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02.OL 穂積菫

「あれ?穂積(ほづみ)先輩、まだ残ってたんですかぁ?」


 人気のなくなったオフィスビル、その一室で、菫は残り少ない書類と向き合っていた。


「……神埼さん。どうしたの?」

「忘れ物しちゃって取りに来たんです。そしたらまだ人が残っててびっくりしましたぁ!誰かと思ったら先輩だし」


 カツカツというヒール特有の足音と共に現れたのは、後輩である神埼(かんざき)愛莉(あいり)だった。その声にパソコンから視線を外せば、ニコニコと人懐っこい微笑みを向けられる。


「明日から有給もらってるから、これくらいは片付けないと」

「あ!そっかぁ。部長のご両親に挨拶に行くんでしたっけ〜?」


 独特の間延びした口調で呈された疑問とともに、こてりと首を傾げる姿は、実年齢より幼く見える。


「ううん、それは先週の話」

「えぇ!じゃあじゃあ、どうだったんですかぁ?部長のご両親って、ここの社長と筆頭秘書ですよねぇ?」


 先週の日曜日、菫は交際相手の東堂(とうどう)(あきら)と共に、東堂の両親へと挨拶に行っていた。東堂の両親のことは、菫も紹介される前から知っていた。何せ東堂の父親は二人が働くこの会社の社長、そして母親はその筆頭秘書なのだ。むしろ顔を見たことがないという社員の方が珍しいだろう。


「……あんまり、良い顔はされなかったかな」


 先週の顔合わせのことを思い出し、菫は僅かに言葉を濁らせた。二人共、社報で見た通りの良い人たちだった。社員思いで、息子思いの優しい人たち。緊張していた菫のことを、よく気遣い話しかけてもくれた。食事会自体は、恙無く進んでいたと思う。それは間違いない。けれど、明との仲が認められたかと言われれば、答えは否だった。


 菫には、両親がいない。いないと言っても、両親が亡くなったわけじゃない。おそらく、何事もなければこの国のどこかで生きているだろう。菫は捨て子だった。菫が三つになる頃、母親に施設の前に連れて行かれ、ここで待っていなさいと言われた。母親はそのまま迎えに来ることなく、菫は施設に身を寄せることになった。


 菫を産んだ両親が、性根の悪い人間だったのかと言えば、それは違う。確かに裕福ではなかったが、父も、母も、菫のことを愛してくれていたと思う。菫が、言葉を話し始める前は。


 菫には、前世の記憶というものがある。とある国で貴族に生まれ、それから処刑されるまでの短い人生だった。けれどそれは夢というにはあまりにも鮮明で生々しく、菫の脳裏に焼け付いて離れない。そして、菫が初めて口にした言葉は、日本語ではなく、前世の国の言葉だった。


 突然聞き慣れない言語を口にした我が子を見て、当然両親は戸惑った。何かのテレビ番組に影響されたのだとか、色々と理由を考えてくれていたが、考えれば考えるほど、この世界のどの言語とも似通わない言葉を口にする子供に戸惑いは強くなる。そして戸惑いはそのまま気味の悪さに変わり、娘の言動に耐えきれなくなった母親は、菫を施設へと置き去りにした。それが事の顛末(てんまつ)だった。


 菫とて、何もしなかったわけではない。日本語を覚える努力もした。けれど齢いくらもない子供が必死に言葉を覚えようとする様は、当時の両親にとって気味の悪さを引き立たせる行動でしかなかった。そうして、菫は両親を失った。


 けれど自らの異常性を理解している菫にとって、両親の行動は責められるものではなかった。両親だった二人は、菫の言動に気味が悪いと怯えながらも、暴力を振るうことはなかった。それどころか、施設に連れて行かれるその日まで、きちんと食事の面倒まで見てくれた。菫が二人の子供でさえなければ、きっと幸せな家族だっただろう。そう考えれば、申し訳ないという感情しか抱けなかった。


 施設に身を寄せるようになって、年下から年上まで、たくさんの子供たちと触れ合った。施設の職員も良い人たちばかりで、菫のことを否定することなく見守ってくれていた。多くの人に囲まれ、少しずつ前世の記憶と折り合いをつけ、今に至る。施設の人たちを家族同然に思っている菫にとって、両親がいないことは恥ではない。けれど、世間一般は菫の思考を受け入れてくれるほど甘くなかった。特に、明の両親のように社会的地位が高ければ尚更だ。


 まだ部長の明だが、現場を経験し、いずれはこの会社を継ぐのだろう。そうなれば様々な会合やパーティーに妻を同伴する機会も増える。その時、出自の分からない菫では、明の足を引っ張ってしまうことが容易に想像できた。明本人はそんなこと気にしなくていいと言ってくれていたが、明の両親にとってはそうじゃない。大切な息子にわざわざいらない苦労をかける相手を、どうして受け入れられるだろう。明が席を外した時、遠回しに、だがしっかりとした声色で別れるように告げられたのは、ある種、仕方のないことだった。


 明は菫と付き合っていることを隠していない。菫も、公私混同は控えているものの、聞かれた場合は肯定している。そうして欲しいと明に望まれたからだ。結果的に今の部署では菫と明の仲は公認のようなものだった。それを知っていたのか、もし別れて気まずいようなら、支部に席を用意するとまで言われたのだ。扱いとしては破格だろう。


「え、それって……」


 愛莉が僅かに声を詰まらせ、何かを確かめるように話を続けようとした時、不自然に言葉が途切れた。何かに気付いたのか、じっと足元を見つめている。


「神埼さん?」


 愛莉の異変に気づき、菫が声をかけようと腰を浮かせた瞬間。オフィスが目映い光に包まれた。


「きゃっ!」

「っ……」


 目が眩むほど強い光に、思わず眼前に手を翳して光を避ける。目を閉じ、次の衝撃に備えようとした菫の耳に、大きな歓声が聞こえた。


「聖女召喚の儀、成功いたしました」


 聞き覚えのある言葉が、耳に届く。目を開けると、そこには大勢の人間がいた。

 誰も彼も、現代では有り得ない服装をしている。まるでコスプレ会場に迷い込んだような錯覚。けれど、菫はその服装に言いようのない既視感を覚えていた。


「せんぱぁい……なんですか、ここ……どこぉ……?」

「神埼さん、こっちに来て」


 不安そうな愛莉の声を聞いて、我に返る。彼女の腕を引いて、そっと背に庇う。自分の方が年上なのだから、しっかりしなければならない。歓声だったはずの人の声が、ざわめきに変わる。周囲を警戒しながら、聞き逃さないように耳をそばだてた。


「聖女がふたり?」

「どういうことだ?儀式は失敗したのか?」

「神官は成功だと言っていたが……」


 聞こえる会話の節々から、どうしようもなく嫌な予感がした。


「皆の者、陛下の御前である!鎮まれ!」


 ――陛下。

 その言葉を聞いて、どくりと心臓が大きく脈打つ。


 何かに吸い寄せられるように、菫は顔を上げる。視線の先には、豪奢な玉座があった。

 玉座に腰を下ろしている男を見て、菫の心臓が嫌な音を立てる。記憶よりもいくらか歳を重ね、身体つきは逞しくなっただろうか。しかしその美貌は記憶にあるまま、衰えていない。


 ジークハルト・ソル・マクスブレイン。

 かつてヴィオレッタの命を奪った男が、そこにいた。


閲覧いただきありがとうございます。

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