09.聖女の伝説
この話のタイトルをつけるのに伴い、前話のタイトルを修正しました。
100000pvとブックマーク2000件突破、ありがとうございます。正直、書き始めた当初はこんなに読んでいただけると思っておらず驚いています。至らない点も多々ありますが、これからもお付き合いいただけると嬉しいです。
初代聖女様は、その指先一つで乾ききった大地に泉を作り、緑を芽吹かせ、動物たちを招き入れたという。その光景は天上の楽園のように美しく、まさに光に愛されし聖なる乙女に相応しいものだったという。
けれどそれはあくまでも伝承に過ぎないものだった。事実、菫がヴィオレッタだった時も、これほど強い力を振るうことは出来なかった。ヴィオレッタがこの力を持っていれば、偽者などという烙印を押されることはなかっただろう。
――どうして、今更。
驚愕や戸惑いよりも先に、疑問が浮かぶ。
ヴィオレッタがまだ聖女として扱われていた頃。毎日禊を行い、神殿で神々への祈りを捧げ、それでも、高等回復魔法を使用するのが精一杯だった。
土に触れた指先に視線を落とす。何の変哲もない、見慣れた己の指と手の平。顔を上げて周囲の様子を確認すれば、温室のみならずその周辺まで緑が広がり、目に見える場所、すべてが青々とした植物たちに囲まれていた。効果が広範囲に及んでいるにも関わらず、身体は疲労の欠片すら感じていない。
これは果たして、本当に己が招き起こした結果なのか。あまりにも現実離れした光景を前に、菫は呆然と立ち竦む。
「スミレ様、お目当てのものは見つかりましたか?」
沈黙を破り、先に口を開いたのはリリアンナの方だった。まるで何事もなかったような問いかけに、菫は唇を震わせる。
「……どうして……」
「転んでしまったところをお助け出来ずに申し訳ありません。採取が終わりましたら、湯浴みの準備をいたしますわ。さ、薬草はこちらの一角にございます」
ニコリと隙のない笑顔と共に手を引かれ、立ち上がる。そうして手を繋いだまま、薬草が育てられている場所へと案内された。他の植物と同じく、薬草も生い茂っている。それを摘もうとして、はたと手が止まった。魔力熱に対して、魔力を含むものはご法度だ。聖女の力で育ったこの薬草には、魔力が含まれていてもおかしくない。
「大丈夫ですわ。こちら、通常のものと相違ありません」
「――分かるんですか?」
「ええ。神官様ほど強い力ではございませんが、多少鑑定の心得がございますの。スミレ様、わたくしに敬語は不要です。どうぞリリーとお呼びになってくださいまし」
曖昧に頷いて、必要なハーブを摘み取りハンカチで包む。自分でも試飲するために少し多めに摘んだものの、そんな微量はものともしないとばかりに、薬草たちはすくすくと太陽に向けてその枝葉を伸ばしている。
「陛下がこの温室を嫌っているので、普段は誰も近づきませんの。陛下の勘気をこうむるのを恐れて、話題に出すことすら憚られていますのよ。ですから、ここが多少以前と違ったって、言い出さない限り気付かれませんわ」
「……そう、なんですね」
リリアンナは、暗に菫が起こした現象を上に報告する気はないと言っているのだ。言葉の裏を理解して、菫は小さく安堵の息を吐く。
脳裏に浮かぶのは、厨房へと訪れた男の顔。聞けば聞くほど分からなくなってしまう。あの男は本当に、ヴィオレッタの知るジークハルトなのだろうか。それとも、顔と名前が同じ、別人なのだろうか。
ヴィオレッタの知るジークハルトは、この温室を愛していた。
いつだって、両陛下の愛した花に囲まれ、楽しそうにヴィオレッタの話に耳を傾けてくれる、穏やかで、優しい人だった。
ジークハルトが、ある日を境に、少しずつよそよそしくなっていくことに気付いていた。気付いていて、でも、ヴィオレッタは気付かないふりをした。ジークハルトのことが好きだったから。ヴィオレッタがもっと聖女として努力を重ね、王妃に相応しい教養を身につければ、元のジークハルトに戻ってくれると信じていた。その結果、ヴィオレッタはジークハルトの手に依って処刑されてしまったのだが。
あの時、もしヴィオレッタが素直に諦めて、ジークハルトの手を離していたら結末は変わっていたのだろうか。今となっては最早、どうしようもない、どうにもならないことだけれど。
「ねぇ、リリー。リリーはどうして、そこまでしてくれるの?」
王家に連なる公爵家の令嬢で、何不自由なく暮らしてきたはずだ。ここがヴィオレッタの知っている世界であるのなら、嫁入りしていてもおかしくない年齢。だと言うのに、聖女候補とは言え、異世界から来た得体の知れない人間の世話役を押し付けられて。断ることだって出来たはずなのに。その上、あの男から、庇うようなことまでして。何一つ、リリアンナの得にはならないことばかり。
「……聖女様は、わたくしの憧れなのです。ですから、聖女様のお力になれるのなら、本望ですわ」
そう言ったリリアンナは菫を見つめ、ペリドットの目を細めて、心から嬉しそうに微笑んだ。
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