞こえた。勘で百発百中はありえないだろう、むろん却下だ。
打開策を考えてくれていたのか、俯いていたレイがフーカちゃんに耳打ちし始めた。
「……わかったよ、レイちゃん。それじゃあ、いっきまーす!」
掛け声と共にフーカちゃんは目をつむる。両手は前に突き出し、手品でもしようというのか。
フーカちゃんの構えと同時に、ヒュッと短かく風が頬をかすめる。誰か後ろに?――そんなことは無かった。
後ろから前へヒュッ、ヒュルッ。リズミカルな風のステップはフーカちゃんが踊っていたように。
ヒュッ、ヒュッ
ヒュルヒュル、ヒュルッ
ヒュ、ヒュルヒュル
メロディーまで聞こえてきそうな軽快なアップテンポ。
擦れる、揺れる、滞っては滑らかに、風は通路を流れていく。
「ミランダちゃん見〜つけた♪」
かくれんぼの鬼よろしく、うれしそうなフーカちゃんの声が響いた。風が止まるのは同時、ぴたっと何事も無かったかのように『何食わぬ顔』をつくる。
フーカちゃんの不思議な力を垣間見せてもらった瞬間だった。