相撲に関連する作品(相撲小説「金の玉」「四神会する場所」シリーズは、別途でまとめています)
相撲における立ち合いの変化に関する考察 その2
このテーマについて、先の投稿では、昭和の大横綱、双葉山に絡めて書きました。
この投稿では、そういう特別な力士を持ち出してくるのではなく、現実的な問題として考えてみました。
立ち合いの変化だが、現状、あるべき姿より成功率が高いかな、とは感じる。
経済学の初歩である、需要曲線、供給曲線に習えば、
立ち合いで変化すれば、勝つ確率が高くなるとなれば、立ち合いの変化はもっと増える。
増えれば、力士の中に、立ち合いの変化ということの意識が高まり、対応策が考えられ、立ち合いの変化の成功率がだんだん低くなっていき、立ち合いの変化が減る。どんどん減っていけば、立ち合いの変化に対する意識が弱まり、また立ち合いの変化の成功率が高まる。
自ずから、立ち合いの変化の割合は、成功するか失敗するか確率は半々というあたりで均衡する。こういうメカニズムが働くと思うのだが、現状はそうなってはいないようだ。
需要曲線、供給曲線については、他の与件は排除した抽象概念であり、現実の世界は、様々なその他の条件が加わり、理論どおりにはならない。
立ち合いの変化が、現状あるべき姿より成功率が高い、本来均衡すべきポイントで均衡していないとしたら、それは、力士の中に
「立ち合いの変化は良くないことである」
という意識があるからではないだろうか。
勝つということに徹すれば、もっと変化があってしかるべきなのに、現状はそうなっていない。
立ち合いの際、本当は、三分の意識を持つべきなのに一分程度の意識しかないので、変化に対応できない、というのが現状なのではないだろうか。
であるならば、立ち合いの変化に対する批判の声が、かえって立ち合いの変化の成功率を高めているということになる。
立ち合いの変化も正当な作戦。
この共通認識が広がれば、立ち合いの攻防の緊張感。見応えは今より高くなるのでは、と思うのだが、どうだろうか。