18.願いと在り方
本日二回目の更新です。前話の読み落としにご注意ください。
子供の案内で辿り着いたのは、路地裏にある掘っ立て小屋のような場所だった。かろうじて藁で出来た屋根らしきものがあるものの、壁は壁の役目を果たしておらず、強風が起こればたちまち吹き飛びそうな有様だった。それを崩さないよう、細心の注意を払って小屋のなかに足を踏み入れる。布団代わりに敷かれた藁の上に、小さな子どもが横たわっていた。
「おにい、ちゃ……おきて……」
腕から降りたがった子どもを下ろしてやれば、眠っている子どもの傍に這い寄っていく。小屋の中は薄暗く、異臭すら漂っている。一目で酷い状態だと分かる状況に、菫は僅かに眉を寄せた。
「洗浄。……大丈夫ですか、スミレ様」
「ありがとう、リリー。……ごめんね、お兄さんの様子、見せてくれるかな?」
すかさずリリアンナが洗浄魔法をかける。それにより、異臭は収まり好き放題に舞い上がっていた埃は姿を消した。
一言断わりを入れて、隣に膝をつく。眠ったままの子ども――おそらく少年――の首に、指を当てる。脈を測ると同時に体温を確かめる。微弱ながらも脈拍を感じ取り、ほっと胸を撫で下ろす。口元に手を翳しても、呼気は微かにしか感じ取ることができない。頬は痩せこけ、顔色は見るからに青白い。最悪の状態ではないが、その一歩手前と言ったところだろうか。最早、一刻の猶予もないことは、明らかだった。
「安らかな眠りを誘い給え――睡眠」
昔、まだ、ヴィオレッタが聖女と呼ばれていた頃。酷い怪我を負い、痛みに呻く患者を治療したことがあった。呻くだけならまだ良い。だが、患者の中には時に暴れるもの者もいた。そういう者たちを大人しくさせるために覚えた睡眠魔法を、まさかこんな形で使うことになるとは、これを覚えた当時は考えてもいなかった。
支えを失い崩れ落ちた子どもの身体をリリアンナが受け止める。
「ねえ、リリー。私、酷い人間ね」
こんな光景を目の前にしても、己が持つこの力を隠し通そうとしている。こんな行為はただの偽善で、自己満足で、己を満たす欺瞞にしかならない。自分でそうと分かっていながら他人を巻き込もうとしているのだから、始末に負えない女だと、菫は己を嘲笑う。
「……共犯に、なってくれる?」
「喜んで」
リリアンナの指先が、菫の手の甲に触れた。その指をそっと握り返して思う。聞きたいことは幾らでもあるだろうに、何も聞かずに寄り添ってくれる。その存在がどれほど心強いことか。
目を閉じる。息を吸う。
どこか、懐かしい感覚だった。それでいて、知らない感覚でもあった。
血が全身に巡るように、身体のなかに魔力が満ちていくのが分かる。腹の奥底から湧き上がるこの力が聖女の証だと言うのなら、ヴィオレッタは確かに聖女とは言えない存在だっただろう。
「清廉なる光の癒やしを――治癒」
小さな掘っ立て小屋が柔らかな光で満たされた。
―――――
―――
―
「……先輩、今、いいですか?」
愛莉に声をかけられて、菫は顔を上げた。
今、部屋のベッドでは、身綺麗になった子どもたちが眠っている。
あの後、路地裏からほど近い場所に店を設けている面々に聞き込みをすると、子どもたちは二年ほど前からそこに住み着いているのだと言う。家族らしき大人の姿はなく、どこからか流れ着いたのだろうという話だった。それを聞いて、菫は彼らを連れて帰ることに決めた。もし彼らに家族がいるのなら、目を覚ましてから帰しても遅くはない。もっとも、その可能性が高くないことは、菫もリリアンナも分かっていた。
子どもたちを抱えて市場に戻れば、心配そうな顔をしたフェリシアーノに出迎えられた。この兄妹を連れて帰りたいことを伝えると、フェリシアーノはにこやかに笑って了承し、兄妹をが王宮に入れるよう、手配を済ませてくれた。
その間、愛莉は何かを考え込んでいるのか、ずっと口を噤んだままだった。
子どもについては、現代の医療知識で手当を施したことにした。治療前の彼らの状態を見られていなかったこともあり、現代の応急処置の話をすれば、そういうものがあると認識したのか、それ以上深く追求されることはなかった。
帰りたい、その気持ちに変わりはない。ただ、帰りたいという願いは、目の前にいる誰かを見捨てる理由にはならないと思うのだ。無責任だと、甘い考えだと言われるかもしれない。それでも、子どもを見捨てて平気でいられる自分にはなりたくなかった。
「ごめんね、急に」
「いえ!それは気にしないでください。……よく、寝てますね」
「うん……」
兄妹を連れて帰ることになり、愛莉には急遽、隣の部屋に移ってもらうことになった。流石に大人二人と子ども二人で使うには、今の部屋は狭く、かと言って全く別の場所に部屋を移すには抵抗があった。その結果の折衷案である。幸いにして、部屋は内側から扉で繋がっており、実際には寝る場所が離れたというだけになる。
連れ帰った子どもたちは、ずっと眠ったまま、目を覚まさない。おそらく身も心も限界だったのだろう。眠ることで失った体力を取り戻そうとしているのだ。
「先輩、わたし……学校に行こうと思うんです」
「……学校?」
意を決したように告げられた言葉に、菫は僅かに目を瞬かせた。
「どうして、急に」
「貴族が通う、学院っていう、勉強する場所があるらしいんです。フェリちゃんたちも、そこに通ってるからって、誘ってくれて」
「それは……でも、……」
何も知らない――否、知ろうとしていない現状で、学院に行ったとして、何を学ぶのか。そう問おうとして、言葉を飲み込む。
愛莉の様子が、朝とはまるで違うことに気が付いてしまった。まるで、何かを決意したような、心を決めたような、そんな強い意志を持った眼差しを受けて、菫は愕然とした。
「……何か、言われたの?」
「フェリちゃんは悪くないんです。わたしだって、本当は分かってた。ずっとこのままじゃダメなんだって。先輩も……そう、ですよね」
愛莉の言葉は、暗に、フェリシアーノたちから何かを聞いたのだと示していた。一体、何を言われたのか。聖女のことか、国の現状か。思い当たることが多すぎて、言葉にならない。
「本当は、すぐにでも帰りたいです。でも、きっと……無理、なんですよね?……なら……やれることを、やってからでも遅くはないと思うから」
そう語る愛莉の目には、うっすらと涙が浮かんでいる。必死に泣くのを我慢しているようなその顔を見て、菫は思わず愛莉の手を握り締めた。
「……大丈夫、なの?」
気にかかるのは、愛莉の持つ力のこと。ヴィオレッタは学院に行ったことがない。神殿に入る者は、学院へ通う義務を免除されるためだ。故に、それに関しては聞きかじっただけの知識しかない。
学院は、小さな社交界だという。将来国を担う立場になる者たちが、学院のなかで立ち振る舞いを学ぶのだと。貴族は皆、腹に一物抱えた者が多い。笑顔の下で相手を陥れようと謀略を巡らせることなど日常茶飯事だ。フェリシアーノとエヴァンがいるとは言え、彼らだけでは目の届かないところも出てくるだろう。
「大丈夫です。フェリちゃんも、エヴァンくんも、悪いものは見えなかったから。ずっと、先輩に守ってもらうんじゃなくて……わたしも、先輩の役に立ちたいんです」
何か、悩んでるんでしょう?
愛莉の真っ直ぐな視線に貫かれ、心臓がどくりと跳ねた。上手く隠しているつもりだった。これは自分の問題だからと。それすら、見透かされていたのだろうか。
「神埼さん……」
「愛莉って呼んでください。……本当は、リリーちゃんが羨ましかったんです」
「……愛莉。無理はしないって、約束して」
ふにゃりと眉を下げた愛莉に腕を伸ばし、華奢な身体を抱き締める。止めることなど出来るはずもない。愛莉はもう、決めてしまっているのだ。帰るために、自分が自分らしくあるために、なにより、菫のことを想ってこの世界のことを知ろうとしている。
――だから。菫も、決めなければならない。ヴィオレッタを殺したこの国と、向き合う覚悟を。
本日二回目の更新でした。明日から通常更新に戻ります。
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