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この作品には 〔残酷描写〕が含まれています。
苦手な方はご注意ください。

縁屋怪奇譚

縁屋夢奇譚

 女は、気付くと大通りに立っていた。


 店のすぐ前、見慣れた通りは今日も行き交う人で賑わっている。


「おはようございます。女将さん」

「あら!越後屋さん!おはようございます。今日は良い小物が入ってるんですよ!」


 今日も店は繁盛しそうだ。しかし、女はひとり強張った顔で辺りを見渡す。その様子は、明るい店子たちの笑顔の中で明らかに異質であった。

 その女は震える声で女将に声をかける。


「あの……もし」

「おい、佐吉!早くそいつを包んでくれな!」

「あの……」


 見向きもしない女将に、女は諦めて隣の若い男に声をかける。


「あ、あのもし!」

「はいはい!」

「ああよかった!」


 ほっとした女ーー初は明るい顔で聞いた。


「あの、ここはどこですか?長崎屋を……私の店を知りませんか?薬屋なのですが、この辺りにあるはずなんです!」


「はい!できましたよ、これで十文です」


 初よりも若い娘に対し、へらへらとだらしない顔で小銭を受け取る若い男は、次の客を見ると物陰に隠れてボヤいた。


「……はあ、男か」

「佐吉!お前は裏に引っ込んで代わりを呼んできな!」

「へ、へい!」


 女将に鋭く睨まれ、慌てて戻る佐吉を、初も慌てて避ける。店の中を見ていたお客にぶつかりかけて謝るも、こちらも無反応。


ーーまた夢なのね。


 初は、ここ何日か同じ夢を見ている。知っているはずの場所にあるのは知らない店。いくら声を上げても唯一の家族である父は来ない。そこにいる人の何人かは顔見知りなのに、皆が初を無視する。極め付けは、


「……ああ、三郎さん」


 店の奥から出てくる、1人の男である。清潔感のある涼やかな男は、初の恋しい大切な人であった。爽やかな笑顔でこちらへ歩いてくる。


「三郎さん、三郎さん!」


 今日こそは、と初は三郎に縋り付いた。しかし、その手は三郎の体をすり抜けるだけで、触れることもままならない。


「三郎さん……」

「ああ三郎かい。あんたならまあ大丈夫だろ、ここお願いするよ」

「はい!任せてください」

「三郎さん……!」


 初は何度も声を上げるが、一瞥もされない。


「おはようございます、三郎さん」


 しかも、1人の娘が、さもそこが自分の定位置であるかのように三郎の隣に並ぶのだ。三郎も、いつもなら自分に向けている熱っぽい視線を隣の娘に向ける。


「朝っぱらから熱々だねぇ……なんだい、こっちも当てられちまったよ」


 周りの店子や常連らしい客たちは、わざとらしくぱたぱたと手で顔を仰ぐ。途端に娘は照れたように顔を逸らし、三郎はその様子を見てくすくす笑うのだ。


「いや、いやぁ……三郎さん……」


 その手を振りほどきたい。恋しい男を取り戻したい。しかし、初の手はいとも簡単にすり抜ける。

 まるで自分が幽霊になってしまったかのようではないか。絶望した女は1人、幸せ一杯の空気に取り残された。


「私はここよ……助けて……三郎さん」




ーーそうしていつまでうじうじと泣いていただろうか。




「……ろ、起きろ」


 優しいその声に、意識が浮上した。目の前には恋しい顔が心配そうに自分を見ている。


「三郎さん……」

「どうした?魘されていたようだが」


 初は安心して三郎に抱きついた。バランスを崩した三郎は初とともに布団に転がる。力強く抱き返してくれるその手があれば、初に怖いものなどない。

 障子の向こうはまだ真っ暗だ。初はまだわずかに香る香炉を、ため息混じりに見た。まだその吐息は白くなるほどではないが、そろそろ秋も深まり、夜分は冷える。


「……これ、よく使っているけれど、何の模様だい?」

 女の柔肌を優しく撫でながら、三郎は聞いた。初が愛用している香炉には、顔が長く白い獣が描かれている。


「……獏、というの。悪い夢を食べてくれるのよ、けど」

 今のところ、効果はなかった。


「こういうのは気持ちの問題だよ」


 三郎は気にせず、自ら香を焚いてみた。初の見様見真似でか、慣れない手つきで火鉢の炭の欠片を香炉の灰に沈めると、そこに香を乗せる。流行りの線香ではなく、細かく砕かれた香木だ。

 伽羅の複雑な香りがふたりを真綿のように優しくしっかりと包み込むも、初はまだ安心できない。いくらこうして現実で側にいても、一度あの夢を見てしまえばひどい不安と疎外感に悩まされるのだ。


「……不安なら、悪夢を見なくなると評判のお香を買ってこよう」

「それより……もう一度、いえもっとたくさん抱きしめてください」


 その方がよく眠れるのだ。三郎がずっと側にいてくれる、初はそう思えた。縋り付いた初に、三郎も応えて強く抱き返してくれた。


 初は幸せな現実を噛み締めた。





 生来病弱な初は基本的に部屋に籠り、表通りに面した障子から賑やかな声を聞いている。その部屋に一番よく入るのは、男手一つで初を育てた父ではなく、奉公人の千代であった。

 千代は、昔と違いすっかり忙しくなった父の代わりに初の世話を任されており、初にとっては姉のような存在である。


「今日もあまり眠れなかったのですか?」

「え、ええ……やっぱり夢見が悪くて……」


 食べやすい粥を持って来た千代は、顔色の良くない初をいつもより心配そうに見た。

 眠れなかったのは、精神的には悪夢のせいだが、身体的には三郎のせいでもある。三郎本人は申し訳なさそうにしつつも元気に仕事に向かったのだが。


「またですか……今日は流石に休んでいてくださいね?」

「夢見の良くなる薬でもあったら良いのに……流石にないかしら?」


 千代は店子として立つこともある。あの大量の薬について初よりも詳しい。しかし千代は渋い顔で首を横に振った。


「聞いたことはありますが……手に入れるのは難しいでしょう」


 千代がそう言うくらいだ。おそらくかなり高価な薬なのだろう。千代は、まだ湯気の立つ粥を布団の脇に置いた。


「とりあえずは食べてください。まだ温かいので、寝つきが良くなると思いますよ」


 粥に生姜でも入れたのか、秋風に当たって冷えていた体はどんどん温かくなっていく。

 夢への不安はあったが、疲れた体は休息を求めていたのか、初はあっさりと意識を手放した。


ーーそしてまた……




「い、いやあ!」


 初が飛び起きたのは日暮れ時であった。荒い息をする中で、煙と共に嗅ぎ慣れない匂いが初の中に入り込んでくる。


「起きたか!良かった」


 隣を見ると、焦った顔をしていた三郎はほーっと長い息を吐いた。初はその顔を見て、震える体で抱きついた。


「いつもより酷くうなされていてな……起こしても反応がない故、つい悪夢を払うという香に縋ってしまった」


 どうやらこの嗅ぎ慣れぬ匂いの正体は、三郎が香炉の灰に刺した線香のようだ。昨夜言っていた悪夢払いの香らしい。

 その三郎は、がたがた震え続ける背中を片手で優しく撫でてくれる。


「それで、今日は何を見たんだ?」

「ば、化け物よ……!」




 最初はいつも通り、初は周りの人に無視されていた。人混みに耐えきれなくなった初は店の隣の路地に入り、影からじっと目覚めるのを待っていたのだ。そして見てしまった。


……道行く人に紛れて、()()が大通りを歩いているのを。


 全体的に白く、顔もよくわからない。薄く光っているようで輪郭もぼやけていたが、黒い服を着ているようで辛うじて人の形ではあった。初はそれを見た瞬間に背筋が凍りつき、周りの時間が完全に止まったように感じた。

 それは、初の見ている前で歩みを止める。知らず知らずのうちに息を殺していた初は、それが振り向くのをただ眺めていた。


ーー今……目が、合った!


 目がどこにあるのかもわからないが、確かにこちらを見ている。初にはわかってしまった。


ーーあれに捕まったら、私は……!


 初は火が付いたように飛び上がり、路地裏を駆け抜けた。こんなに必死で動いたのは生まれて初めてのことである。

 路地を曲がる瞬間にちらりと盗み見ると、それはまっすぐ初に向かってきていた。


ーーひっ!


 生きようとする本能の成せる技か、初はなんとか転ばず飛ぶように駆け回った。威圧感を避けるようにあちこち曲がりながら走っていたのだが、突然背中に突かれたような圧力を感じ、肺の空気が押し出されるように息ができなくなった。


ーーはっあ……!


 足がもつれた初は、背中を打たれた勢いのまま前のめりに倒れ込んだ。背中を中心に、全身を打ち付けて起き上がることができない。息も絶え絶えに自分が駆けてきた路地を見ると、それがゆっくりと初にとどめを刺しにやってくるところだった。


ーーいやだ……いやだよ!助けて三郎さん!


 その瞬間だったのだ。三郎のお陰で、初は目覚めることができた。


「三郎さんが起こしてくれなかったら今頃はーー」


 それ以上、初は声が出なかった。三郎はそんな女をただ、ぎゅっと抱きしめた。




 翌日、初は久々に店の方へ降りる。父に呼ばれたのだ。


「もう大丈夫ですからね」


 側にいた千代はなんの用事か知っているらしく、初の手をぎゅっと握った。初は、両親の部屋に向かいながらも、ひしひしと嫌な気配を感じていた。


ーー何かしら……なんだかおかしいわ。怖い。


 部屋に近づくほどに恐怖感は増していく。そして、がたん、と勢いよく開いたその襖を見て、初は限界を迎えた。


「い、いやあぁぁぁぁぁぁぁ!」


 初は、千代を張り切って逃げ出した。


ーー何故、あの化け物がここにいるの!?


 後ろを見ると、やはりのっぺらぼうのように顔も見えず、白くてなんだかもやもやした人のようなそれは、唖然とする千代の隣を通り過ぎ、初をまっすぐ追ってくる。


「ひっ」


 初は何度も色んなものにぶつかりながら、外に飛び出した。大通りを抜け、長屋が並ぶ暗い路地裏に逃げ込む。そして後ろを確認しようとした初は突然、何かにぶつかって転びそうになった。転ばなかったのは、凄い力で体を引っ張られたからだ。


「大丈夫ですか?」


 初がぶつかった人は、黒猫を抱いた大柄な男であった。髪は長く、肩口で緩く結んでいる。その中性的で優しげな風貌に、初は助けを求めた。


「た、助けて……ば、化け物が、夢に出た化け物が……!」


 初のしどろもどろな言葉に、優男は落ち着いた様子で耳を傾けてくれた。


「ああ、それは大変でしたね……もう大丈夫ですよ」


 その人は初を馬鹿にせず、安心させるように微笑んだ。初はその顔を見てやっと力が抜け、ほうと息をつく。


「ーー夢はここで終わりますから。さあ、目覚める時です」


 初の意識はそこで途切れた。




「……あれ、ここは……」


 いつのまにか、路地裏に立っていた。周りを見てもあの優男はいない。化け物の姿もない。ふらふらと店の前に戻った初は、愕然とした。


「なんで……なんでなの!なんでまた夢を見てるのよ!」


 伊勢屋ーーそう書かれた看板に、初は思わず叫ぶ。しかしその叫びも、往来を行く人々には聞こえない。戻ってきたはずのそこは、やっぱり知らない店だった。滲んでいく視界に、覚束ない足取りでなんとか大通りを横切ったものの、店に辿り着く前に初は膝から崩れ落ちた。


「ーー夢?」


 唐突に、若い娘の声が上から降ってきた。初はゆるゆると顔を上げる。

 歳は12、3だろうか。整った顔立ちだが陰が薄い。それに無地の黒い着物を着て、前髪だけ辛うじて上げる程度で髷も結っていない。流行を追わないがゆえか、そこらを歩く若い娘特有の煌びやかな輝きがない。日傘を差して、手持ち無沙汰にくるくると回していた。


……そして、娘は1人だけ、女のことをまっすぐ見ていた。


「あんたは今、夢を見ているの?」


 重ねて聞いてきた娘に、我に帰った初は辺りを見回す。誰も、こちらを気にしていない。


「……あなたは?あなたも夢を見てるの?」


 初は縋るように聞き返したが、娘はそれには答えなかった。


「あんた、店には行かないの?」


 店はいつも通り、彼女の知らない場所だ。父もいない。三郎はまた自分の知らない女と一緒にいる……初は行くのが怖かった。


「あんたにはお気に入りの獏がいるんでしょ?夢を食べてくれるかもしれないよ」


 獏、そうだ……いつも見るのは通りに面した店部分だけで、初の部屋がある二階に足を踏み入れたことはなかった。初の脳裏にはそこにあるはずの香炉が浮かんでいた。


「ほら、行きましょう」


 娘は初の腕を掴んだ。細い割には力が強く、初は引っ張り上げられる。


「部屋はあそこよね」


 何やら不安そうな店子たちがお客と何か話している。その合間を縫うように、傘を畳んだ娘は勝手に店の中に上がり込んで行った。

 建物の間取りは初の知るそれそのものである。それどころか先程千代と降りた時と、飾り物まで同じである。ふたりだけが異質だった。


「さあ、獏はここかしら」


 娘は初の部屋だと思う襖を開けると、勝手に押入れも開けた。


「さて、あんたはいつから夢を見るの?きっかけは?」


 押入れに頭を突っ込んだ娘は、そのままの状態で初に質問を始めた。

 最初にこの夢を見たのは何日か前だが……きっかけ、というのはよくわからない。夢というのはいつも朧げであったし、これまでは寝つきが多少悪くても、獏の香炉で焚いたお香の匂いに包まれるとぐっすり眠れたのだ。


「それじゃあんたは、現実では何をしてるの?」


 現実、現実では……初は三郎との一時を思い出し、赤くなった。


「あらあらお熱いのね……ところで」


 まだ男女のあれこれも知らぬであろう娘は特に反応を見せない。襖に顔を突っ込んだまま、質問を続けた。


「あんたの夢って何?」


ーーどういうことなのだろう。夢なら今見てるではないか。


「夢って、寝てる時に見るだけじゃないだろ?自分の理想も立派な夢だよ」


……あんたの見る夢は、何?


 いつのまにか、あたりは静まり返っている。

 初は、何故かわからないが冷や汗をかいていた。娘の背中越しに細い煙と甘い匂いが漂ってくる。彼女が焚いたのだろうか。


「私の、夢……」


ーー三郎と、一緒になりたい。


「あんたは、その夢を叶えようとしたんだね」


ーー何が言いたいのか……。


 じっとりと粘りつくような煙とともに追い込み、絡め取っていくーーそんな錯覚に捕らわれた初は、思わず逃げるように立ち上がった。


「がっ……」


 突然、首を締め付けられ、立ち上がろうとした勢いのままさらに上へ引っ張り上げられた。首に手をやると、細い何かがある。全てを終わらせるこの苦痛を、初は知っていた。


ーーいやだ……


 助けを求めようと娘に手を伸ばした初に、娘はやっと振り向く。


「全て逆なんだ。何一つ現実を認められなかったあんたは、それを夢だと思い込んだ。そして彼女の暮らしをーーあんたの理想を現実だと信じ、それを本当のものにしようと侵食した……」


ーーああ、あと少し……だった……


 穏やかに微笑む娘の後ろには、白い生き物がいる。こちらを静かに見つめる、鼻の長い見覚えのあるその姿は、


「ば……く」


ーーいや、いやだ……こんなところで……


 視界が滲む苦しみの中、伸ばした腕が娘に……現実に届くことはなかった。





「……終わりましたよ」


 娘は部屋の外に声をかけた。そこには大店の店主たる夫婦と、涼やかな顔を青くした三郎が立っていた。

 何も変わりない、強いて言うなら伽羅の香が焚かれただけの、いつもの部屋を怖々と見ると、女将は裏返った声で娘を問い詰めた。


「こ、これで娘は……加代は大丈夫なんですか!?もうあんなことは……」

「大丈夫でしょう」

「ああ、よかった……」


 店主も女将もほっとしたようだが、三郎はまだ不安そうである。


「その……結局、女は成仏したんでしょうか?」

「……いいえ」


 三郎は信じられない、というようにかぶりを振った。


「あれは、非常に警戒心が強いです。今朝のあれをご覧になったでしょう? あの時の和尚みたいに、祓おうとすればすぐに逃げられる。今は香炉に縛り付けてますが、もし解放されたら、どうなるのかは……」


 娘は言葉を止め、どんどん真っ青になっていく男を一瞥した。ふっと息を吐く。その様子はとても12歳とは思えない。


「彼女が何を思って死んだのか……それが分かれば他にも手はあったんですがねぇ」


「で、ではこのままではまた……」


 夫妻は途端に不安な顔をした。


「とりあえず引き剥がしたので、このままなら大丈夫ですよ」


 娘は暖かな香炉を手に取った。


「彼女はこれがお気に入りで、ふたりの縁はこれを通じて繋がりました。縁切りは、中の彼女ごとこれを引き取って完了です」


 娘は立ち上がると、優雅に一礼した。


「はい……お支払いは、これで」

「……」


 店主が娘に差し出したのは金貨2両である。これでも大盤振る舞いと言えよう。しばしの間、無言でそれを見つめた娘は、無表情で受け取った。


「いやはや、あの住職に紹介された時は、こんな可愛らしいお嬢さんに何てことをさせるのか、と胸を痛めましたが……素晴らしい素質を感じましたよ」

「……そいつはどうも」


 大旦那はごまをするように手を揉んだ。


「それでですね、今後とも是非ご贔屓にさせていただきたいのですが……良縁というのはどういったものを結べるのですか?ご店主に何か聞いてませんかな」


 縁屋見習いだろう娘は怒りもせず、ただ無機質な目で彼を見た。


「あんたに送る言葉はひとつーー金の切れ目が縁の切れ目」


 一転してぶっきらぼうに言い捨てた娘に、大旦那は固まった。


「おめでとう。これで私との縁も無事切れたよ」


 縁屋は、見事な金貨に見えるそれを遠慮なく捨てると、青くなって慌てふためく夫妻に背を向けた。


ーーまだ香炉があるのに。





 道行く人々はまことしやかに噂する。


「どうも、大口の取引先にもそっぽ向かれたみたいでね……」

「それって越後屋さん? ……可哀想に、加代ちゃん結婚もそろそろだったんでしょう?」


 井戸端会議の内容は、この母娘から世代を超えて広まっていく。


「でもねえ、正直あたしは可哀想とは思えないのよ」

「なんで?」


 母親は、辺りをちょっと確認してから口を開く。


「前にあそこにあった長崎屋、贋金混ぜて使ってたってんで、旦那さんがお上に連れてかれて、磔にされて……娘さんなんて自害よ? でもね……」


 つい大きくなってしまった声をさらに潜める。


「その金、どうもあそこを買い取った伊勢屋さんが忍ばせたものじゃないかって。お登紀さんが」

「お登紀さんって、どっちの店でも働いてた人よね?」

「そうなの。なんでも、ずっと借金で揉めてたらしいのよ。それで贋金作って、お上に話しを通したのも伊勢屋さんじゃないかって」

「そういえば千代ちゃんからも聞いたわ……お上に連れてかれる前日、伊勢屋さんが夫婦で店に上がって来たって……」


ーー縁というのは、複雑に絡み合ったもの。どこでどう結ばれるかわからない。それで人は「世間は狭い」などと言う。


「やっぱり!」

「しかも、加代ちゃんの婚約者、元々は長崎屋の娘と恋仲だったって話しもあるのよ」

「まあ!店も男も取ってったのかい!可哀想なのはお初ちゃんじゃないか……あんなに大人しくて良い子だったのに」


 通りを歩いていたふたりは、今はただ廃れるのを待つばかりとなった、かつての大店を盗み見る。

 長崎屋と伊勢屋ーーどちらにも奉公していたのは、噂好きな人ばかりだったが、彼らは、最後にとんでもないものを見つけてしまったと参っていた。それも仕方がないだろう。


「ーー四人とも初ちゃんと同じ首吊りなんて」



ーーさて、そんな因果を呼ぶ悪縁良縁の結断は、どうかこの縁屋にお任せを。


 ただし、ご本人の行動如何では、全ての巡り合わせが変わっていくーーほんの一時、縁が薄れたからといって、ゆめゆめ油断なさらぬように……



「あら、お香かしら?良い匂いがするわ……」



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