第16話【異世界、三日目(1)】
ぴちょん……ぴちょん……。
どこかで雫の音がする。絶え間無く一定のリズムで雫は零れる。心地良くも、何か違和感を覚える。ぴちょん……ぴちょん……。
一瞬経って理解する。ああ、これなら違和感を覚えて当然だ。だって、それは命の零れる音だから。
血溜まりの中にオレは倒れていた。内側から流れ出た雫が指を伝って零れていく。
◇◇◇
はっ、と目が覚めた。巻いてある包帯を確認すると、全身に冷や汗をびっちょりとかいている。夢を見ていた。
昨日というか今朝、帰ってきてから包帯を取り替えて貰っていた。ここ二日で出血を伴う怪我は大小六ヶ所に及び、包帯でぐるぐる巻きにされている。中でも一番大きな怪我は背中を跨ぐように刻まれた切り傷だ。この世界に迷い込んだ初日、シャドーの鎌状の足で引っ掻かれてできた傷。
「服も傷も、縫ってくれるとはね。至れり尽くせりってか」
服はレイが縫って、傷はフーカちゃんが。使う糸は違えど、二人とも凄く上手だ。遠目では気付かないほどの精度で縫ってくれる。替えの服は無いので、いくらボロボロになっても繕ってくれるのは大助かりだ。
ベットから立って部屋の外へ。階段を下りればレイ達の部屋。もっと下りてリビングへ行く。
「おはよう。意外と早いんだな」
「ん。君もな」
リビングにはすでにレイがいた。黒髪黒目の彼は日本人と大差ないが、異世界の人。黒縁の眼鏡をかけて黙々とワイシャツを繕っている。学ランまで縫えるのだからたいしたものだ。
携帯電話のディスプレイは圏外となっているが、時計としては使える。時刻は6時。まあ、腕時計があるから電池が切れても困らない。
「その四角い箱はなんだ?」
「ん? これは電話。携帯電話」
「電話か。ふーん、使い難そうだな」
レイは脇目も振らずに訊いてきた。今の会話で初めて分かったが、この世界にも電話はあるようだ。
「この家って、電話は繋がってるのか?」
「繋がってない。代わりにトランシーバーがある」
「へー。シャドーハンター用の?」
そうだ、とレイは答えた。一向に脇目は振らない。トランシーバーとは、ちょっとローテク。携帯電話の普及により影を潜めてしまったので、見た事は無い。
沈黙が間を挟む。
昨日の事は覚えているが、整理はついていない。フーカとローカが空間を転移してきて、風と炎を操った。厳密なところは違うかもしれないが、オレにはそう見えた。
「あのさ。昨日はどうやって二人を呼び出したんだ?」
「…………」
返事は無いが、テキパキと作業は続く。糸を結び、糸切り鋏でパチン。ワイシャツが復活した。
「はい、おしまい」
「ありがとう」
手渡されたワイシャツを羽織る。シュッと腕を通してボタンを閉めるのを見て、レイは眼鏡を裁縫箱にしまった。話題をかわされたが、訊かれたくないのだと拒絶の色を見せられた。
「裁縫、上手いな」
「ありがとう。それで多少なりとも食わせてもらってる」
「そうらしいな」
この世界にきて二日。まだ知らないことは多い。仕事の相方のことなど、知りたいことはたくさんある。
「マサトちゃん、おはよう。レイちゃん、ただいま。朝市でご飯の材料買ってきたよ。今から作るね」
「おはよう」
「おかえり。お釣り、間違えなかった?」
元気なフーカちゃんは買い物の報告をする。今日はお肉が安かったとか、野菜もいっぱい買ったよとか、口は止まらない。
「……さっきの話、いつかするよ。でも、黙ってるのには理由があるから。好きなことに理由は要らないけど、嫌いなことには必要でしょ」
そう寂しそうにレイに言われた。