第1話【開かれた扉】
10月23日。高校生活が始まって約半年が過ぎた頃。
夢いっぱいで輝いていた入学当初が懐かしく感じられる最近は、また刺激の無い普通で退屈な週初めの朝が始まりを迎える。
「よっ! な〜にふて腐れてんだ♪」
だらし無く机に突っ伏していたオレの背中に、何気ないハリテが一発。いつも何かとよくつるんでいる、彰のスキンシップだ。それが、明る過ぎる彰と冷めたオレとの温度差を濃厚に示しているように感じた。
昨今、見る機会が減少中の黒を基調とした学ラン。少なくとも、ここらへんでは希少価値が上昇中のオレたちの制服。視界の半分にはそればかりで、平凡過ぎておもしろくない。
「いや……、なんかおもしろくないな、ってさ」
さっきの問いに素直な感想がため息のように漏れた。
「おいおい、辛気くせーな。ここはよ、ぱぁーっとLoveだよ、Love! やー、人生バラ色に限るってーの」
発音が強調されているのが彰なりのアドバイスというか、励ましなんだろう。人生どころか、頭の中までバラ色だろう。
「……漫才の相方だったら他をあたってくれ。芸人目指してる野口あたりが適任じゃないか?」
気遣いに対して冷たいお礼を返してしまう。ぶーたれるオレと違って、青春を謳歌する彰はバカで観ている分には愉快だけど、巻き込まれるのは嫌だし、なにより、気が乗らない。
「野口のあれは大道芸の部類だ。漫才じゃない。って、お前は冷たいのな。ボクちゃん悲しい。あなたをそんな風に育てた覚えはありません」
ユーモアを多分に含んだ声が流れる。いつからおまえはオレの親になった。
どうせオレはこんな人間だ、とふて腐れてみる。
◇◇◇
そんなこんなで、普段通りの、気乗りしない、退屈で、彩りに欠ける、当然の日常が過ぎていく。
代わり映えのない授業、ダラける休み時間、茜色の放課後、そして燃え切らない部活。
「じゃあな」
「また明日」
部活終了後、数人の友達と手を振って別れ、普段と変わらない帰路に着く。
冬間近の暗い夜道。腕時計の針は7時半を回ったところ。
電柱に付けられた電灯が点々とアスファルトを照らす住宅街。慌ただしく瞬きをする一つの電灯の下を通り過ぎる。
吐息は僅かに白く煙る。天気予報で、今日は一足早く冬支度が始まるらしい。
肩から下げた通学鞄がカチャカチャと、同じく肩から下げた竹刀入れがカサカサと、僅かに無音の路上を彩っている。
昨日と同じ帰り道。一昨日も同じ。その前も。明日も。明後日も。きっとその先も……。
深いため息を一つ。白い息が視界に入る。
視界を元に戻す。ニューヨークとかでは存在しないらしい、日本では当たり前の、石塀の脇に立つ無個性な電柱が目に入った。
――気になるのはその間。石塀と電柱の狭い隙間。何となしに摺り抜けたくなる。
オレは16にもなって、まだまだガキなんだろうか。非常に興味をそそられる。竹刀を持って相手と対峙する緊張感よりも、白熱するアドベンチャーゲームの高揚感よりも、胸の高鳴りは大きく、背筋はゾワゾワとざわめく。
狭すぎるから大きな鞄を下ろし、でも竹刀入れは肩に掛けて隙間を通過する。理由不明の興味に負けての寄り道。寄り道にすらならないかもしれない。
◇◇◇
気が付いたら、目の前はアスファルトではなく、レンガの道。閑静な住宅街ではなく、賑やか華やかメインストリート。
「はぁ?」
素っ頓狂な音声が喉をついて出る。振り返れば、電柱と石塀の代わりにガス灯らしきものと赤レンガの高い家並み。石畳の道には馬車が走り、通行人は近代ヨーロッパのような服装をしている。
状況の急速な展開に、頭の回転が追い付かない。
夢、幻、魔法、テレポーテーション、タイムスリップ。頭の中をいろんな単語が駆け巡るが、それでも今の事情にピッタリ当て嵌まる好都合な言葉は一つとしてない。
一体全体、何なんだ。
あー、えーっと、まずは冷静になろう。
ここは、人が行き交う中央通りのようだ。行き交う人の服装は、今時古臭いタキシードとか、きらびやかなドレスとか。人数や動作からして仮装大会ではなさそうだ。 ドッキリ番組の企画でもないみたい。
視線を遠くにやると、巨大な時計塔が見える。ビッグベンとか名前がついていそうなほど巨大で西洋風だ。刻まれた文字は分からないが、腕時計と照らし合わせると時刻は7時40分。部活が終わったのがだいたい7時頃だ。
「そこの坊主! 通行の邪魔だ、退け!」
不意に、爆走馬車のメタボオヤジに怒鳴られた。荷車タイプの馬車の狭い御者台に脂肪に富んだ巨体をねじ込んでいる。ドドドドド、と地面を揺する音と共に走り去る車輪。
通り過ぎたオヤジに小さく謝って、ささっと手頃な路地裏へと移動した。考えるなら静かな場所が良い。
路地裏は通りと違って思ったより暗くてジメジメしていた。
さて、思考を再開しよう。自問自答が思考の簡単なやり方だと思う。
ここは何処だろう。
――オレは家に帰る途中、電柱と石塀の間を通るという寄り道をしてここにいる。ならば家の近くだと推測される。
もしかして夢なのか?
――仮にそうであるなら、いつの間にか伝承されている“痛いなら夢じゃない法”、すなわち頬を抓ることを試してみよう。思い切り頬を抓ってみたけれど、後悔するだけだった。そもそも、効果はあるのだろうか。ヒリヒリする。
どうすれば元に戻るのだろうか。
思考はそこで中断。突然、思い出したように背後から動く気配を感じたからだ。
振り返ると表通りと反対側に、大きな動く何かが無音で揺れている。ゆらゆらと幽鬼を思わせて気味が悪い。得体の知れない影が鎌首をもたげていた。
シルエットは異形としか言いようがない。円盤状の胴体から鎌みたいな脚部が4本。胴体の中心からは太い首が伸び、先には直線の多い頭らしきものがゆらゆらふわふわと。顔のど真ん中には爛々と隻眼が写っている。
向こうはグニョグニョ頭を揺らしてオレに迫る。ガパッと口らしき部分を開いて舌が一閃。
急激な動きに体が反応してか、右に躱すことができた。舌は肩を掠めて地面のレンガに穴を穿つ。制服は破け、肩から電気的な刺激がくる。脳裏をカメレオンの補食シーンがちらついた。
慌てつつ、しっかりとした手つきで背中の竹刀を袋に入れたまま構える。さすがに攻撃しようとかは考えなかった。カタカタと膝が笑っている。
先ほどの舌が連射される。
竹刀を盾に躱すが、さっきと同様に傷は増えていく。だが、幸いにも傷は浅く、動きに支障はきたさない。ただ、電気刺激は鋭さを増して、神経を圧迫する。目に火花が散る。
なんでこんな化け物と――。
なお続く舌攻撃の嵐。盾にした竹刀は既にボロボロ。あと二、三合で崩壊するだろう。
ここまできて、攻撃するなら早い方がいいと考えた。狙うのなら急所が良い。竹刀は刃物と違うから、体よりも眼が一番の急所のはず。
一合目――竹刀で舌撃を滑るように躱す。
二合目――舌の横薙ぎに、バックステップでテンポを合わせ、その後間合いに入る。
三合目――跳躍。
絶好の機会に高さ2m弱の眼を目掛けて一突き。
狙いはドンピシャ。気、剣、体一致の一撃に会心の手応えを感じる。これなら、もしかしたら師範からも一本を取れるんじゃないだろうか。
しかし、甘かった。師範が見ていたら絶対に「油断大敵」と盛大にどやされることだろう。
――背中に今までの比にならない痛みが走った。
狼月の妄想添加率100%の小説です。こんな粗末な小説でも楽しんで読んでくれたら、わたし最大の喜びです。アドバイスとか貰えたなら嬉しいなぁ。