第2話【ワルツの夜の円舞】
「レイ、今日はイブニングシフトでお願いね」
この人の言葉が今日の勤務時間帯を決定する。日が落ちかけた黄昏時が私の出勤時間。これから長い夜が始まる。
解りましたと残し、暗い建物から出ていく。外は赤の色調の街並みが黄昏色に染まっていた。
――すぐに闇が来る。眠れずの街“ワルツ”の闇が。
「ローカ、フーカ、キョーコ。準備はいい?」
左手に嵌めた3つのリングに声をかける。リングは呼応するように一瞬の煌めきを放った。
ガス灯がポッと付き、赤を浮き立たせる。黄昏色は後退し、暗青色が灯以外の舞台に上がる。そして2つある月の1つも東の舞台に登場した。役者は揃いつつある。
夜の円舞は始まったばかり。せいぜい乗り遅れないようにしなければ。
◇◇◇
「こちらレイ=フィッシャー。G・22に処理班をお願いします。はい、事が終わった後でした」
支給されたトランシーバーに感情の乗らない声で眼前の結果を報告する。
狭い路地裏は真紅でいっぱいになっていた。赤レンガのキャンパスに紅い自然の絵の具を無造作に塗りたくった、芸術とはおよそ言うにあたいしない、まさに落書きが蔓延っている。茎まで白い花が添えられていたのは犯人の嗜好だろう。
「了解した。すぐに遣すから、任務を続行してくれ」
解りましたとまた残し、最後に落書きを一瞥してその場を去る。
シャドー。
月影より出でて、人肉を喰らう魔性。それらの被害は全ての人に等しい。巨万の富を持つ貴族でも、無一文の貧乏人でも、等しくシャドーは降り懸かる。月影の入り込む室内に侵入し食欲を満たし、人気の無い路地裏でホームレスを襲う。
奴らは自然発生しているのか、人為的に造られているのか。組合でも把握されていない。
今回は骨嫌いなシャドーの仕業。次の被害者が出ないうちに始末する。
◇◇◇
大分暗くなり肌寒い風が頬を撫でる。
11月まであと一週間ともなれば当然の事か。
通行人の口元は白く煙り、生を主張しているようだ。この中の誰が何時、何処で白い息を吐かなくなるのか、私には見当もつかない。ただせめて、喰われるなんて酷い死に方だけはさせないように、職務をまっとうしよう。
正面から、品の無い中年男性を乗せた馬車が疾走していく。
勤勉な男だ。いくらシャドーが通には出にくいとしても、夜の活動はいかな職業であっても命懸けだ。それなりの意志があるのか。
一人納得し、歩を進める。時計塔の鐘が7時半を知らせる。短い鐘の音はワルツの隅々まで届く、街の人の共通の世界。
「イブニングは11時までだから、あと3時間半」
ふと、ある目の前の路地に入らなければと思った。未来の自分が『それは運命だった』と絶対に言うくらい自然な感情だ。――私は運命など信じたくない。
路地に入るなりドサッと乾いた音が鼓膜を刺激した。暗がりの奥にはシャドー、それと被害者が俯せに倒れている。
「……間に合ったのか、遅かったのか」
割とキレイな被害者の体は少年の物と確認できる。
「……――! …………!!!」
このシャドーには発音器官は備わっていないらしく、音にならない叫びめいた挙動を繰り返している。
――繊く、繊く、繊く。勁く、勁く、勁く。唱えること三度。吹き荒ぶ風を縒りて、今、魔を縛る靭鎖となれ――
「縛杖“フーカ”」
呪文に呼応し、嘶きと共に巨大な鹿が顕現する。