第38話【異世界四日目――実戦、その前】
夜の十一時。宵闇は深くノッペリと視界を塗り潰す。街の外れ、道場の先に街灯は無く、家々から零れる光りすら皆無。今日は月も曇り空へ隠れてしまっているため、視界は一段と悪い。
完全な闇。それに恐怖するのは慣れていない証拠。将人もここ数日で慣れたといっても、本職のレイには敵わない。ましてや街の住民は幼い頃からシャドーに怯えて暮らしているので、闇に対する恐怖は底知れない。しかし、流れ者の上に屈強な“一般住民”のハドは例外のようだ。
シャドーに関わる仕事の人間は恐怖を感じないまでも、闇の中では警戒を怠らない。刑事が暴力団の取引に潜入する時、物陰に注意を払うのと根本は同じだ。闇からの奇襲ほど足元を掬われる事柄は無い。
「それでもう一度訊くのだが、こんな危険な夜にハドは付き従うと言うのだな?」
実は既に何度目かの問答。レイは不機嫌そうに金髪碧眼の優男、ハド=ディエナ=セウテ=ルル=クインに尋ねている。
「ええ、その通りです。専門家の意見を捩曲げるような愚行はいたしませんので安心してください。師の心理として弟子の職業ぐらい把握していたいのです」
レイはハドの一字一句違わない応答にやはり溜め息を吐いてしまう。将人より遥かに腕が立つので、足手まといにはまずならないだろう。
しかし、面倒なのだ。誰も通わない道場が余程に退屈なのか、彼の舌はよく回る。同行者の身辺整理は探偵もかくや。雲に隠れているのに今宵は月が綺麗だとか、昨日は久々に雨が降ったとか、話題も幅広く。彼に合わせるには頭が三つくらいないと、きっとダメだろう。残念ながら、ここにしゃべる頭はレイと将人の二つのみ。将人が寝ている間に呼び出されたキョーコはしゃべらないので頭数にはいれられない。何度も同じ会話になってしまうのはレイも将人も話題が豊富でもないし、話題を展開しようとも思っていないためである。まだ夜は長い。こんな調子ではハドの話し声でシャドーが退散していくのではなかろうか。ちなみに、退散してくれても給与は変わらないのでお得感たっぷりなのだ。
「ところでマサト君。得物はどうしました? 昼間に剣の稽古をしたんです。まさか徒手空拳の達人で、戯れに門を叩いたとかではないでしょうね」
これは先刻までとは異なり新しい質問。将人は本当のことを――にわかには信じ難いキョーコの能力――話す可きか否か、レイに目線だけで意見を仰いだ。返事は微笑み、つまり将人の判断に任せる意思表示。
「この銀色の髪の女の子、名前はキョーコちゃんっていうんですけど、この子が剣を取り出してくれるんです。だから俺は着の身着のまま、武器はキョーコちゃん任せに歩いています」
一昨日将人が体験し、昨日補完した情報を包み隠さず打ち明ける。信頼関係を築く意味で将人は師へ説明することにした。
刀剣からタヌキの置物、迫撃砲までなんでもござれの型破りっぷり。実際問題、目の当たりにしても信じきれずにいる魔法。予備知識無しに師は信じることができるはずもない。
「ふむ。この少女が投影なんて高等技術を扱えるとは驚天動地。マサト君の口ぶりからすれば知らないのでしょう。ワタシも道理を持っていませんが、その技術は間違い無く魔法です。一般人に理解できるかは別として、種も仕掛けも存在する」
ハド師は予備知識を所有していた。故の理解。すんなりと、語り手に新しい情報への驚きを与えて、師は信じた。信じないだろうと踏んで将人に任せたレイの驚きは自然と大きい。
「魔法って……。それってつまり、キョーコちゃんは魔法使いってことですか?」
「詰まる所はそうでしょうね。本人から話しは――訊くこと叶わじか。そちらのレイさんから訊くとしましょう」
話題はキョーコからレイへ。ハドにはキョーコとレイの関係は連れである以外、詳しく説明していない。将人でさえ家族、取り分け血縁関係にあるのかも把握しきれていない。家での振る舞いは兄弟にも見えるし、レイからの一方的な要求をキョーコやフーカ、ローカが対応する主従にも見える。仮に兄弟にしても、形質が掛け離れた4人を血縁があるとは考えられない。
ハドの核心を捉えた洞察から、再び溜め息混じりに諦めてレイは説明を始める。何を諦めたか、その表情から汲み取るのは無理というもの。
「魔法使いとは多分に語弊が含まれる。まあ、白状してしまえばキョーコは魔術師で間違い無い。そもそも、魔法は魔術的な法則の総称さ。等価交換しかり、四大元素の関係しかり。魔法使いといえば新しい魔術の真理を説き明かしたものなのだ。新しいものも普遍化してしまえば珍しくもないがね。法則を発見した当初は誰にも看破されず、奇跡に外ならない。故に魔法とは魔術の最大級称なのさ」
レイは到底理解できないものだろうと将人やハドにここまでを語った。ハドには予備知識があるのは判明したが、それを差し引いても釣りが来るほど話は深い。案の定、将人もハドも魔法の解釈は正しく理解できていない。それを見届けてレイは説明を替え、続く。
「と、こんな事を訊きたい訳ではないかな……。キョーコの正体は魔術師。私が雇っているのは魔術師。私には魔術師が必要で、魔術師は私が欲しい。単純に利害が一致したための共生だよ。それだけだ。そこの師も把握していただきたい」
レイは『利害の一致からくる共生』と切り捨てる。将人は漠然とだが、正確に悲しいと感じた。この四日、彼らと生活してきて情が移ったのもある。でも、彼らの生活に心が揺れ動いてきた。安らぎを感じた。今まで住んできた環境と違えど、家族感が芽生えてきていた。それを互いに許容し合う共存ではなく、冷たく利己的な共生と断じるレイが悲しい。
「じゃあ、これまでに感情の起伏は無かったのか? 利害の一致に情を挟まなかったか?」
一縷の希望を乗せて、弱々しくもはっきりと念を押す。どうか少しでも温かみがあることを願って。将人はレイの喜楽に触れていると思っていた。
「無いよ、マサト。此等が私の心に波風を起てることは無かった」
レイはまたも切り捨てる。
「そんな……」
「悪いがマサト。質疑応答の時間は切れてしまった。願いたくもない来客だ」
そう言ってレイは同行者から街道へ向き直る。その目に安堵が混じっているのを知るのは、皮肉にも当事者ではないハドだけだった。
これ以上に説明する必要を先延ばしにできた安堵。ハドにはそう取れた。レイの言葉は半分は真実だと。つまりは……。
確証は無い。無い故に近い未来、傷を切開するだろう。
今は初めて目の当たりにするシャドーという来客に全員の意識が切り替わって、空気が途切れることにホッとする。
――来客は闇よりも黒々と、二匹の野犬に似たシルエットをしていた。
【読まなくても良い解説】
多分に謎を込めてお送りする第38話。以前の投稿からかなりの時間が経過しているため、繋がりは弱いかもしれません。
しかし、意図的に伏せたのは異世界での魔術師の位置取り。現実には有名無実の存在を、異世界人はどう捕らえているのか。
ヒントは市長と魔術師のやり取り。
うーん。将人君は柔順に魔術師の存在を認識しているなぁ……。というのも実は伏線だったり、らじばんだり。
※狼月は嘘つきで名高いです。