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28.憂う

「戻らない、ですか?」


 ジークハルトの執務室を後にし、子どもたちと部屋に戻ってしばらく。まだ体力の戻らない兄妹が眠気と奮闘している姿を見て、無理をしないようにとベッドに寝かしつけたタイミングで一人の騎士が部屋を訪れた。何事だろうかと疑問に思って首を傾げれば、騎士の口から愛莉の名と共に伝言がありますと用件を告げられ、ひとつ頷く。


 ジークハルトの執務室で事情を聞く少し前、騒動が起きて部屋を移ることになったと愛莉に伝えて欲しいと、確かに頼んでいた。騎士が言うには、その伝言に対して返答を預かっているとのことだった。菫が先を促し、騎士の口から告げられた言葉が今日からしばらく戻らない、というものだった。


「はい。騒動についてお伝えしましたところ、本日は学院敷地内にある学生寮の方へ滞在するとのことです」

「学生寮?」


 この世界で、初めて聞く単語に首を傾げる。通学経験がないためヴィオレッタの学院に関する知識自体がやや曖昧なところがあり、騎士の言葉に対して真偽がつかない。


「はい。フェリシアーノ様が学院に入学する際のご希望で建設されました。遠方から通うご子息やご令嬢もおられるので、評判は悪くありません」

「そう、なんですか」


 フェリシアーノが学院に通い始める年と言うと、多く見積もっても三年前ほどだろうか。リリアンナに聞いた限り、ヴィオレッタの処刑から、現在まで約六年の月日が流れている。その空白期間に起きた出来事であるのなら、知らないというのも頷けた。


「……分かりました。何度も申し訳ありませんが、無理はしないように伝えてもらえますか?」


 多少腑に落ちない部分もあるが、だからと言って眠っている二人を放って学院に突撃しに行くわけにもいかない。フェリシアーノやエヴァンは菫と愛莉が異世界から召喚されたことを知っているはず。まだ聖女も判明していない段階で何かを仕掛けてくる可能性は限りなく低い。その二人に加え、公爵令嬢たるリリアンナも共に行動していることを考えれば、菫の懸念は過ぎたるもののように思えた。


「かしこまりました。他にもご用があれば、なんなりとお申し付けください」

「ありがとう、ございます」


 恭しく跪く騎士を前にして、菫は僅かに言葉に詰まった。ここまでの態度を取られるほど、大したことはしていない。ただ当たり前のことをしただけだ。それなのに、騎士も侍女も、先程の一件から目に見えて態度が変わった。王となったジークハルトは、それほどまで恐れられているのだろうか。


 騎士を送り出して、漸く一息つく。用意されていたティーポットからカップに紅茶を注いで口に含む。華やかな香りが鼻を擽り、いくらか気分が和らいだ。


 ベッドで眠る兄妹に視線を向ける。少し話を聞いたところ、レーヴェは九歳、ヒルシュは六歳だと言うから驚いた。日本の子どもたちとは比べるまでもないが、ヴィオレッタの記憶にあるこちらの子どもの姿と比較しても、随分小さく感じる。それほど酷い環境だったと考えれば当然だが。栄養を付けさせると共に二人の先についても考えなければならない。

 菫は、いずれここから離れる身だ。それまでに、二人が独自で生きていける知識と力を身に着けさせる必要があった。


 それに、ジークハルトの手前引いたが、フラムがどうなっているのかも気にかかる。レーヴェの話が真実ならば、二人が神殿から離れた後も被害は続いていると考えたほうがいいだろう。それに対して、自分には何が出来るのか。兄との思い出がある場所を、こんな形で失いたくない。そこまで考えてふと冷静に戻る。


 ――いけない。また、昔の記憶(ヴィオレッタ)に引きずられていた。


 この世界に来てから、まだ一月も経っていない。だと言うのに、菫は度々このような状態になることがあった。ヴィオレッタ(ぜんせ)の記憶が鮮明になればなるほど、自分が曖昧になっていくような、なんとも言えない不可解な感覚。


 ヴィオレッタは菫で、菫はヴィオレッタだ。

 だから、何もおかしなことはないはずなのに。胸の奥で燻っているそれが何と言う感情なのか、菫自身分からずにいた。


「……どうぞ」

「失礼いたします」


 ぼんやりと、そんなことを考えていると再び扉が叩かれた。一拍置いて返事をすれば、静かに扉が押し開かれ、現れたのは、先程の騒動で、ヒルシュを連れ出した侍女だった。


「何かありましたか?」


 部屋に入ってきた侍女の腕には、包みが抱えられていた。そして、侍女の表情は暗い。一体何があったのだろうか。言い出しづらいのならばと、出来る限り優しく、笑みを浮かべて声をかける。


「申し訳っ、ありませんでした……!」

「えっ?」


 突然勢い良く頭を下げられ、菫は戸惑いを隠しきれず、眉を下げる。


「先程のことなら、もう」

「いえ、いいえ。……こちらを」

「……っ」


 差し出された包みを受け取り、膝の上で紐解く。そうして現れたものを見て、菫は言葉を失った。そこにあったのは、こちらに来た時に着用していたスーツ。明から贈られたオーダー製のそれは、いっそ見事なまでに布が裂けていた。


「これは」

「レーヴェ様がヒルシュ様をお探しになった時、クローゼットを開け、中を探ったようで……。わたくしの責任です。本当に申し訳ありません」


 言い辛そうに侍女が言葉を濁す。告げられる言葉が、うまく理解出来なかった。


 どうして、気付かなかったのだろう。否、気付かないふりをしていただけかもしれない。

 可能性はあったのだ。レーヴェが部屋をひっくり返したと聞いた時、部屋の状態を遠目ながらに覗いた時。気付く機会は何度もあった。


「申し訳ありません、罰はいかようにも」

「いいえ。届けてくれて、ありがとうございます」

「その、手直しを」

「いりません」

「!」


 反射的に侍女の声を否定する。菫の声の鋭さに、侍女の身体が小さく跳ねた。


「ごめんなさい。あなたのせいじゃないの。直すなら……いつか、自分でやるから」


 元の世界に戻ったら、きっと。

 その言葉を飲み込んで、菫は唇で笑みを作る。


「しかし」

「その代わり……二人にはこのこと、伝えないでください。……ね?」


 知れば、二人――特にレーヴェは己を責めるだろう。菫も、それに明だって、いくらスーツを引き裂いたからと言って、子どもを徒に甚振るような性格はしていなかった。


 侍女を下げて、スーツを広げてみる。肩口から背中まで、ざっくりと布が引き裂かれていた。端にあったスーツがこうなのだ、他のドレスも似たような、もしくは、もっと酷い状態かもしれない。形が残っているだけ良い方だと喜ぶべきだろうか。


 誰も、悪くはない。ヒルシュも、侍女も、レーヴェも。ただ、タイミングが良くなかっただけ。どこか自分に言い聞かせるよう小さく呟いて、菫はスーツを抱き締めた。


 修繕した方がいいのは、分かっている。けれど、今、この世界でそれをやってしまったら。あちらとこちらの境界が薄れてしまう気がして恐ろしかった。


 明は今、どうしているのだろう。菫と愛莉がいなくなって、心配しているだろうか。それとも――……

 形のない想像だけが脳裏に浮かぶ。ゆるく首を横に振って、心に芽生えそうになる不安を追い出す。一人でいると、悪い考えばかりが浮かんでしまい、自ずと菫の気持ちを沈ませた。


 状況も環境も、何もかもが違うのに。まるで、あの頃に戻ったような気がするのは、どうしてだろう。


「大丈夫……大丈夫。だって、私は」


 私は  だから――

 無意識に溢れた言葉は形になることなく、空気に溶けて消えていった。

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