第42話【異世界四日目――実戦ハド、将人】
大剣のシャドーの奥に先生が座る背景。暴力的とも取れる先生の攻める気迫がその横顔から消えていた。気配が薄らいで儚ささえ垣間見える。ただ、その背には荼毘に付す弩のシャドー。羽虫一匹たりとて殺せなさそうな攻撃性と裏腹な結果。実に不思議だ。
オレと先生はちょうど大剣のシャドーの両極に位置する。このまま進めば挟み打ちだから、手に馴染む双刃を構えたままシャドーを攻める。“相手を後退させる”という意味では『攻める』のだが、大剣の不利なクロスレンジに踏み込んだだけで、それ以上を求めるのは荷が勝ちすぎていた。振り始めを狙って払い、大剣が嫌う間合いを維持していく。自分に可能なのはそこまで。
挟み打ちは誰だって御免被りたい。自らが破滅する画策など、はまりたくもない。しかし、オレはそれを強制する。脇に逸れようと旋回するシャドーを回り込んで抑える。点が回るのと円周を回るのはひどく労力に差が生まれるが、距離を詰めれば詰めるだけその差が埋まる。一撃必殺の大剣を至近距離で躱すのは厳しいけれど、そんなことを言ったら先生の剣を躱す方が難関に思えてしまう。幸いにしてオレのギアは最大まで重く速く、勘は淀み無く導く。
使う時間に比例して剣がどんどん手に馴染んでくる。特に右手の短剣の使い勝手はすごい。大剣の振り始め、“起こり”を寸分違わず払えるのはこれのお陰だ。取り回し易いサイズと、人差し指が鍔を跨ぐような構造の握りが力を刃先へと伝える。
対して左手の逆湾曲刀は地金が硬く、重心が刃先にあって金づちを振っているような使い心地。短剣で捉えきれなかった大剣を力付くで薙ぎ倒すのに効果的だ。
払い、薙ぎ倒す。この二段構えでシャドーを無力化し、先生へと追い詰める。二歩、三歩と先生に近付くに連れシャドーは焦りを見せ始めた。黒い切り絵の怪物に表情は無いが、大剣の起こりが読みやすくなっていることが焦りの証明。戦況を打破しようと大剣の振りが大きく雑になり、結果、オレの短剣は差し込み易くなる。大剣のシャドーは底無しの泥沼に嵌まった。
粗雑になった振りをいいことにどんどん間合いを詰め、果てにはクロスレンジを過ぎてゼロレンジへ。シャドーへと体当たりをかまして拮抗する。狼のような体躯は意外と固く、触感はなんとも言えないのっぺりとした感じ。毛に覆われているようなシルエットなのに毛の質感はしない。腰くらいの体高の割に重さも軽く、空虚という言葉が頭の中に浮かんだ。すっからかんというか薄っぺらいというか、立体のはずがどこか平面に感じて気分が悪い。錯覚を利用した“だまし絵”を突き付けられているよう。
そして見た目と乖離して噛み付いてこない。大剣が不自由な間合いの今、使えるものといったら牙だろう。口らしきシルエットをしているだけで牙は備わっていないのかもしれない。そんな理知の筋道とは裏腹に勘が呟く、“もともとそんな機能が無いのでは?”。
レイやミランダさんの話では、シャドーは害獣の一種だという。害として挙げられものは人を襲う、作物をダメにする、病気を運ぶ、など。そうシャドーは人を襲う。人を襲う理由は漠然と補食するためだとばかり思っていたが、勘はそうではないと結論付けている。掛け離れる理と勘は戦闘思考を鈍らせるには容易だった。
「マサト!」
冷や汗が流れる。またレイが叫んだ。先生がシャドーのすぐ脇まで迫り刃を振り抜いた。これから来るであろう血の臭いを錯覚する。舌が血で濡れていく。
思わず片膝を付いた。血を吐き出そうとして口を開くと何も出なかった。低くなった視線はシャドーに塞がれたが、それも次第に晴れていった。
切られていない? たしかに思い返してみれば間合いが若干ばかり遠かった気がしないでもない。だからと言ってオレと密着していたシャドーだけを切るのは離れ業だ。
「マサト君。君は何者だ?」
目の前で刀を納めた先生が問い掛ける。実は刀を振っていないんじゃないかと錯覚するくらいの自然体。同時に切られた感覚も錯覚、つまり剣気に当てられたんだと理解が及ぶ。先生の力量を考えれば紙一重の芸当くらいやってのけてしまうだろう。
「もう一度訊く。君は何だ?」
さっきまでの消え入りそうな気迫の無さは何処へやら、普段と変わらない充実した気力をもってオレを見据え再び問うた。先生の言葉の意図に指が引っ掛かる。その片目を閉じた碧い瞳にオレは写っているはずなのに遠い物を見るような視線、読み取れる感情は未知への猜疑。この事実は絶対の秘め事ではないはずなのに射竦められ、背筋が薄ら寒い。
何故気付いた。何を持って気付いた。秘め事ではないと肯定したのに隠そうとする泥沼に嵌まっていく。
「……じゃあ、先生はオレが何だと思いますか?」
質問に質問で返すのは無礼だろうから、声を平たくできるだけ丁寧に返した。
「外身は人間ですね。しかし中身は人間と少しばかり違う。そこの少女も中身は違うが見当の付く違いだ。君の異質さに比べれば鼻で笑える」
よく分からないが先生にはオレの中身が人間と少し違く見えるというのか。端から自分が異世界の人間とまるっきり同じとは思っていない。しかしあらためて突き付けられる言葉に、分かり合えると思い始めた心も揺らいだ。日常になりつつあったこの生活が異質に感じる。
「マサト君もレイさんも困惑してますね。では、ワタシの能力を紹介しておきましょう。この能力であなたたちの異質を見抜きました」
レイも困惑していると聞いて目を合わせようとしたら青い顔を背けられた。
……レイに拒絶されるのは初めてじゃない。けれど、ここまであからさまに拒絶されるのは初めてだ。やんわりと避けていたり言葉にして断ったりしていたレイが今は火を見るよりも明らかに状態が悪い。
「私とキョーコの関係は伏せてもらいたい。マサトには自分から話す」
「良いでしょう」
冷たい視線と言葉のやり取り。この二人は話が噛み合っているようだ。
「まず、ワタシは浄眼を持っています。閉じている今の右目がそうですね。浄眼は縁が見えます。縁とはモノとモノの繋がり。肉体と魂を繋げているのも精神という強く固い縁です。また、縁がどこへ繋がっているのかも見えます。レイさんとマサト君はわりと固い縁です。絆と言ってもいい。少し綻んでいますが、レイさんの口ぶりだと秘密を明かしてくれるので、そのうち直るでしょう」
先生の言葉は柔らかくも冷たかった。シャーベットを耳から入れられ気持ちが悪い。
「本題です。何にしても、縁の地というものがあります。出身地、出産地、原産地みたいにね。マサト君の縁もいずこかの地と繋がっているけれど、そこは無い。これだけの差ですが、これはとても大きい。繋がりが見えるのに先が無いなんておかしい話ですよね」
すっと先生は右目を開いた。色は左の碧色と明らかに違う濃紫色。視線はオレを品定めするように舐める。左目はオレに焦点が合っているのに遠くを見て、右目はどこまでも注視している。
言葉も視線も別々に気持ち悪い。
「君は何?」
気持ち悪さに耐えらない。しかし口もあまり動かせない。酸欠の魚みたいに口をぱくぱくさせてしまう。おそらく“オレは異世界人です”の一言でこの不快感は拭えるのに金縛りに逢ってしまったかのようだ。
「オレ……は……」
かろうじて出てくる呻きにも似た声が、自分が異質であることを理解しようにもしきれないと表わしている。
「君は?」
冷たく柔らかい誘導の声。甘くキンと鋭い音色。
持っている剣を握り直す。固いが手に馴染む、鉄を包んだ造りの質感。これはキョーコちゃんが出した得体のしれないモノ。材質も原産地も知らないがスタイルはあくまでククリ刀。ダガーもあくまでヨーロピアン。知らないけれど知っている。矛盾しているがそんなモノ。
「……オレは神村将人。日本から来た!」
先生が知らなくてもいい。オレはオレ。日常が崩れようと、また形作られたものを崩そうとオレは神村将人なんだ。マサトでもムラマサでもない、このククリのように在るだけの者。
「何者かは解りませんが、良い答えですね。己は己ということですか」
和解したのだろうか? 先生は刀に手を添えているものの、遠くを見る目は無くなり、浄眼だという濃紫の片目も閉じている。
『ワルツ全市民に通達する。外の明かりを戸内に入れるな! 強力なシャドーが出現した。命が惜しかったら命令に従え!』
「やれやれ、市長さんの召集ですね」
突然鳴り響く乱暴なミランダ節とサイレンの音。金縛りもどっと落ちる豪快さ。見れば街にはスピーカーがいくつかある。通信設備があるならもっと丁寧に連絡しろよ。
「ハド、マサト。中央通りの大橋に集合だそうだ」
トランシーバー片手にレイは指令を下す。まだ終わらない夜なのか、といろいろな問題は山積みにして体を動かさずにはいられない状況になっていった。
約一年ぶりの投稿。
ま、まだ生きてるビクンビクン