閑話―ある侍女の追想(2)
リリアンナ視点の後半です。
リリアンナが、聖女様へ直接捧げものを贈る行為は本来禁止されているのだと知らされたのは、鑑定式を終え、自宅に帰ってすぐのことだった。
聖女様の対応次第では、リリアンナだけでなく、フクストラ家にすら咎が及ぶ可能性すらあったのだと告げられ、血の気が引く思いがした。
それは聖女様の身を護るためでもあり、神殿と特定貴族の癒着を防ぐためでもある。幸いにして、今回鑑定を受ける家の中でフクストラ家の地位が一番高かったこと、フクストラ家に何かあれば隣国との関係に亀裂が入る可能性があること、また、後日リリアンナのもとへお礼の手紙と共に一輪の黄色い百合が届いたことも含め、この騒動はお咎めなしという結果に落ち着いた。しかし次はない、と父から厳重に注意を受けた。
子どもであれど貴族の令嬢であるリリアンナの行動には、常に影響と責任が付き纏う。己がどれほど浅慮な行動を取ったのかを、リリアンナは身を以て学ぶことになった。
結果的に、リリアンナは病魔を打ち払うと言われている光の祝福を授かり、また鑑定式では風・水・土・火と、今年鑑定を受けた人間のなかで最も多い四属性所持者ということが判明した。希少属性こそなかったが、三属性以上の複属性所持者の数はそう多くない。
侍女に頼んで飾ってもらった百合の花を前に、リリアンナは考える。どうしたら、自分の身を救ってくれた聖女様に恩返しができるだろうか、と。
残念ながらリリアンナに光の魔力はなく、見習いとして神殿に入ることは出来ない。聖女様は分け隔てなく救いの手を伸ばされる。ならば神殿へ供物をすることで間接的に助けになるかと考えてみても、それが果たして本当に役立っているのか、結果が分からない。
そんな悩みを抱えながら日々を過ごすリリアンナの耳に、ある話題が飛び込んで来た。
聖女様が第一王子に見初められ、婚約者になったというのだ。
聖女様は元々、代々騎士団長を輩出している武の名門、クリフォード公爵家のご令嬢。神殿に入ることで社交界から一歩引いているものの、身分としては申し分ない。クリフォード家は忠臣としても知られる家系。しかしこれまで跡継ぎの年齢が合わない、両家に男児しかいない(もしくは女児しかいない)などの問題が重なり、婚姻を結ぶ機会に恵まれていなかった。
かたや立太子間近と目される優秀な第一王子、かたや慈悲深く民からの人望も厚い公爵家出身の聖女。まるで互いのために誂えたように、相応しく、お似合いな二人の婚約が報じられ、国中から祝福に湧いた。
その話を聞いて、リリアンナは閃いた。そうだ、侍女になろう、と。
第一王子の婚約者であればゆくゆくは王太子妃、そして王妃になるのは間違いない。我が国の女性の頂点に仕えるのであれば、自分が公爵家出身でも何ら問題はないはずだ。今までなら、フクストラ家にはリリアンナしかおらず、侍女になりたいなど口が裂けても言えなかった。しかし、今は弟がいる。両親だってまだそれなりに若い。頑張れば弟妹のもう一人か二人は望めるだろう。
思い立ったが吉日とばかりに、リリアンナは両親に隣国への留学を提案した。もちろん侍女になるなど一切口には出さず、表向きは家に迷惑をかけたことへの反省を示すため、世俗への理解を深め、自らが持つ才能を生かすためとそれらしい理由をつけた。最初こそ反対されたが、両親にもここ一年、弟ばかりを構っていたという自覚があったのだろう。ひと月ほど訴え続ければ、渋々ながらも隣国へ留学することを条件付きで認めてくれた。
条件とは、公爵令嬢としての身分を隠すこと。おそらく、まだ幼いリリアンナが公爵令嬢としての立場を隠せば、何も思い通りにならず、すぐに諦めて帰ってくるだろうと思われての条件だった。だが、リリアンナにとってその条件はまさに願ってもないものだった。侍女、特に護衛侍女(戦闘も出来る侍女)になるための勉強をするには、公爵令嬢の立場は邪魔でしかない。隣国には身分問わず、意欲ある者・才ある者へ広く門戸を開いた学園がある。その学園の少等部を受験し、見事合格。両親の心配とは裏腹に、リリアンナは意気揚々と隣国へ赴いた。
学園では、興味があるものへ片っ端から取り組んだ。各属性魔法、歴史学、剣術、武術、音楽、そして侍女として必要な教養・作法。もちろん貴族として必要なダンスやマナー。学園の勉強以外に、定期的に実家から送られてくる課題もこなす。
忙しいながらも充実した日々は、あっという間にすぎていく。
その間も、聖女様に関する情報収集は怠らなかった。どんなものが好きか、今何を必要としているのか、最近の動向、王太子との関係進行度まで、聖女に関する話であればどんな些細なことでも知りたかった。人目を憚らず聖女への賛辞を語るリリアンナは、学園ではすっかり聖女信者として有名になっていた。
リリアンナが留学してから数年。冬の寒さが厳しくなり始めたある日、真っ青になった友人がリリアンナのもとへ駈け込んで来た。何事かと思えば、勢いよく紙束を押し付けられる。驚きながらもそれを受け取り、紙面に目を落として、リリアンナは言葉を失くした。
―― 稀代の魔女 ヴィオレッタ・クリフォード 斬首刑決定 近日断頭台へ ――
信じられない言葉の羅列。紙面には、リリアンナの慕う聖女への罵詈雑言が並べられ、犯した罪が所狭しと記されている。だが、おかしいのだ。貶められるヴィオレッタに対し、聞いたこともなければ見たこともない女の名前が、美辞麗句で彩られている。
聖女の動向を常に気にしていたリリアンナだからこそ分かる。その女の功績とされているそれは、すべてヴィオレッタが起こしたものと同じだったのだ。
記事を持ってきた友人に話を聞くと、友人の実家は商家で、リリアンナの母国とこの国を中心に商いをしている。この記事は、母国へ買い付けに行った父が持ち帰ったものだという。それを友人が見つけ、リリアンナが心酔している相手と同じ名前だと気付いて急ぎ知らせに来たのだと言う。
何もかもが可笑しかった。リリアンナは、家の方からそんな知らせを受けていない。聖女の話を集めるように頼んでいたにも関わらず、なぜリリアンナのもとへ届いていないのか。記事に明確な期日は書いていない。何もかも分からないことだらけだったが、動かずにはいられなかった。学園で一番早い馬を借り、最低限の荷物を持って飛び出した。学園から王都まで、国境を跨ぎ、馬車で二週間はかかる。どんなに早い馬を飛ばしても、一週間はかかってしまう。時間がなかった。だが、悪いことというのは続くもので。
リリアンナが学園を飛び出してから三日後、王都に続く道中で、豪雨に見舞われ足止めを余儀なくされた。その豪雨のせいで、王都へ続く山間の道が土砂崩れで塞がれた。結果。リリアンナが王都へ戻ったのは、友人から知らせを聞いてから、実に一か月が過ぎた頃だった。
そうしてリリアンナの目に飛び込んで来たのは、何もかもが変わり果てた母国の風景。
王城の前の広場に放置された、血で染まった断頭台。それだけで、何が起きたのか理解するには十分だった。
━━どうして?どうして、こんなことになったのか。
父を、母を、幼い弟を。執事を、侍女を。
問い詰めようにも、それすら周囲が後の騒乱に巻き込まれたことにより、叶わなかった。
隣国にいた、事情を知らないリリアンナだけが、取り残されて。気付いた時には箝口令により、真実を知ることすら許されなくなっていた。
生きる糧を失い、希望も見出せず。けれど聖女が愛した国を恨むことも出来ず、鬱屈とした感情を抱えたリリアンナを置いて、時は流れていく。
留学を終え、自国へ戻ってもそれは変わらない。どこへいても、なにをしていても、後悔ばかりに苛まれる。リリアンナは、すっかり進むべき道も、やるべきことを為す気力も失ってしまっていた。
それから、六年。
社交界にも出ず、引きこもりと化していたリリアンナのもとへ、国王からの勅使が訪れた。すぐに登城するように、と、引きずられるように家から引っ張り出され、執務室へと呼び出された。聞けば、異世界から召喚した聖女の世話役兼対外的な壁になれという。
――この男は狂っている。
それに気付いている人間は、どれほどいるだろうか。
リリアンナが男の狂気に気付いたのは、同じ穴の狢だからだ。
この男も、リリアンナも。ずっとあの冬の日に囚われている。
分かっていて、リリアンナは何もしなかった。国王の姉である母に訴えることも、自ら直訴しようとも思わない。どうでもいいのだ、何もかも。ただただ、惰性で時が過ぎ、己に死が訪れるのを待っているだけ。
しかし。最近国王が秘密裏に何かを準備しているという噂があったが、随分思い切ったことをしたものだ。
【聖女召喚の儀】
言葉を並べれば仰々しいが、その実情はただの誘拐だ。最早どうにもならないから、他の犠牲者を求めて生贄にしようとしているだけ。この男は、はたしてそれを理解しているのか。
呆れて沈黙を貫くリリアンナを見て、それを了承と取ったのか、行け、と命令され王の執務室を後にする。
リリアンナにとって、聖女はヴィオレッタだけ。異世界から召喚されたことを哀れだとは思うが、自ら進んで力になりたいとも思えない。
「お休みのところ失礼いたします。入室してもよろしいでしょうか?」
異世界からの聖女たちに与えられた部屋を訪れ、廊下から声をかける。一拍置いて返事を確認し、扉を押し開いた。何でも他の侍女が粗相をしたらしい。ならば先に謝ってしまうのが常道か。一歩部屋に足を踏み入れ、相手の顔を見ることなくすぐに頭を下げる。
「――顔を、あげてください」
聞こえた声は、存外、優しいものだった。促されるまま顔を上げると――異世界から来たという女性の、紫色の瞳と目が合った。
それは、在りし日に見た、リリアンナが憧れた人と、同じ瞳で。
驚いたようにリリアンナを見つめるその顔を見て、思い出すのはあの日の聖女様の姿。
すべてがリリアンナの妄想かもしれない。目に映るものが都合のいい虚妄だとしても構わなかった。
今度こそ。今度こそ、必ず、お守りする。
その決意を胸に秘め、リリアンナは鮮やかに微笑んだ。
――あの日届いた百合の花は、今もリリアンナの胸の内で咲き続けている。
閲覧いただきありがとうございます。
活動報告にも記載しましたが、本作が【異世界転生/転移】の日間・週間ランキング(10/30付)にて1位になりました。偏に皆様の応援があってこそです。本当にありがとうございます。
投稿し始めてから一週間、たくさんの人に読んでいただく機会があり、とても嬉しく思っています。今後とも本作をよろしくお願いいたします。
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ここまで読んでいただきありがとうございました。次回更新までお待ちください。