06.二人ぼっち
時系列に少し無理があるように感じ、愛莉の入社時期等を修正いたしました。(11月2日)
「神埼さん、起きられる?」
「せんぱい……?」
「ご飯持ってきたの。食欲はある?食べられそう?」
部屋に入ると、愛莉は既に目を覚ましていた。どこかぼんやりとした様子で天井を見上げている。菫が声をかければ、熱で潤んだ瞳が菫へと向けられた。ベッドの傍に椅子を寄せながら声をかける。
起きた直後は気付かなかったが、愛莉の頬は熱で赤く色づき、肌には汗が滲んでいる。その苦しそうな姿を見て、菫は僅かに眉を潜めた。
「ありがとうございますぅ……」
「ううん。少しでも食べて早く元気になってね」
「はぁい」
水差しとグラスをサイドテーブルに置いて、トレイごと粥の入った器を渡す。それを見て、愛莉が不思議そうに首を傾げた。
「これって、おかゆですかぁ?」
「そう。具材はお米じゃなくてパンだけど」
パン粥に入っている材料はさほど多くない。牛乳とパン、はちみつに、少しの塩胡椒。煮込む前に全て摘んで味見をしたから、おかしなものは入っていないはずだ。
「もしかして、魔女の……?」
「そう。黒猫が食べてたやつ。離乳食とかに使われてるし、二日酔いなんかにもいいみたい」
菫がパン粥を作ろうと思ったのも、かの有名なアニメ映画がもとだった。箒に乗った可愛い魔女としゃべる黒猫の物語。何度もテレビで放映されているため、知らない人間の方が少ないだろう。猫と同じものなんて、と怒る可能性もゼロではなかったが、愛莉が喜んでいる姿を見て菫はほっと胸を撫で下ろす。
「おいしい。こんな味なんだぁ」
「口にあったようで良かった。汗かいてるし、水も飲んでね。着替えはどうする?」
「着替えたいですぅ。すみません、何から何まで……」
しょんぼりと肩を落とす愛莉を見て、菫は笑顔で首を横に振った。
「困った時はお互い様でしょう?気にしないで」
「あの、メイドさん?とかはどうしたんですかぁ?」
昨日大勢の人間に囲まれたからだろう。自分と菫以外の人間がいない部屋を見回して、愛莉が目を瞬かせた。
「知らない人がいたら休まらないかと思って、出てもらってるけど……必要なら呼ぼうか?」
「……迷惑じゃなければ、せんぱいがいいです」
遠慮がちに告げられた言葉に、菫は笑みを浮かべることで応えた。
「もちろん。言ったじゃない、お互い様だって。それに、神埼さんのことは明さんからも頼まれてるしね」
「あきにぃ……部長、から?」
「ふふ。呼びやすい呼び方でいいよ。幼馴染なんでしょう?」
場所が会社なら問題があるかもしれないが、ここはまったく別の世界。日本どころか地球ですらない場所だ。どう呼んでも誰も咎めない。
「知ってたんですか?」
「うん。明さん、神埼さんのことよく話すの。少し抜けてるけど真面目で努力家だって。神埼さん、いつも頑張ってるものね」
明の名前を聞いて、愛莉は驚いたように目を見開く。明と愛莉、二人の関係は愛莉が入社する前から知っていた。それこそ、明と付き合い始める前からの話だ。
歳の離れた妹のような幼馴染のことは、彼と話をしているとそれなりに話題に上がる。もっとも、その幼馴染が会社に入ったからもし関わることになったら面倒を見てやってほしいと言われたのは、つい最近のことだった。
食事の最中ふと思い出したように告げられ、どうせなら、入る前に教えてほしかったと言えば、あいつが菫に懐いたら二人の時間が取れなくなる、と拗ねたように言うものだから、おかしくて笑ってしまったことを覚えている。
愛莉が研修を終えて菫のいる部署に配属されたのはつい三ヶ月ほど前の話だ。名前を聞いて、この子が、と一方的な親近感を持っていた。
少し人見知りの気はあるものの、華やかな容姿をした愛莉は人気があり、男性社員に囲まれていることが多かった。そうしてなんやかんやと直接尋ねることが出来ないまま忙しく時が流れ、今日へと至ってしまった。だからこうして、二人でゆっくり話をするのは、実のところ初めてのことだった。
明から聞いたところによれば、愛莉とは、彼女が小学生になる少し前に引っ越して来た頃から付き合いがあるのだとか。派手な容姿をしているが、見た目に反して真面目で礼儀正しく、人見知りが玉に瑕。訛りがあることを気にしていて、それを誤魔化すために間延びした口調をしていることだとか。
これは自分が聞いて良い話かと菫が首を傾げる内容まで、楽しそうに話していた。その表情がどこか兄と重なって、懐かしく感じたことを覚えている。その時は、こんなことになるなんて思ってもいなかったが。
「……せんぱい、私のこれって……風邪、ですか?」
粥を食べ終え、空になった器をテーブルに置いたの言葉に、一瞬、なんと返そうかと言葉に詰まる。魔力なんて得体の知れないものが目覚めたと聞けば、ショックを受けるかもしれない。だが、菫がここで口を噤んでも、いずれどこからか耳にしてしまうだろう。
それを考えると、ここで答えを誤魔化すという選択肢は、あってないようなものだった。
「神埼さんのそれは……その、魔力熱、って言うらしいの」
「まりょくねつ……?」
「お医者さまが言うには、魔力が発現する時、人によっては熱が出ることもあって……それじゃないか、って」
医者から聞いた言葉をそのまま愛莉に伝える。その言葉をうまく理解出来ないのか、それとも消化するのに時間がかかっているのか。愛莉との間に流れた沈黙に気まずさを感じて、菫はそっと視線を伏せる。
「……っ……」
小さな嗚咽が聞こえた。反射的に顔を上げる。愛莉が、その大きな目からぽろぽろと大粒の涙を零して泣いていた。
「神埼さん、」
「……っや、です……やだぁ……魔力なんて、いらないよぉ……!」
縋るように伸ばされた腕。咄嗟にその華奢な身体を抱き締める。愛莉の身体は小刻みに震えていた。聖女召喚だとか訳の分からないものに巻き込まれて、見ず知らずのたくさんの人間に囲まれた。挙げ句、魔力だなんて本来あるはずのないものが現れた、なんて。どれもこれも、愛莉には耐え難いものだっただろう。ヴィオレッタの記憶がある菫でさえ戸惑っているのだ。愛莉が不安に思うのも当然だ。
「っ……かえりたい……こんなところ、いたくない……」
「うん。帰ろう、一緒に。帰ろうね」
泣きじゃくる愛莉の背中を宥めるように撫でる。ここがヴィオレッタのいた世界だろうとなんだろうと関係ない。帰らなければと強く思った。たとえ愛莉が聖女でも、――菫が、聖女だとしても。こんな世界に縛り付けたくはないし、縛られてほしくない。帰る方法があるのか、今の菫には分からない。けれど、迎える方法があるなら、送る方法があってもおかしくないはずだ。
どれくらいそうしていただろうか。徐々に愛莉の震えも収まり、乱れていた呼吸が戻り始めた。落ち着きを取り戻したことを確認して、そっと身体を離した。
「横になって。よく寝て、熱を下げて、体調を整えて。そうしたら、帰る方法を探しましょう」
愛莉をベッドに寝かせ、布団をかけてやる。不安そうな愛莉の手を握って、安心させるように言葉を紡ぐ。
「せんぱい……」
「なぁに?」
「……ごめんなさい、せんぱい……」
「大丈夫だから、ね。……おやすみ、神埼さん」
熱に魘されるように溢れた言葉に、そっと笑みを返す。ゆっくりと眠りについた愛莉を見て、菫はほっと息を吐いた。
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