第18話【異世界、三日目(3)】
「けほっ。あー、ちくしょ。いってらっしゃい」
ガラガラの声で玄関から見送られる。ローカは怒りの赴くままに叫び続け、喉を酷使した結果風邪になってしまったようだ。熱こそ無いが、喉が痛く怠いのだという。昨日、盛大に炎を使ったからというのも、レイいわく一因らしい。今日はしっかり自宅警備員となってもらおう。
「ふあぅ〜、あたしも疲れたよぅ」
夜のパトロールについてきたフーカちゃんがため息をつく。いつも元気な彼女にしては珍しい。偏には言えないが、昨日はローカ以上に大活躍だったから、その反動があるのかもしれない。それに働き者だし、しかたないのかも……。
「フーカちゃんも大変だな。どれ、おぶってやろうか?」
「大丈夫。それに、あたしミニスカートだから恥ずかしい」
「ああ、言われてみればそうか」
ローカを抜いた4人で歩く夜の街。昨日の霧は晴れている。まだ6時を過ぎたところなので人通りは絶えていない。よそよそしく歩く人々はやはり何かに怯えていた。その何かを知ったから、怯えているのを理解することができる。
ふと空を見上げる。西側の夜の帳には満天の星空と大小の丸い月。月が二つあることに初めて気付いた瞬間だ。
「月が二つある」
「当たり前じゃないか。君は時折、不思議そうな顔を見せるな」
「オレのいたところは月が一つだよ。自分の物差しで他人を測るな」
月の温もりのある反射光は変わらない。ただ同じ軌道上に小さい月がある。まるで追いかけっこをしているように、だが静かに佇む二つの月。
二時間くらいが経過しただろうか。月の話をしてからは何もしゃべっていない。沈黙は別に辛くはない。こうするべきなんだという空気が溢れているだけだ。
すっかり人の絶えた通りは、ひどく閑散としている。慣れから余裕が生まれて、鎧戸まで閉めた高い街並みからは微量の光が漏れている事に気付いた。なんだ、住人はまだ寝ていないのか。
「いつ襲われるか分からないのに、寝れる訳が無いだろう」
ホッとした顔をした途端、オレの気持ちを正確に突いた言葉が投げかけられる。
「なんだよそれ。シャドーは路地裏で細々と生きてるんだろ? 低確率で、表通りに出るみたいだけどさ」
勝手なイメージだった。自分の体験に当て嵌めると、多くは通りから少し入った所で遭遇しているからだ。
「概要はそうなんだけど……。シャドーは影が出来ればどこへでも侵入できる。極端な話、王宮にだって現れる。そういった意味では、シャドーという災害は万人に等しい」
僅かに困った顔をして、レイは語った。
「表通りに出ないのは単に標的がいないからだ。人間は怖がって、夜は閉めきった室内に引っ込む。怖がる人間は防衛策を出す。それの最たるものが、シャドーを狩る私達さ」
この街における環境を甘く見ていたかもしれない。何時、何処で、誰が死ぬか分からない、死と隣り合わせの夜。運よく“シャドーに対する術を持つ側”になれた、それだけでオレは守られている。
「そんな顔をするな。危険からは責任を持って守る。元々ここの人間ではないんだものな」
「レイ……。ありがたいけど、ここで生きる以上、自分だけ優遇されるのは勘弁したい。自分の身は自分で守る」
レイは驚いた顔をした。無理だ、おまえにはできない、と言われそうな気がした。
「君がそんな風に考えるとはね……。まとものようで安心した」
黒髪の彼は、はははと笑う。いつもの意地悪な笑いではなかった。
「……さて、相手もお待ちのようだ」
向かう先には今日も黒い影が立っている。
「ああ、そうだな」
少しだけ、強くなれた気がした。