第34話【異世界四日目――修業(3)】
「いやー、今の方は平たく言うと道場破りと言われる輩ですね。何が面白くて街の端っこの寂れた道場を乗っ取りに来たのかはなはだ謎ではありますが、一国一城の主として自衛したまでです」
一目瞭然の出来事をけろりとした態度で敢えて説明を加える金髪碧眼の優男。首から上を見れば黒髪黒眼のレイや将人と趣がやや異なる。加えて首から下は藤色のローブ、羽織りと袴、学ランと統一感に欠ける面々。正座をしているのが数少ない共通事項かもしれない。
優男は名乗る。ハド=ディエナ=セウテ=ルル=クイン、通称“斬鉄ハーディ”。ワルツ唯一の道場主にして最強の剣豪であると。
ワルツに道場が無いのには理由が多々存在する。凡例を挙げるならワルツは流通拠点であり、住人はすべて商人なので武術の訓練をしないからだ。身を守るなら心得のある人間を雇えば良いだろう。なによりワルツの夜は危険で、短い昼間を商業や帳簿の付け方など“食う為のノウハウ”に費やす必要がある。命あっての物種。化け物と戦う剣技より安全に金銭を入手する商業が優先されるのだ。
余談ではあるが、金髪の彼は質素倹約を心掛ければ一生食うに困らない財を先代より譲り受けている。
「紹介状を拝見しました。市長直々にお達しがくるとは、パイプも持っておくものです」
言って彼は静かに碧眼を閉じる。瞼裏には緋竜を従えた美人市長の姿が浮かんでいるに違いない。
再び目を開くと彼は弟子入りを許諾した。
「他人様に教えるのは初めてですが、弟子を一人育てて一人前。後学のためにも踏んで損はありませんね」
優しそうに口角を上げる。つい先刻、男を吹き飛ばした人間にはとても見えない表情だ。将人はその仕種にすっかり心を許し、あらためて師事する旨を伝えた。
「よろしくお願いします、ハーディ先生」
そう言い切るや否や、将人の頬を掠めて飛んでいく影あり。こん、と後ろで物音がすると将人の頬を顎までぬめりとしたものが伝った。目前の優男は自然に開かれた手を突き出し、さっきと同じ笑みを浮かべている。顔も目も笑っている。ただ、致命的に空気が笑っていない。
「ああ、言い忘れていました。ワタシの耳の届く範囲で通り名を口にした者は、ワタシ以外この世にいません。言わなくても分かりますよね? ワタシを呼ぶなら先生が良いですよ」
木製の扉の格子には小さなナイフが留まっていた。そして将人には氷柱が背骨に入りこんでいた。
“で良い”ではなく“が良い”という言い回しに本人の希望は含まれていない。言われなくとも将人は理解した。レイの頭にもこの優男に関する項目に『通り名は禁句』と書き記された。追加で、『逆撫でするなら通り名。しかし命の保障はできない』とも。
「場が白けてしまいましたね。お茶を用意しますから、少し待っててください。ああ、逃げるなら今ですよ。もっとも、顔は覚えたのでどうなっても知りませんが」
白けさせた原因は笑みを崩さず、音もなく家の奥へと歩を進めていった。
将人の十六年の人生で、ここまで身震いを覚えたのは初めてである。
「まったく。いろんな意味ですごい人間に師事することになったな。頬っぺた、舐めてやろうか」