03.聖女召喚
「――……」
金糸雀を思わせる金の髪に、翡翠の如く美しい瞳。
かつて、まだ幸せだった頃のヴィオレッタは、己を優しく見つめるジークハルトの目が好きだった。出会った当初、互いに口数が多い方ではなく、会話もあまり続かなかった時期がある。けれど、それでもジークハルトに苦手意識を持たなかったのは、ヴィオレッタを見つめるその目が誰より優しかったからだ。
視線が絡む。目を反らすことなく見据えれば、切れ長の目が僅かに細められる。己に冤罪を被せ、断頭台へと送り、その首を落とした男。憎むべきはずの男を前に、ヴィオレッタ――否、菫は、驚くほどに冷静だった。
「……どちらが聖女なのだ」
一瞬のようにも、永遠のようにも思える睨み合いから視線を反らしたのは、ジークハルトの方だった。ジークハルトの言葉に、神官の男が菫と愛莉へと手を翳す。
「少々お待ちください。ただいま鑑定を――」
言葉と共に伸びてきた魔力を、菫は反射的に己の魔力で弾き飛ばした。
「きゃあっ!」
神官の男と、菫と愛莉、二人の間に強烈な静電気が起きたような衝撃が走る。たまらず愛莉が悲鳴を上げた。
「これは……」
「どうした」
神官の男の顔が驚愕に染まる。菫と愛莉、そして己の手の平を交互に見つめ、動揺したように声を震わせる。それに気付いたジークハルトが神官の男に声をかければ、神官の男はしばし思巡した後、玉座に向けてその頭を垂れた。
「私では聖女様方の鑑定が出来ないようです。力が及ばず申し訳有りません」
神官の男の言葉に、周囲が再びざわめき出す。
「他に鑑定が出来る者は」
「私より上は、大神官であり、真贋の目を有するナダル卿以外おられません」
――お兄様!
菫のなかにある、ヴィオレッタの記憶が心を騒がせる。聞き間違えるはずもない。一日だって忘れたことなどなかった。たった一人、最後までヴィオレッタを信じ続けてくれた人の名前。やはり、ここはかつてヴィオレッタがいた世界で間違いないのだろう。それにしても。周囲に気取られぬ程度に視線を動かす。
ここに集まっているのはおそらく貴族の一部と神官たちのはずだ。それにしては、見覚えのある顔がないことが気がかりだった。ヴィオレッタがこの世界で死んでからどれくらい経ったのか分からないが、直後ということはないだろう。当主の交代などで多少顔ぶれが変わることがあっても、ここまで様変わりするとは思えない。
それに、だ。ヴィオレッタの記憶が正しければ、この国には聖女がいたはずだ。ヴィオレッタより強い光の魔力を持ち、万物に愛されたアマリアという聖女が。ヴィオレッタは、アマリアとほとんど関わったことがない。しかし彼女の話は嫌でも耳に入ってきた。周囲の人間がこぞってアマリアを讃えるのだ。それに比べてヴィオレッタは、と、引き合いに出されこき下ろされるのが常だった。聖女は当代に一人しか現れない。力の強いアマリアこそが聖女に相応しい。そう言ったのは果たして誰だったか。その言葉はまたたく間に広がり、ヴィオレッタは偽物の烙印を押され、国を騙した汚名を着せられた。
おそらく、ヴィオレッタが処刑される際、ジークハルトの傍にいた彼女がアマリアなのだと思う。ヴィオレッタがアマリアと対面したのは、あれが最初で最後だった。顔を思い出そうとしても、靄がかかったようにぼんやりとしていて、思い出せそうにもない。
「では、ナダル卿が戻るまでの間、彼女らを客人とする。異論はないな。下がれ」
神官の言葉を聞いたジークハルトがそう結論付けるのを聞いて、異論しかない、そう溢れかけた言葉をぐっと飲み込む。己一人ならばまだしも、今この場には愛莉がいる。下手に口を出して立場を悪くするわけにはいかなかった。
「お部屋にご案内します」
ジークハルトの合図を受け、案内役らしき侍女が現れた。恭しく頭を下げる侍女を一瞥し、真っ先に相部屋を希望した。
「私たちは同じ部屋にしてもらえる?」
「……、お一方ずつお部屋をご用意しておりますが」
「こんな訳のわからない場所に無理矢理連れてこられて混乱しているの。ろくな事情説明もないし。その上唯一の知り合いからも引き離して、更に不安を煽るのが貴方達のやり方なの?」
「ですが……」
「良い。客人らの言う通りにせよ」
愛莉を背に庇ったまま、侍女に対して威嚇するよう言葉を捲し立てる。おかしなことは言っていないはずだ。突然見たこともない異郷に連れて来られて、不安にならない人間はいない。知り合いと一緒にいたいと願うのも当然の流れだろう。侍女が折れるまでごねるつもりでいたが、その場にいたジークハルトから存外あっさりと許可が降りた。
「事情についても、きちんと説明する。しかし、今は休まれた方が良いだろう。――顔色が悪い」
「……分かりました。神埼さん、歩ける?」
「は、はいぃ……」
よく見れば、愛莉も相当顔色が悪かった。こんな、有り得ないような出来事が自分の身に襲いかかったのだ。混乱して当然だろう。
広間を出て、侍女の後ろについて歩く。菫と愛莉の後ろには、騎士らしき男が数人続いている。見張りか、護衛か。どちらにしても、鬱陶しいことこの上ない。
騎士たちが歩く度にカチャカチャと金属が擦れる音がする。きっと、この男たちにも、ジークハルトにも、分からないだろう。銃刀法で武器の所持を取り締まられ、一般人の殆どは武器と無縁な世界から来た人間が、武器を持つ人間をどれほど恐ろしく感じるかなど。
先程見た光景を思い出す。あれは、間違いなくジークハルトだった。己を殺した男を前にしても、菫はヴィオレッタの記憶に引き摺られなかった。自分でも意外に思うほど、憎しみも嫌悪も、湧いてこなかった。テレビを見ているような、アルバムを見ているような、言うなれば画面を一つ隔てたような、不思議な感覚だった。叫び出すことも、泣き出すこともなくジークハルトと対面出来たのは、一重に愛莉の存在があったからだ。後ろに愛莉がいなければ、菫も正気を保てていたか分からない。
部屋に入って、侍女が下がるのを見届けて、ようやく一息つくことが出来た。スーツのジャケットを脱いで、日本では滅多にお目にかかれないようなキングサイズのベッドに腰を下ろす。
「せんぱい……すみません、全部、任せっきりで……」
「ううん、こちらこそ。神埼さんがいてよかった。一人だったら……たぶん、暴れまわってたかも」
「えぇ、先輩が?暴れるとか、向いてなさそ〜」
「わからないよ?やってみたら案外向いてるかも」
冗談だと思ったのか、可笑しそうに愛莉が笑う。それに笑い返して、これからのことについて思いを馳せた。
ヴィオレッタと菫には、決定的な違いがある。
ヴィオレッタは、この国の貴族として生まれ、国のため、民のために働く人間となるよう育てられた。けれど菫は違う。菫は貴族でもなければ、この国の生まれですらない。今の菫がジークハルトに従う道理などないのだ。その事実だけで、菫の心は軽くなる。
考えなければならないことは沢山あった。アマリアのこと。聖女のこと。何よりもこの国の状況を知らなければ身動きの取りようがない。
「……ディルにいさま……」
懐かしい呼び名を口にする。兄のことを考えると、胸の内に明かりが灯るような、不思議な心地に包まれた。
ディルク・ルド・ナダル。
王太子であるジークハルトに裏切られ、神殿に見限られ、国中から蔑まれてなお、ヴィオレッタを見捨てず、ヴィオレッタの無実を信じてくれていた兄。
鑑定を受けるために、兄と顔を合わせる。避けようのないその未来が菫の心を波立たせた。会いたくないと言えば噓になる。けれど、菫は最早ディルクの知るヴィオレッタではない。顔も、声も、何もかも違う。
菫には、ディルクを前にして、上手くはじめましてと言える自信がなかった。
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