19.不安と不穏
あとがきがとても長いです。興味ない方は読み飛ばし推奨。
「行ってきます。先輩、無理はしないでくださいね」
「うん。……愛莉も、気を付けて」
翌朝。迎えに来たエヴァンと共に学院へと向かう愛莉を送り出し、菫は小さく息を吐く。リリアンナには、愛莉に付いていくよう頼んだ。本人は渋っていたものの、正直なところ、フェリシアーノもエヴァンも何を考えているのか定かではない。付き合いも浅く、預けるには不安があった。
愛莉は彼らに悪いものが見えないと言っていたが、万が一という可能性もある。念には念を入れるべきだと主張して、二人に折れてもらった。ただの杞憂に過ぎないのであれば、それで構わない。何事もないのなら、その方がいいのだから。
リリアンナにはしばらく周囲の様子を見てもらい、問題ないと判断されればこちらに戻ってもらう予定でいる。学院は小さな魔窟だ。だがその分、力を持つ者には一定の敬意を払う。愛莉という存在が、公爵令嬢たるリリアンナが侍女を勤めるほどの人間なのだと理解すれば、下手な手出しはしないだろう。
子どもたちの寝顔を眺めながら、菫は自分がすべきことを考える。
この国は、ヴィオレッタの記憶から随分変わってしまった。王宮の人員は様変わりし、王都の物価は高騰している。こうなってしまっては、ヴィオレッタの知識に頼りきりになるのは危険だろう。ならば、菫も独自の力で知識を蓄え、己の立場をある程度確立しておく必要がある。子どもたちのために、収入源も必要だ。
「すみません、今、よろしいでしょうか」
「はっ!」
「陛下にお取次を。時間はいつでも構いません。ご都合が良い時にお話をさせていただきたいのです」
「っかしこまりました」
いずれにしても、無許可で行動するわけにはいかない。自由にしていいと言うのも、どの程度まで許されるのか確認する必要がある。それも、半端な立場の人間の裁可では、場合によってその者の首が飛ぶ可能性がある。菫がどういう行動を取るにしても、結局のところ、ジークハルトと顔を合わせるのは、避けて通れない道だった。
部屋の扉の前に立つ、名前も知らない騎士に声をかける。要望を伝え、すぐに確認します、と嬉しそうに敬礼する騎士の姿を確認して、菫は部屋に戻った。
新人だろうか、騎士にしては表情が豊かだ。菫が声をかけただけで喜びを露わにしてしまうのだから、経験が浅いのかもしれない。
この国にとって、聖女とは、王に並ぶ重要な存在である。500年前、勇者様と共に邪悪なる魔王を打倒した初代聖女様は、はじまりの国母であり、勇者様と女神様の約束の証だとも言われている。歴代の聖女は初代様の魂を受け継ぐ者だと言われ、この国が他国から神聖視される一因でもあった。
万物に愛された聖女と呼ばれたアマリアがいなくなってから、どのくらいの月日が流れたのか分からない。だが、それなりの間、次代の聖女となるべき者が現れず、別の世界から菫と愛莉が喚ばれたというのが現状だろうか。
結果的にどちらが聖女か判明はしていないものの、温室での出来事を考えるに、他の場所に異変が現れていてもおかしくはない。そうなれば、嫌でも期待は高まる。苦しかった分、浮かれてしまう気持ちは分からないでもなかった。それに応える気があるのかと言われると、話は別なのだが。
菫は、未だこの世界に喚ばれた理由を聞いていない。ジークハルトを避けているからというだけが要因ではない。
愛莉は――どう、なのだろうか。
あの時、菫がリリアンナと共に場を離れて。そこで、フェリシアーノか、エヴァンか、それとも二人からか。何かを言われたのだろうことは分かっている。けれど、何を言われたのかまでは、はっきりと聞き出すことが出来なかった。
菫も、そして愛莉も、根本は同じだ。あちらに――日本に、帰りたい。それはここに来てから、ずっと変わらず胸の中にある。だからこそ、この世界に喚ばれた理由を知ることを忌避していた。
ヴィオレッタの記憶と知識から薄々勘づいてはいるものの、それだけだ。こちらの世界の人間から、直接聞いたわけではない。
自分から動こうとすることと、役割を押し付けられるのでは訳が違う。前者は自分の意志が反映されるが、後者にはそれがない。知ってしまえば、戻れなくなる。菫も、そして愛莉も、理由を知ってしまえばそれが叶わなくなる気がして恐ろしかった。
何の気なしにクローゼットを開く。誰から贈られて来たのかも定かではないきらびやかなドレスに追いやられるようにして、一着のスーツがそこにあった。
一見するとシンプルで、けれど量産品とは違う仕立てのいいオーダーメイドのそれは、明から贈られたものだった。過度に着飾ることを好まず、身に付けるものは場のマナーに反しない程度のもの。アクセサリーをつける習慣があまりなく、それよりも本が好き。付き合い始めたばかりの頃は明もそんな菫の趣味に合わせてオススメの本や、珍しい洋書を選んで贈ってくれていた。
それが次第に"置いてあっても邪魔にならず、あればそれなりに使うもの"を贈られるようになった。しかも、明は菫が自分ではあえて手を出さないような"ちょっといいもの"を選ぶのだ。
その結果、菫の身の回りはいつの間にか明が選び、贈ったもので溢れるようになっていた。このスーツも、そのうちのひとつだった。
これを贈られたのは、去年の誕生日のことだった。前々から、一緒に食事をしようと言われており、少し余裕を持って時間を作っていた。明が予約したというレストランに向かう前、寄りたい場所があると連れられて足を運んだ先が老舗のテーラーだった。そういうものに疎い菫でも耳にしたことがあるような有名店。
明の用事があるのかと思えば、菫の採寸をすると言われ。驚くと同時に、自分の身に余ると遠慮する菫に対して、明はこの店が今度レディース部門を新設しようとしているだとか、サンプリングの一貫だからとか、あれやこれやと捲し立て、言いくるめられて完成したのがこの一着だった。
完成したものを身に着けてみれば、既製品より遥かに着心地が良く。明の思惑通り、ちょっと気合を入れたい日の一着として、愛用品になってしまった。後日、同僚から指摘され、明が同じ生地で自分のスーツを仕立てていたことを知った。菫がそれを知れば恥ずかしがり、着なくなるのを分かっていて、わざと日が被らないように着用していたのだと後になって本人から知らされた。
召喚されたあの日は、午前中、大きなプレゼンがあって。そのためにこのスーツで出勤した。まさか、こんなことになるとは考えてもいなかった。ほとんど着の身着のままで召喚され、愛莉を除けば、これだけが菫があちらの世界にいた証になる。そっとスーツを抱き締める。肌触りの良い生地が頬に触れた。
愛莉と離れて、菫は自分が自覚する以上に愛莉の存在に依存していたことを知った。一人でいるのがこんなに心細いなんて、思っていなかった。
「……ぅ……」
ベッドから呻くような声が聞こえて、はっと我に返る。スーツを掛け直してクローゼットを閉じ、ベッドサイドに駆け寄った。
「気が付いた……?」
「……みず……」
長く眠り続けていたからか、声が掠れている。慌てて少年の背を支え、テーブルに置いてあった水差しからグラスへ水を注いで、そっと彼の口元に運ぶ。少しずつ、咽ることのないよう、彼の様子に注意を払いながらグラスを傾ける。
「大丈夫?痛いところはある?」
落ち着いた頃を見計らってグラスをテーブルに戻し、少年に声をかける。意識を取り戻したものの、長く昏睡状態になっていた影響だろうか。少年はぼんやりとした様子で、目を瞬かせている。
「……せいじょ、さま……?」
「っ!」
「……ばつは……おわり、……?」
「……罰?」
少年の言葉を否定しようとして、それを飲み込んだ。弱っている少年の希望が聖女だと言うのなら、それを奪えばどうなるか分からない。だが、今の少年の言葉は。
「失礼します。渡り人様。陛下がお会いになるそうです」
菫の思考を遮るように扉が叩かれ、廊下から、先程送り出した騎士の声がした。
ブックマーク、評価、感想、いつもありがとうございます。
誤字報告へのご協力にも重ねてお礼申し上げます。
以下、とても長いあとがきなので、興味がない方はここでブラウザバック推奨です。
前話を書いていてふと気になったのですが【ヒール】を日本語表記にすると【治癒】と【回復】どちらがしっくり来るでしょうか?いや、どちらも大体同じ意味には違いないのですが。
例えばヒールの上位である【エリアヒール】あれを日本語で書くと【範囲治癒】より【範囲回復】の方が言葉としてしっくり来る。でも文章として書いていて、見栄えがするのって【治癒】だと思うんですよ。小説で見栄えって何言ってんだって思われるかもしれないんですが、視覚として捉えた時に特別感があるというか…伝われこの気持ち。
最初からカタカナ表記にしろっていうツッコミはなしの方向でお願いします。作者はルビが好きなので。
気になって調べてみたんですが、ゲームなんかで表記される場合は【回復】っていう表記が多めな印象。
CoCのるるぶには、魔術として【治癒】があります。
作者が普段小説を書く際にお世話になっている『幻想世界13カ国語ネーミング辞典(コスミック出版)』には【治す】でヒール、となっていました。
一晩悩んでも答えが出なかったので、三角関係の時のように多角的な意見を聞いてみたいな、と思いこうしてあとがきに書いた次第です。せっかくなのでロム勢にも気軽に答えてもらえるよう、アンケートを用意してみました。→アンケート締め切りました。ご協力ありがとうございました!
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長々と最後までお付き合いいただきありがとうございました。次回更新をお待ちください。




