第30話【暗闇スクランブル(4)】
「よう、少年。あの時は助かった」
そう言って建物の屋上に現れた男が片手を挙げた。朗らかな笑い顔。しかし、目が笑っていない作り物の顔。彼は右目を閉ざして、将人達を見下ろす。
「この前の礼だ。そのシャドーを駆除してやろう。それにもともと、用があるのはシャドーだけだしな」
「この前って……ああ! 昨日の泥棒じゃないか」
将人とローカが以前に露店で会った自称“お兄さん”。ローカの内側では、オッサンからクソジジイへと降格している。昼間と違ってサングラスをしておらず、ラフな革ジャンから胸当てを始めとした軽鎧へと変化も見て取れる。背中に担ぐ朱色の軽槍が彼の兵装のようだ。
「泥棒じゃない。借りただけだ」
また表情だけで笑った。サングラスをかけていないと、感情が乗っていないことが眼から筒抜けだ。
「会いたかったよ、魔術師」
ミランダさんが口を割った。将人に向けたものよりも冷たい獣の瞳と、厳つい二丁の中型拳銃を“お兄さん”へと向ける。
「メイガス、か。お役所も存外調べが早いものだ。聞くところに因るとこの街の管理者らしいな。流れ者まで管理してくれるとはご苦労様なこった」
彼はおどけた様子で挑発している。安い挑発に乗るミランダではないが、多少なりとも頭にくる。それを知ってか知らずか、魔術師と呼ばれた彼はのんきに欠伸までするのだ。
「黙りなさい、メイガス。貴方は要注意人物に指定されている。シャドー狩りは多いに結構だが、貴方の思想は他を害する。今此処で取り締まる」
「シャドーに自ら関わるのは奇人か変人、はたまた狂人と相場が決まっているそうだが、市長はマトモなようだ。いや、マトモな振りをした狂人かもしれん。が、上司が有能なら調べが早いのも頷ける」
「黙りなさいと言っている」
二度目の警告と共に銃声が赤い壁に反響する。威嚇の意味合いはあるが、確実に魔術師へ狙いを定めている。
ふわりと空中へ回避した魔術師は構えた槍を下へ突き、見下ろしていたシャドーを貫通した。速やかに生命活動を停止させられたシャドーは霧散していく。悠々と着地した魔術師はまたも笑みを浮かべる。
驚くべきは五階の高さから着地した身体能力と、迫撃砲を凌ぐシャドーを貫通した技量。どちらも、ただならぬことを案じさせる。
「一撃で崩壊とは、お兄さんの目的には程遠いな。目当ての吸血鬼型シャドーはどこにいるのやら。市長は知らないか?」
「独り言の多いメイガスだ」
槍を構え、高速で魔術師が接近する。魔術師の呼称と異なり、装備同様近接戦が得意らしい。それに目掛けてミランダは全装填数の15発の弾丸を打ち放つ。
38口径の拳銃から放たれる凶弾が音速に近い速度で魔術師に殺到する。人が一人通るのでやっとの狭い通路にこの密度の弾幕は必中を意味していた。しかしあろうことか、着弾する前に――狙いを定めて発射される直前に魔術師は三角跳びの要領で壁を蹴り、弾幕を飛び越えた。
「キョーコちゃん、剣!」
再装填が必要で、尚且つ近距離戦闘野に向かないミランダに代わって、将人が舞台に上がる。魔術師が再び着地するまでの短時間に二本の短剣を受け取り、構えた槍を切り払った。
「邪魔だよ少年」
「退く訳にはいかないさ」
手数の多さをフル活用して、将人は攻め立てる。
短剣と槍。武器の性質上、接近戦闘野と狭い通路が有利に働き、将人は魔術師との技量の差を埋めることができた。完全に後手に回った魔術師はじりじりと後退する。
通路を抜けると槍を振り回すには十分な広さになる。空間があるのなら、魔術師の身体能力をもってすれば間合いを切ることも容易だ。技量を埋める二つの要素は消失しようとしている。
それを将人は分かっているが、攻め手以外に選択肢は無い。なにより、背中に数十針の怪我をしている将人に体力的な余裕も無い。
程なくして、将人の有利は覆る。広くなった足場を利用して魔術師は回り込み、槍で足払いを繰り出す。将人は跳び上がりそれを回避するが、一呼吸を置かずして放たれた裏蹴りまでは対応しきれなかった。強靭な脚力に数メートル吹き飛ばされ、将人は剣を手放し仰向きに倒れる。
痛みで呼吸ができない。明滅する視界の中、懸命に起き上がろうとする。
「年の割には筋が良い。おっと、雑談する暇は無いか」
一際大きな銃声が響く。不意を突いたがバックステップで躱され、ミランダは舌打ちをする。反動に腕を痺れさせ、連射ができない。そのうえ的は建物の陰だ。
「あばよ少年。次に会う時まで腕を磨くんだな」
引き際を知る魔術師は路地に姿を消した。
暗闇に冷たい雨が降り出したのは、そのすぐ後だった。