21.語られるもの
非を認めてほしい。そう思ったことがないと言えば、噓になる。けれど、いざそれを目の前にしてみると、どうしていいのか分からなかった。
はくはくと唇が意味もなく開閉を繰り返し、言葉は形にならず、呼吸だけが溢れていく。
ジークハルトは、王だ。この国を束ねる頂点だ。王太子であった頃から、こんな風に頭を下げているところなど、見たことがない。それも当然だった。生まれながらの王族にして、幼い頃から王になるべく育てられた第一王子。傅かれることはあれど、自ら膝を折る機会などそう有るはずもない。王族が安易に非を認めるなど、例え非公式の場であっても、本来あってはならないことだった。
「それは……何に対しての謝罪でしょうか」
一拍、二拍。
少なくない間を開けて、菫はジークハルトに問いかける。
「同意なくこの国へ連れてきたことに対してのことだ」
「これが――悪いことだったという、自覚が、あると?」
「ああ。……いや。取り繕うのはよそう。あの時そう指摘されるまで、国のためならば致し方のないことだと割り切っていた」
――国のため。
そうだ。ジークハルトはそういう人だった。かつて、ヴィオレッタがジークハルトと婚約を結ぶことになった時もそうだった。民の間では第一王子と聖女が互いに見初めあったと美談にされていたが、ジークハルトとヴィオレッタの婚姻は、政略的な意味も大いに含まれていた。
エレウテリア王国は、勇者の血を引く王族が治める国として、他国から神聖視されていた。だがその実、500年という月日のなかで勇者の血は薄れ、王族の中でも勇者の御印を持つ者は減少の一途を辿っているという。故に力を持つ聖女と婚姻を結び、子を設けることで力を強めようとしているのだと、婚約の話が持ち上がった当時、ジークハルトから打ち明けられたことがある。
勇者の御印とは何かと尋ねたヴィオレッタに、それは王家の秘中の秘であり、今はまだ教えることが出来ないと詫びられた。思えば、ジークハルトから謝罪を受けたのは、あれが最初で最後だった。今、この状況になるまではの話だが。
ヴィオレッタはその時既にジークハルトのことを慕っており、また、正直に話してくれる彼の人柄を好ましく思っていたため、二つ返事で婚約を受け入れた。ジークハルトはいつだって、国のために無私を貫ける人だった。
「……分かりました。謝罪は受け入れます。ですが、それは私に対してだけのものだとご理解ください」
――それらはすべて、過去の話だ。
謝罪は受け入れる。だがそれだけだ。受け入れたところで、何かが変わるわけでもない。どんなに謝罪をされたとしても、それはただの言葉でしかなく、そこから何かが生まれることはない。
どんなに後悔したところで、起きてしまった出来事を変えることは出来ないし、ついた傷が消えることもないのだから。
「聞きたいことがあって、ここに来ました」
「……ああ、なんでも聞いてくれ」
ジークハルトが、一瞬、傷ついたような表情を浮かべた。
許しを得られると、思っていたのだろうか。仮に許しを得たところで、菫が協力的になるとでも考えていたのだろうか。そうだとすれば、随分と甘く見られたものだ。
第一王子から王太子になり、王へと駆け上がったのだ。異性が寄ってくることはあっても、冷たくされるなんて経験は皆無だろう。
事実、ヴィオレッタと婚約している間も、側室狙いでジークハルトに近付こうとする令嬢はそれなりにいた。ヴィオレッタが社交界から一歩引いていたから、狙いどころだと思われていたのかもしれない。
「私たちは、なぜここに――この世界に、呼ばれたのでしょうか」
「そうだな……その理由を説明するには、まずこの国の成り立ちから話さねばならない。この国は、何百年も昔、魔王を倒した勇者が興した国で――」
ジークハルトの話は、概ねヴィオレッタの持つ知識と同じものだった。国の興りから始まり、初代聖女様の話へ。初代聖女様以降、代々聖女の力が引き継がれてきたこと。聖女の存在意義。そして。
「先代の聖女が身罷ったのは、まだ私が王太子だった頃の話だ。何もかもが突然のことだった。先代聖女は特に力が強かった。その聖女が亡くなり、国を守る加護が薄れ、大地は腐り、魔物が跋扈するようになるまでそう時間はかからなかった。今では食料の大半を他国からの輸入に頼る始末。物価が高騰しているのもそのためだ」
筋は、通っているように思えた。菫のなかに、ヴィオレッタの記憶さえなければ。
この世界に来てからと言うもの、薄れかけていた記憶が戻りつつあることに、菫自身気付いていた。かつて過ごした場所だからだろうか。菫の頭の中でいくつもの光景が浮かんで、消えてを繰り返している。それがどんな意味を持つのか、菫には分からない。
アマリアは、それほどまでに強力な力を持っていたのだろうか。あの時、ジークハルトの傍にいた、ヴィオレッタとそう歳の変わらぬ少女のことを思い出す。不思議なことに、何度思い返してみても、アマリアの顔を思い浮かべることが出来なかった。
「それで、なぜ、私たちを?」
ジークハルトが、どこか疲れたように息を吐く。その一挙一動を見逃さぬよう、菫は真っ直ぐにジークハルトを見つめた。
「先代聖女の死以降、国も、神殿も、総力を上げて次代の聖女を探した。だが、いつになっても聖女は現れず、状況は悪化の一途を辿った。多くの民を喪い、土地は枯れ、人心は荒む一方……」
ジークハルトの話に耳を傾けながら、菫は過去に――ヴィオレッタの記憶に、思いを馳せる。
今、冷静になって考えてみると、不自然な部分ばかりが脳裏に浮かぶ。そもそも、なぜ、ヴィオレッタは処刑されたのだろうか。
聖女が聖女であるためには、条件がいくつか存在する。
ひとつは、清らかな乙女であること。ひとつは、魔力を有していること。そして何より大きいのは、光の魔力に愛されていること。
光の魔力を持つだけ、清らかであるだけでは聖女にはなれない。光の魔力に愛されるからこそ、聖女は聖女としての力を発揮することが出来る。そして、光の魔力の愛――つまるところ、光の女神の寵愛は、聖女が生きている間にも、別の人間に移り変わることがあるのだ。
寵愛が別の人間に移る条件は、未だ解明されていない。清らかさを失っただとか、魔力が衰えただとか、推測ばかりが飛び交っている状態だ。だが、寵愛の移り変わりを判断出来るものはある。聖女の能力のひとつである、光の祝福を授けることが出来なくなるのだ。
ヴィオレッタ自身、弟の件をきっかけに光の祝福を使えることが判明し、そうして先代から聖女を引き継いだ。故に、アマリアを聖女と認定するのなら、それを証明するだけで良かったはずだ。
こんな簡単な矛盾に、今まで気付くことが出来なかったとは。菫は、かつてヴィオレッタであった己を嗤う。ヴィオレッタは最期まで正気でいたつもりだった。だがあの時、正しい判断を出来ていたのかと今聞かれれば、首を傾げざるをえない。
「――何か、解決策になるものはないかと王宮の宝物庫を探している時、ある魔術書を見つけた。そこに記されていたのは、古代魔法と呼ばれる類のものだった」
ジークハルトの声で現実に引き戻される。宝物庫。王族と、彼らに許された限られた人間だけが足を踏み入れられる場所。そこには数多の財宝や、歴史的価値のある資料が眠っているという。ヴィオレッタも見たことのない、未知の領域の話だった。
「それで……?」
「藁にも縋る思いで、三年という月日を、ほぼすべてそれに費やした。書には、こう記されていた。"これは、聖なる者が通る門"だと――」
ジークハルトが菫を見つめ、静かに視線が交わった。
「……そうしてあの日、お前たちが現れた」
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