17.市場にて
「あの……申し訳ありません、我儘に付き合っていただいて、」
「いいえ!むしろ嬉しいくらいです。渡り人様方はもっと我儘になって良いのです、こちらが無理にお呼びしたのですから」
「……スミレで、構いません。殿下」
「では私のこともフェリと呼んでください」
急に行き先を変えたことを詫びれば、にこにこと無邪気な笑顔が返ってくる。
渡り人、そう呼ばれることに慣れず、それを伝えれば自分のことも名前で呼んでほしいと言われ、菫は曖昧な笑みを浮かべて返事を濁す。ただの一個人が、王弟殿下を呼び捨てにするなど出来るはずもない。
時間帯が昼を過ぎているからか、朝に比べ、市場はやや閑散としていた。適当な店に顔を出し、店員に物の値段を尋ねれば、やはり、りんご飴と同じようにヴィオレッタの記憶より、3倍から4倍ほどに値が上がっていることが分かった。
脳裏に、リリアンナから聞いた話が蘇る。土地が枯れ、魔物が活性化し、作物が育たない。そんな状態で、果たして、かつてと同じ生活が送れているのだろうか。注意深く周囲を観察すれば、通り掛かる人々は皆身綺麗で、ある程度裕福そうな人間ばかりであることに気付く。
作物の減少による物価の高騰、その結果、残ったのが富裕層の人間なのだとしたら。そうでない者たちは、一体どこへ――
「泥棒だッ!捕まえろ!!」
「きゃあっ」
人通りの疎らな市場に、耳をつんざくような怒声が響いた。
何事かと振り返れば、ぽすんと腹部に衝撃が走る。足元に目を向けると、薄汚れた小さな子どもが地面に尻もちをついていた。子どもの傍にはパンがふたつ転がっている。
「そいつを捕まえてくれ!うちの商品を盗んで行きやがった!」
大柄な男の声に、子どもの肩がびくりと跳ねた。
「……リリー」
「失礼。こちらのパンはおいくらですの?わたくしがお支払いいたします」
咄嗟に名前を呼べば、リリアンナは菫の意を汲み取って、男と子どもの間に身体を滑り込ませる。
「なんだ、あんたら。このガキの知り合いか」
「いいえ。ですがわたくしの主人が子どもをお望みのようなのです。事を荒立てず、穏便に済ませていただけると助かりますわ」
リリアンナがそう言って、男に数枚の銀貨を握らせる。男はそれを受け取ると、子どもと一行を見比べ、分が悪いと悟ったのか鼻を鳴らしてその場を去っていった。
「大丈夫?……怪我はない?」
菫がパンを拾い上げて差し出すと、子どもは引ったくるようにそれを奪い、盗られまいと抱き締める。膝をついて子どもに視線を合わせて問いかけても、子どもは身体を震わせるばかりで何も話さない。
見たところ、年頃は4、5歳ほどだろうか。ボロボロの服から見える手足は細く、髪はボサボサ。お世辞にも健康状態がいいとは言えない様子に菫は自然と眉を顰めた。
「怒っているわけじゃないわ。……どうしてこんなことをしたのか、教えてほしいの。なにか、力になれるかもしれないから」
子どもの怯えを取り除くように、ゆっくりと言葉を紡ぐ。ひとつひとつ丁寧に考えていることを伝えれば、子どもは恐る恐る、俯かせていた顔を上げた。
「……おに、ちゃ……おきな、……ど、したら……」
「! ……」
辿々しい言葉から伝わったのは、この子どもには兄がいること。そして、その兄が、命の危険に晒されている可能性が高いということ。それを聞いて、菫は僅かに唇を噛み締める。
ここで、手を出すのは簡単なことだ。けれど、それは同時に、自分の力をこの世界に晒すことになる。おそらく、こんなことはこれが初めてではないのだろう。男の怒声で一瞬集まった注目が、すぐに引いたのが良い証拠だ。ここにいる人間は、きっとこういう出来事に慣れている。ここで菫がこの子どもを見捨てたとしても、誰も文句は言わないはずだ。
『――なんでも一人でやろうとするのは、お前の悪い癖だぞ。菫はもっと、周りを頼ることを覚えような』
呆れたようにそう言われたのは、いつのことだっただろう。脳裏に明の言葉が過って、顔を上げると、こちらを見ていたリリアンナと目が合った。
「……この子と、この子のお兄さんを助けたい。ついてきて、くれる……?」
「スミレ様の、御心のままに」
リリアンナの返事を聞いて、菫は目の前で蹲っている子どもの身体を抱き上げる。
「お兄さんのところ、案内してくれるかな?」
今からやろうとしていることが、ただの偽善だという自覚はあった。この子どもを助けたところで、根本的な解決にはならないだろうということも、分かっている。それでも。
『ヴィオレッタ。お前は、いつだって正しい』
そう言ってくれた兄に、胸を張れる自分でいたかった。
「あっち、……」
か細い声とともに、子どもの指が方向を指し示す。
「先輩っ!」
「……大丈夫、待ってて。……申し訳ありません、殿下、神埼さんのことお願いします」
そちらに足を向けようとした菫を、愛莉が心配そうな顔で引き止めた。それに笑みを返して、震えている子どもの身体を抱き締める。腕に抱えた身体は、悲しいほどに軽かった。
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