04.発熱
何に急かされるわけでもなく、自然と目が覚めた。ここ数日、仕事量が普段よりも多かったせいか眠りが浅かった。時間に追われることなく目を覚ますなど何時ぶりだろう。いつもよりも爽やかな気持ちで身体を起こす。これで、目を覚ました場所が自分の見慣れた部屋であればどれほど良かったか。
眠る前と変わらぬ室内の様子に、菫は人知れず溜息を零す。思い起こすのは、昨日の出来事。何の因果か、聖女召喚の儀によって、菫はかつて己がヴィオレッタとして生きていた世界に呼び戻された。
「神埼さん、朝よ、起きて」
愛莉と同じ部屋にしてもらい、部屋にあった大きなキングサイズで共に寝たことまでは覚えている。隣で眠っているはずの愛莉に声をかけるが、返事がない。菫の方に背を向けて布団を被っているため、その表情は伺えない。無理に起こすのも忍びないが、放って置くわけにもいかない。
どうしようか悩んでいるうちに、ふと、愛莉は入社当時から朝に弱く、少なくない遅刻をしていた時期があったことを思い出した。昨日の件があったことを考えれば、疲れているのも無理はない。流石に一日中寝かせておくわけにはいかないが、己が着替えている間くらいは寝かせておいても罰は当たらないだろう。
布団越しにそっと愛莉の頭を一撫でし、菫はベッドから降り、クローゼットを開いた。クローゼットのなかには、様々なドレスやワンピースが入っている。どれも仕立ての良いものだと一目で分かるものばかりだ。そこから選んで服を着替える。袖を通したワンピースは、菫の身体にぴったり合った。柔らかな素材は優しい肌触りで着心地が良い。随分準備が良いものだと皮肉に思わなくもないが、着替えがなければ困ったのも確かなため、菫は沈黙することを選んだ。
着替えを終えて一息。流石にこれ以上はまずいだろうと、愛莉の身体を揺さぶる。
「神埼さん。……神埼さん?ごめんね、触るよ」
しかしいくら呼びかけても愛莉からは返事がない。流石におかしいと思い、一言声をかけてそっと首筋に触れると、愛莉の身体は驚くほど熱を持っていた。
慌ててベルを鳴らし、侍女を呼ぶ。すぐに医師の手配をしてもらう。ただの疲れにしては発熱量が異常だった。
「これはおそらく、魔力熱でしょう」
「魔力熱……?」
侍女の手配で部屋へ現れた老齢の医者は、穏やかな表情で診断を終えた。少なくとも深刻な病ではないらしい。どこかで聞いたことのあるような、しかし現代では覚えのない単語を聞いて、菫は首を傾げた。
「魔力が発現した際、身体に馴染むに当たって起きる症状です。通常、この国では四、五歳辺りに多いものですな」
「どうしたらいいんでしょうか?」
「身体に魔力が馴染むまでは安静にしておくといいでしょう。なぁに、子供でも耐えられるものです、大人であれば尚更大丈夫ですよ」
「でも、こんなに苦しそうなのに……」
「しかしねえ、魔力熱に治癒魔法やポーションは逆効果なんですよ」
その話を聞いて、菫がまだヴィオレッタだった頃、兄から聞いた話が脳裏に浮かんだ。
兄は治癒の勉強中、唯一、治癒魔法をかけてはいけない病があるのだと言ってはいなかったか。それは大抵子供の頃、十人に一人程度の割合で症状が現れ、早ければ一日、長いと一週間ほど寝込むことになる。
その時が来たら、治癒魔法をかけたりポーションを与えてはいけないよ。なぜなら、身体に馴染もうとしている魔力と体外から与えられる魔力が反発し合い、余計体調を悪化させることになってしまうから。――ああ、そうだ。兄は確かにそう言っていた。
知識としては知っていたが、ヴィオレッタは魔力熱にかかったことがなかったし、周囲にもかかるような子供はいなかった。その経験不足がまさかここで足を引っ張ることになるとは思ってもいなかった。
「本日のご予定はどうされますか?陛下は午後になれば時間が空くと仰っていますが」
昨日、案内役をした侍女が菫たちの前に現れた。どうやらこの侍女が客人付きとなったらしい。
「悪いけど日をずらしていただけるようにお願いして。それから、厨房を貸してもらいたいのだけど」
「かしこまりました」
この世界の食事は、正直言ってしまえば美味しくない。ヴィオレッタだった頃は特に疑問もなく食べていたが、生まれ変わり、現代の食事をするようになって菫の舌はすっかり肥えてしまっていた。元より現代の食事しか知らない愛莉では、菫よりも辛いだろう。幸いにして食材自体は現代にあるものと類似したものが流通している。きちんと手順を踏んで調理を行えば問題ない。
愛莉の傍から離れるのは不安だが、調理を誰かに任せることも不安だった。幸か不幸か、昨日菫が鑑定を弾いたためどちらが聖女かは分かっていない。この現状であれば、愛莉も菫も、乱暴には扱われないはずだ。
間借りしている客室から程近く。他に比べればこじんまりとした厨房から人払いをして調理を行う。作るのはパン粥だ。これなら熱があっても喉を通りやすいだろう。
「……大丈夫かな」
「何をそのように不安がっている?」
一刻も早く部屋に戻りたい。だが無駄に火力を上げれば粥はあっという間に焦げ付いて食べられなくなってしまう。そんなジレンマに苛まれ、そわそわと部屋の方に意識を向けていたその時。菫の背後から、聞き覚えのある声が聞こえた。
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