入国管理局
裁判所事務官の面接は不合格。
しかし、国家一般職には最終合格できた。官庁訪問が始まる。
その過程で、ついにぼっち大学生は精神が崩壊する。
その私を救ったのは、詐欺師だった。
裁判所事務官の面接はひどかった。面接官の対応が、ではなく私の受け答えがひどかったのだ。不合格。でも初めての面接の割には、ちゃんと質問に対して答えられていたと思う。
裁事の面接では本番の緊張感を味わえたから、私にとってプラスになった。今後に生かしていけばいい。
国家一般職は最終合格できた。合格者は300人くらいいて、私は56位だ。この成績はかなりいいんじゃないかな。よく頑張った。しかし、最終合格したからといって、内定を得られたわけではない。これからいろんな官庁を訪問して、採用面接を突破しなくてはならない。官庁訪問の先にあるのが内定だ。
最初に訪問したのは、九州地方更生保護委員会。そこに採用された場合、初めは事務を任されるが、ゆくゆくは保護観察官になることができる。
保護観察官は、刑務所や少年院、そして少年刑務所から出所する方の社会復帰を、保護司と協力しながら支援するのが主な仕事だ。保護委員会に採用された場合、少年院にも出向できるので、少年に寄り添い、一緒に将来について悩んであげられる。
私は、司法手続きの最終段階である更生保護の現場で働きたいと考えていた。特に、少年の社会復帰を支援したい。それはなぜか。それは、ニュースで犯罪をしてしまった少年をみるたびに、「逆だったかもしれない」と思うからだ。
自暴自棄になっていた時期が私にはあって、何か犯罪をしてしまいそうだった。でもしなかった。それは、友人や学校の先生など、私のことを支えてくれた人がたくさんいたからだ。犯罪をした少年は、近くに頼れる人はいなかったんだろうか、寂しかったんじゃないだろうか。そう考えると胸が痛くなる。
保護委員会を訪問したのは八月の下旬。面接の結果は、当日中に電話で知らせるとのことだった。高速バスに乗って、北九州に戻る。バスを降りて、家を目指して自転車をこいでいるときに電話が鳴った。
「もともと採用を予定している人数は少ないというのもありまして、今は内定をお出しすることはできないんですよ。お約束はできないんですが、今後欠員が出ましたらご連絡さしあげます。お約束はできないので、今後も官庁訪問を続けられてください」
まただめだった。面接の内容自体はそんなに悪くなかった。なのにどうしてだ。ほかに官庁訪問の予約はしていない。これからどうしよう。否定。私のすべてを否定されたように感じる。
でも、不採用を伝える人も強いストレスを感じただろうな。相手に攻撃されるかもしれない。怒鳴られるかもしれない。そんな不安を抱えながらも、不採用を伝えてくれたんだ。しかも、メールではなく電話で。
翌日、適当な官庁に連絡して、採用面接をお願いした。その結果、入国管理局が私の懇願に応じてくれた。保護委員会を訪問した日の翌週に、入管を訪問することになった。苦手な電話から逃げずに、声が震えながらも電話をかけた。
訪問当日は、まず一時間ほどかけて業務説明が行われ、その後、面接が実施された。訪問者は私のほかに男性が二人。二人ともすでにほかの官庁から内定を得ているようだ。
面接室の入り口のそばに、椅子が三脚準備されていた。私たちはそこに着席させられ、付き添いの職員が面接の注意事項を説明した。そして、説明のあとにこう付け加えた。
「本日はお忙しいなか、こちらからのお呼び出しに応じていただいてありがとうございます」
私は呼ばれていない。むしろ面接をお願いした側だ。
「私のほうからご連絡さしあげました」
「あ、そうなんですね」
付き添いの女性職員は、しばらく沈黙して、面接室のなかに入っていった。
私の面接は三番目だった。つまり最後。一緒にいた二人は、面接が終わると付き添いの女性職員に連れられて、どこかに消えた。
面接の内容は忘れてしまった。憶えていることはあまり多くない。面接官は三人いて、私からみて右側の人は、真剣な表情で熱心に話を聞いてくれた。ほかの二人は終始ずっとニヤニヤしていた。正面に座っている人は、足を前に投げ出していて、感じが悪かった。何だか嫌な気持ちになった。言葉につっかえながらも、質問に対して真剣に答えた。なのに、私の話に真剣に耳を傾けてくれるのは一人しかいなかった。
面接が終わると、私は緊張の糸が切れた。心拍数もしだいに落ち着いて、カフェで読書をしているときのような、リラックスした状態になった。
職員にエレベーターの前まで連れていかれた。ほかの二人はエレベーターではないどこかに案内されていた。
「もしご縁がありましたら、こちらからご連絡さしあげます。お疲れさまでした。気をつけてお帰りください」
ご縁なんか本当にあるんですかね。
庁舎をあとにして、どこにも寄り道をせずにバスターミナルまで移動した。ご縁があるかもしれないので、バスターミナルの待合室で一時間くらい電話を待った。18時に到着したので、19時くらいまで、待合室に設置されていたテレビを眺めたり、読書をしたりして過ごした。長い一時間だった。今か今かとずっとそわそわしていた。放課後に友人と遊びに行くことを待ちわびて、ホームルームの時間をそわそわして椅子に座っている小学生のように。
電話は来なかった。これ以上待っていても時間も無駄だ。帰ろう。最寄駅は徳力嵐山口なので、なかたに号をいつも利用している。しかし、残念なことになかたに号はさっき発車したばかりであった。次の便は30分後だ。そんなに待てない。今にも精神力は尽きそうで、倒れそうだ。疲れた。
不幸中の幸いというかなんというか、ひきの号が停車していたのだ。ひきの号に乗れば、徳力嵐山口は通らなくても、小倉にはたどり着く。そこからモノレールに乗り換えればいい。そう思って、生まれて初めてひきの号に乗車した。
乗客は少ない。最後尾の、しかも中央の席に座った。前に座席がないので、思いきり足を前方に投げ出す。おっと、シートベルトを忘れるところだった。自分の身の安全を確保するためにも、シートベルトだけはしなくては。
このバスはどんなところを通るんだろう。バスが動き出して、様変わりする景色を眺めながら考える。引野中学校のバレー部とはかつて練習試合をしたことがある。引野は市内でもトップレベルのチームだった。当時は。今はどうなんだろう。いつか、母校の後輩たちの応援に行こう。久しぶりに大会の雰囲気を味わいたい。
いつの間にか眠っていた。バスが高速道路から抜け出すところではっと目が覚めた。
スマホを確認する。電話はかかっていなかった。だめだったんだ。無駄だったんだ。ご縁はなかったんだ。だんだんと暗い気持ちになってきた。
若者ワークプラザで私を担当しているカウンセラーは、何度も面接練習をしてくれた。公務員をやめて、フリーターになった先輩は電話で面接練習をしてくれた。ゼミの先生は、東京から北九州まで通勤して疲れているはずなのに、面接練習に付き合ってくれた。刑法の先生は、ゼミ生でない私に対して、面接練習をしてくれるだけでなく、メールで暖かい言葉を送ってくれた。それなのにだ。それなのに、何も結果を残せなかった。自分は死んだほうがいいんじゃないか。そう考えると、目から涙が溢れてきた。
会話が多い家庭で育った人ほど、面接が得意な傾向があると、齋藤孝先生の本に書かれていた。私の家庭に会話なんてものはなかった。私の両親は恋愛結婚だ。お互いに好きで、いてもたってもいられなくなって結婚した。そうであるにもかかわらず、なぜ離婚したんだろう。
私の親権は母にあった。でも、私は捨てられた。母の恋人に虐待されて、殺されそうになったこともある。しかし、母は私を助けなかった。ネグレクト。
寂しくて、つらい子供時代を過ごした。反社会的な道を歩こうとしたこともあったけど、立ち直って、大学まで進学した。
大学に通っているんだから、それで十分じゃないか。就職活動がうまくいかない理由を家庭環境に求めるな。努力が足りないだけだろう。こんな意見が飛んできそうだな。確かにその通りだ。甘えているだけなんだ。努力していないんだ。でも、つらいんだ。
私が遺書を残して死ねば、世界は私の声を聞いてくれるだろうか。無責任な親のせいで寂しい子供時代を過ごした私の声を、聞いてくれるだろうか。すべての親に伝えたい。子供にとって、両親の離婚は何を意味するのか。特に学校の卒業式はつらいんだぞ。友達は両親が揃っているけど、自分は違う。自分の家庭は普通じゃないんだ。そのことに気づかされる。
どうやって死のうかな。安らかに、苦痛を感じないまま死にたい。睡眠薬は楽に死ねるかな。でもどうすれば入手できるんだろう。わからない。病院に行ったらもらえるのかな。明日はいろんな病院を巡って、睡眠薬を集めよう。致死量まで集まったら、お気に入りの公園のベンチに腰を下ろして、日向ぼっこをしよう。太陽が傾いて、少し肌寒くなったら、睡眠薬を一気に飲み干そう。
目に涙をためながら、自殺を決意した。これで何度目だろう。高校生の頃は、左腕を切り刻んでみたけど死ねなかった。しかし睡眠薬なら確実だろう。
ハンカチでたまっていた涙を拭いた。まだ小倉まで30分はかかりそうだ。少し眠ろうと思って、目を閉じた。その瞬間、頭のなかで不吉なメロディが流れた。それと同時に、まぶたの裏に一人の男が現れた。貝木泥舟だ。いつものオールバックではなく、髪を下ろした貝木が私のまぶたの裏に現れたのだ。
貝木は、西尾維新の〈物語〉シリーズに登場する詐欺師だ。初出は『偽物語』で、第一印象は最悪だ。中学生からお金を騙し取っていたんだから。
貝木による詐欺の被害者の一人である千石撫子は『囮物語』で主人公の阿良々木暦に振られてしまう。逆恨みした千石は神様になり、阿良々木の関係者を皆殺しにしようと目論む。
千石問題を解決するため、阿良々木の恋人である戦場ヶ原ひたぎは、貝木に神様騙しを依頼する。それが『恋物語』だ。物語の終盤、貝木は神様騙しに失敗してしまい、千石に殺されそうになる。しかし、貝木のある一言がきっかけで、千石は不本意ながら貝木と対話を始める。その対話が頭のなかで再生された。
「千石、俺は金が好きだ。なぜかといえば、金はすべての代わりになるからだ。物も買える。命も買える。人も買える。心も買える。幸せも買える。夢も買える。とても大切なもので、そしてそのうえで、かけがえのないものではないから好きだ。逆にいうと俺はな、かけがえのないものが嫌いだ。これがなきゃ生きていけないとか、あれだけが生きる理由だとか、それこそは自分の生まれてきた目的だとか、そういう希少価値に腹が立ってしかたがない。阿良々木に振られたら、お前に価値はなくなるのか?お前のやりたいことはそれだけだったのか?お前の人生はそれだけだったのか?」
面接がうまくいかなくて、内定が得られなかったとしても、私の価値はなくならないと思う。やりたいことだってたくさんある。ジョジョの完結を見届けたい。私の人生は、別に就活がすべてではない。しかし、あの面接官たちに私の何がわかるんだ。これまで、どれだけのつらい経験をしてきたのか、何も知らないくせに。苦労しながら精一杯生きてきたんだよ。お前に何がわかるんだよ。
千石は貝木に問う。
「貝木さんに何がわかるの?貝木さんは私のことなんか何も知らないでしょ?」
千石が私の気持ちを代弁してくれた。本当にその通りだ。あの、苦労を知らなさそうな、幸せそうな面接官は、私のことなんか何も知らない。
貝木が千石の問いに答える。そして対話は続く。
「いろいろ調べた。だがそうだ。何も知らない。重要なことは、何も知らない。お前のことは、お前しか知らないんだから。だからお前のことは、お前しか大切にできないんだぜ。そしてお前の夢も、お前にしか叶えられない」
「そんな…。とっかえひっかえみたいな、あれがだめならこれでいこうみたいな、適当なこと、してもいいの人間は?」
「いいんだよ。人間なんだから。かけがえのない、代わりのないものなんかない。俺の知ってる女はな、俺のよく知っている女はな。今している恋が初恋だって感じだぜ。本当に人を好きになったのは、今が初めてって感じだぜ。そしてそれで正しい。そうでなくっちゃだめだ。唯一の人間なんて、かけがえのない事柄なんてない。人間は、人間だからいくらでもやり直せる。いくらでも買い直せる」
貝木の説得に心を動かされた千石は、神様をやめて人間に戻った。解決。そして、阿良々木が千石に会うため、貝木たちがいる神社にやってくる。何も知らずにやってくる。
まだまだ子供の阿良々木に、貝木が大人として説諭する。
「そしてあとは、お前は一生その子にかかわらないようにしてやるんだ。いいな。さっさと思い出になってやれ」
「そんな無責任なこと、できるわけないだろ。千石がこんな目にあったのは僕のせいなんだから。僕はその責任を…」
「わからないのか?お前はその娘のために、何をしてやることもできないんだよ。お前がいたらその娘はだめになるだけだ。恋は人を強くすることもあれば、人をだめにすることもある。戦場ヶ原は、お前がいたから多少は強くなったんだ。しかし、千石撫子はお前がいたならだめになるだけだ」
阿良々木は理解していなかった。自分が千石のためにできることは、何もないということを。これまでのように、千石のことも救えると思っていた。その誤りを貝木は指摘したのだ。
「貝木、千石は僕がいなければ、幸せになれるんだろうか?」
「さあな。さっきまで幸せだったみたいだが、別に幸せになることが人間の生きる目的じゃないからな。幸せになれなくとも、なりたいものになれりゃいいんだし。けどまあ、何にしても、生きてりゃそのうちいいことあるんじゃねえのかよ。じゃ、また会おう」
面接官は私のことを知らない。自分のことは自分しか知らないから。だから、自分のことは自分しか大切にできない。人から大切にされなくても、自分で大切にすることはできる。つらい状況なら、なおさら自分に優しく、大切にしなくてはならない。
私は幸せと思えるような人生を歩むことはできないかもしれない。でも、生きていればそのうちいいことあるよね。
小倉に到着。おなかがすいていたので、以前から気になっていた飲食店に入った。そこで、カレー風味の焼きそばを注文した。麺がパリパリしていておいしい。焼きそばとカレーの組み合わせも悪くない。
おいしいものを食べたら、少し明るい気持ちになった。就活はしばらく休もう。明日からは好きなことをして、のんびりと過ごそう。10月からジョジョの五部がアニメ化される。それまでに四部までのアニメをみておかなくちゃ。
この時期が一番つらいものでした。
友人は内定を得ているなか、自分は内定がない。
自分は人間失格なのか。くずなのか。そんなことが頭のなかでずっとぐるぐるしていて、どうにかなりそうでした。
でもやっぱり、自分を支えてくれるものはあるのです。
別にそれは人じゃなくてもいい。ペットでもいいし、アニメでもいい。
とにかく、自分の支えになるようなものがみつかるといいですね。