08.異世界の変貌
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国の名前が間違っていたので前話と合わせて修正いたしました。
「……どうして、こんな……」
目の前の光景を、うまく言葉に出すことが出来なかった。
ヴィオレッタの記憶にある温室は、一年を通して花を楽しめる、美しい場所だった。国王陛下の愛した薔薇、王妃殿下が手ずからに育てた百合。四季のあるこの国で、折々の変化を見ることが出来るようにと、庭師が丹精込めて世話をした植物たち。温室の傍らにはテーブルとベンチが設けられ、花々で目を楽しませながら、そこで飲食が取れるように配慮されていた。
神殿から長く離れることの出来なかったヴィオレッタと、王太子という立場で城から出ることを良しとされなかったジークハルトが、二人で訪れることを許された数少ない場所だった。
「先代の聖女様が身罷られた後、国を上げて探しましたが、次代の聖女様は現れず……聖女様を失った結果、土地が枯れ、魔物の活動が活発になりました。今では、神官様に土地を回復していただかなければ、作物が育たない状態が続いています」
リリアンナの話を聞いて、菫はアマリアが既に亡くなっていることを理解した。アマリアが亡くなり、後の聖女が現れず、その結果異世界から聖女を招く召喚の儀を行ったということだろうか。けれど、それでも疑問が残る。ヴィオレッタはかつて聖女としての教育を受けていた。そのなかで、聖女にまつわる歴史についても学ぶ機会があった。
歴代のなかで最も強い力を持っていたと言われているのは、建国の母である初代聖女様だ。この王国――エレウテリアの起源は、遡ること約五百年。当時大陸を脅かしていた魔王を討ち倒した勇者様が、自由を謳い興した国。それがエレウテリアだった。勇者様と聖女様は婚姻を結ばれ、その子孫が現在の王家に当たる。
初代聖女様の力は強大で、強大すぎたが故に、初代様没後もしばらくは次の聖女の位に就ける者が現れなかったという。しかし、その空位にあってもこの国に住む住民、皆が身分関係なく神に祈りを捧げ、力を合わせて責務を全うすることで国が栄えたという伝承が残っていた。
たった一人の聖女を失っただけで、ここまで土地が荒れ果てるなんて記述はどんな書物にも載っていなかった。それとも、アマリアは初代様以上の強い力を持っていたということなのだろうか。万物に愛されていたアマリアという聖女を失ったせいで土地が荒れたのだとすれば、果たして、菫や愛莉に出来ることなどあるのだろうか。
もし、もし――、菫も、愛莉も、この現状を打破することが出来なかったら。誰も頼ることの出来ないこの国で、自分たちはどうなるのか。考えるだけで恐ろしかった。
『偽者め』
――頭の中で、吐き捨てるような声がする。
『詐欺師め!息子を返せ!』
――耳の奥に、憎しみの籠もった言葉が残っている。
『魔女だ!!――殺せ!!』
――爪を剥がれる痛みが、髪を掴まれる悍ましさが、石を投げられる悲しみが。
薄れていた記憶が弾け、目蓋の裏に蘇り、踏み出そうとした菫の足を竦ませた。
「――ですので、聖女様方に来ていただけて、本当に嬉しいのです」
一歩を踏み出すことが出来ない菫の耳に、リリアンナの声が聞こえた。
「……どうして?私たちは、魔法なんか知らない。そんなものがない世界から来たのに。貴方達が求める力を――使うことが、出来ないかも知れないわ」
「お二方には、迷惑極まりない話かと存じます。これは、わたくしたちの勝手な都合ですもの。ですが……お二方は、わたくしたちの希望なのです」
希望――本来の聖女の役目は、人々に癒やしと生きる希望を与えること。兄から何度となく教えられていたはずの、聖女の存在意義。
菫は――ヴィオレッタは、リリアンナに言われるまで、それを思い出すことが出来なかった。
「本当は、ここへお連れしない方がいいとも考えました。けれど、他の誰かに知らされるより、聖女様方、ご自身の目でこの国の現状を知っていただきたかったのです。ご無礼をお許しください」
「頭を、上げてください。薬草園が見たいと言ったのは、私です」
薬草園を見たいと、ハーブがほしいと言い出したのは他ならぬ菫自身であり、リリアンナはその願いを叶えただけ。咎があるとすれば、この国の現状を事前に知ろうとしなかった、菫自身にある。リリアンナに謝られる謂れはない。そう伝えれば、リリアンナは素直に顔を上げた。
「お慈悲をいただき、ありがとうございます。スミレ様は魔法が使えないかもしれないとおっしゃいますが、お二方はこちらに来てまだ二日目です。言わば生まれたて、0歳児と変わりませんわ。この国に住む私たちでさえ、ほんの例外を除いて五歳にならねば魔力は発現いたしません。それを0歳児にさせようなんて馬鹿なことを言う方がいらしたら、わたくしがお仕置きして差し上げますわ」
それに、と、リリアンナは悪戯っぽく笑みを浮かべ、内緒話をするようにそっと菫の耳に唇を寄せる。
「こちらが勝手にお呼びしたのですもの。陛下たちを困らせたって罰は当たりませんわ。ですからどうか、思い悩まず、健やかにお過ごしください」
リリアンナが、穏やかに微笑む。己へと向けられる柔らかな眼差しに、目頭が熱くなるのを耐え、菫はぐっと唇を引き結んだ。
「ありがとう――……温室の中を、見ても良い?」
「もちろんですわ」
菫の申し出に、リリアンナは嬉しそうに笑う。彼女の先導のもと、菫は緑のない温室に足を踏み入れた。美しい花を咲かせる植物たちは、枯れ果ててしまいほとんど跡形も残っていない。毎年秋になると甘い果実をつける低木は、枝が折れ、今にも倒れてしまいそうだった。足元に視線を落とせば、乾ききった土地から土埃が舞い上がる。
「きゃ……っ」
土の具合を確かめるために膝を折り、花壇に指先が触れた途端。風が巻き起こり、リリアンナが小さく悲鳴を上げた。菫も風に巻き上げられた砂から逃げるよう咄嗟に顔を背ける。
その刹那。枯れ果てていたはずの土地から、草木が芽生え、生い茂っていくような緑の匂いがした。
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