第5話【昼のワルツ(2)】
しばらく、ほぅとオレは大河を眺めていた。大河はほぼ一直線に街を割り、はるか遠く川上には雲を貫く絶壁の山々が連なっている。雲はちょうど、白いスカーフのように絶峰を飾っていた。
視線を下に移すと、岸ではセカセカと荷物が動いている。大半が運搬する人よりも荷物の方が大きいからそう見えてしまうんだ。
気が付くと隣ではレイがオレが魅入る先を目で追っていた。しかしそこに魅入る原因を見出だせなかったのか、彼は嘆息を漏らすのだった。
「なにか珍しい物でも? 行く場所があるのだから、手短にして貰いたいのだが」
冷たい口調が手厳しい。胸に刺さる感じが名残惜しさを見事に断ち切った。
…………。
………。
……。
長い長い橋を渡った街には変化があった。さっきまでの赤レンガの町並みは何処へやら、まぶしいくらいに白塗りの壁が整列している。清潔感あふれる世界に汚れや傷は見当たらない。こちらもこちらで、魅せる景色。思い返せば、橋の上で見えたのは紅白に分かたれた日本びいきの景色だった。
「目移りするな。ちゃんと着いてこい」
先導するレイは一喝。冷たい口調は相変わらずの切れ味を帯びている。
目指す先には時計塔が見えた。遥か高くそびえ立つ荘厳な石造りは、さながら灯台のようでもある。自然とオレは立ち尽くしてしまった。
「何を不思議そうに、初見ではないだろう。少なくとも、昨日は見ているはずだ。この時計塔は街の何処でも見えるからな」
「いや、なんかね……」
なんか……気分が悪い。時計塔を見ているだけで、背中の広範囲がズキズキ疼いてきた。さらには、ある光景がフラッシュバックする。赤が充たす世界。蠢く黒いシルエット。刳り削られ破片を散らす竹刀。当時の緊張を思い出したのか、疼いた背中が熱を持ったのか、体はやけに熱くなった。額には冷や汗が浮かんだ。
堤防が決壊したように昨日の情報が雪崩を打ち、思考回路をリンチする。時を待たずして、シナプスの回線はパンク状態に陥っていた。
「顔色が優れないようだな。何かあったのか?」
「怪我人に無理させるからだよ、レイちゃん! マサトちゃん、大丈夫?」
心配してか、同行者の二人が顔を覗かせる。視界に写ったその顔がオレを今に引き戻してくれた。ああ、どうにか波は引いたようだ。
「大丈夫。なんとか落ち着いた」
大きな深呼吸を一つ。信じたくはなかった。信じられなかった。オレは……。オレは、漫画や空想でしか信じられないような場所に、世界に、迷い込んだんだ。行き場に迷い、怪物に襲われ、そして見もしない赤の他人に連れられているんだ。正直、理解からぶっ飛んだ現実。
「そうか。ではその言葉、信じるぞ。文句を言っても弁解出来ないからな」
「ああ、しない。するもんか」
「レイちゃん、冷たいよぉ。がんばってね、マサトちゃん。あたしもがんばる」
冷たいレイとやさしいフーカちゃんが、うまい具合に飴と鞭。“あたしも”の意味がよくわからないけど、応援してくれるのはありがたい。
そう。あがいても始まらない。無知故の迷いはあるけど、助けてくれる人がいる。現状を把握しきれていないけど、なんかもういろいろと諦めた。諦めて前に進むしかないんだ。
「で、この建物はなんなんだ?」
到着した目前の時計塔を指して訊く。用があるからして観光ではないんだろうな。
「ここは市役所だ。手続きが多々とあるから連れて来た。説明とか仕事とかも沢山あるからな」
「仕事だって!?」
オレの反応を無視してレイは重そうな塔の扉をゆっくりと開いた。
オレ、この土地で暮らすのか……? 肺活量の限界に達しそうなため息が溢れた。