三章
一学期も残すところ数日になってきたのでクラスは一段とにぎやかになっていた。時は音楽の時間。それぞれが好きな楽器を演奏していた。
「俺の時間がきたぜい。華麗なるギタープレイ見せちゃうぜい」
普段良いところがない亮介君は随分はしゃいでいた。軽音部に所属しているからか、かなりうまい。
「よーし。ビー〇並みのギターソロ魅せちゃうぜい。ジャスラックなんか関係ないぜい」
とティロリロリロイーというかなり早い音を奏でていた。おーロックスターみたい。
「はい。真希ちゃんカモン」
「よっしゃ」
とさらに亮介君とセッションを始めた。そういえば真希ちゃんさんも軽音部だったっけ。さらに活気に満ちた雰囲気があふれ始めて、いつの間にか何人ものクラスメイトが亮介君の演奏を聴いていた。
「それじゃみんなで一緒に。そして輝」
「汐。あっちで泉水がチェロ弾いているんだ。良かったら君もどう? あの子上手なんだ」
と、知波に声をかけられた。加藤さんの周りの方にも人が集まっていた。せっかくだから知波と一緒に加藤さんの方へ向かった。後ろの方で「「「「ハイ!!!」」」」とみんなが叫んでいた。
「あれって〇ーズよね。みんな好きね」
「だね」
僕たちは静かに加藤さんの前に座った。ちょうど前の曲が終わって新しいのを始めていた。初めて聞く曲だったけれどその音色は優しさを漂わせると同時にどこか哀しさ・寂しさを含ませる曲だった。どこか加藤さんの雰囲気にあった曲だった。
「うっしー。泉水ちゃんってうまいだろ」
いつの間にか隣に座っていた渉君が小声で話しかけてきた。手にはバイオリンを持っていた。
「そうだね。同じオーケストラ部なんだっけ?」
「そうそう。部内でも一目置かれているんだ」
そうこう話しているうちに演奏は終わった。
「イズミンうまーい。なんて曲?」
「ガブリエル・フォーレの夢のあとにって曲なんだ。結構て好きなんだ」
「確かに。あたしの汚れた心が洗われたような気がしたわ」
「たしかにー。ただ、ちょっと暗いかも」
「そうね。イズミンあなた花の女子高生でしょ。もっと明るい曲弾きなよ」
さりげなくみんなひどいこと言っている。加藤さんも苦笑気味だ。
「泉水。せっかくだからもう一曲弾いてよ。私でも知っているような」
知波からリクエストが飛んできた。
「そう。ではみんなが大好きなあの曲から」
と、また別の曲を奏で始めた。前のと異なりかなり明るい曲だった。どこかで聞いたことがあるんだけれど。みんな曲名を思い出そうとしているような顔をしていた。と、サビに入ってやっとわかった。アニメ映画でおなじみのあの曲だ。周りの女子たちもわかったみたいで、きゃははという笑い声を立てていた。
「お。良いところにバイオリンがいるじゃん。聖司君もゴー」
といきなり渉君にご指名が入った。いきなりで戸惑うもすぐにデュエットになじんでいた。オーケストラ部でもたまにこういうことがあるのだろうか。結構絵になっているので、みんなはやし立てていた。ふと隣の知波を見たら物悲しげな表情をしていた。視線の先には渉君と加藤さんがいた。
「あれ? ちなみんお昼はどうするの?」
「あー、今日は別の人と食べるよ。ごめん」
「そっか。わかった」
そういって知波は教室を出て行った。少し時間をおいて僕も教室を出た。行先は屋上。メリーさんとの約束を果たすために、たまに一緒に食べている。
「お、うっしーも来た」
もうすでに二人とも来ていた。知波は小さな水色の弁当箱を広げていた。メリーさんはおにぎりを手にしていた。僕も購買部のパンを食べ始めた。
「メリーさん。少し気になるんだけれど幽霊もおなか減るの?」
「確かに。肉体がないなら特に必要ないよね?」
お昼とかを一緒にしているけれどそこのとこどうなんだろう。
「あー。別に減らないよ。食べているって感覚ないし。なんとなくの気分? あたしも今どきの日本人だから空気読んでるのよ」
とあいかわらざっくらばんとした口調でいった。
「ていうかあんたら夏休みはどうするの。夏休みマジで暇になんだけど」
いきなり話題を変えた。たぶんずっと気になっていたんだろう。
「大丈夫よ。私も汐も学校に行く機会がそれなりにあるから」
「そうそう。秋の文化祭の準備と夏期講習がね。意外と頻度あるよね」
そういうと、あーそんなのあったねーという顔をした。
「あーそりゃよかった。あんたらは何やんの?」
「喫茶店。僕たちは大道具担当だよ」
あと加藤さんと渉君。四人で色々と作ることになった。
「ふーん。結構大変そうだね。せっかくなんだから夏休みも遊びに来てよ」
「あたりまえじゃん」
と言って知波はニッと笑った。と、チャイムが鳴ったので僕たちは教室に戻り始めた。
最近ばたばたしていたから僕は学校帰りに一人散歩をしていた。今日も相変わらず青い空と暑い日差しの天気だ。学校行って本読んでの繰り返しだったのが不思議なものの出現でかなり変わった。興味深い反面とまどいも覚えている。特に知波といつの間にか仲良くなったのは不思議に思っていた。中学校を卒業してから特定の仲の良い友人はいなかったからかなり新鮮だった。
周りはギンヤンマがたくさん飛んでいる。家々からは風鈴の音が鳴っている。子どもたちは駄菓子屋でアイスキャンディーを買って分け合っている。夏本番という雰囲気が出てきた。今年の夏は今までで一番思い出に残る。そんな気が僕はしていた。
******************
「ねえ、真希ちゃん。真希ちゃんはきのこの山派? たけのこの里派?」
夏休みに入って数日後。ミンミンゼミとアブラゼミがデュエットをしていてうるさい夏日和。亮介君はいつものように変な内容で女子に絡んでいた。
「今度はどうしたの?」
「はは。長年あのお菓子って戦争起こしているじゃん。実際はどうなのか生の声を聞きたいと思ったわけよ」
彼ってよくそういうこと思いつくよね。
「まったく。ちなみに、その選択しに“君”っていうのは入ってないの?」
「え? そ、そうだね。うん、じゃあ俺も含めて。うん」
「たけのこの里かな」
ものの見事にあしらわれていた。亮介君は無言で去っていった。その時僕と目が合ったからこっちに寄ってきた。
「わーん。真希ちゃんにいじめられちゃったよー」
「タイヘンダネエ」
「うっしー棒読みだよ」
それ以外何を言えばいいんだろう。
「うん。女子と交流できるのはすごいと思うよ。うん」
「うっしーに言われてもねえ」
って僕?
「そう。あの知波ちゃんを落とすとはねえ」
「へっ。何のこと?」
「またまたあ。最近二人の仲がいいの見えているんだZE☆」
へえ。周りからはそんな風にみられていたのか。
「残念ながら君が期待している関係じゃないよ。知波は友達だよ」
「へえ。じゃあいつ付き合うの?」
「そういうのも二人とも考えていなよ」
「もううっしーは固いなあ。もっと青春した方がいいよ! 本ばかり読んでいると馬鹿になっちゃうよ」
亮介君は笑いながらいった。
「こらー亮介。さっさとこっち手伝ってよ」
真希ちゃんに呼び出されて彼はもとにいた場所に戻った。そのうち知波も戻ってきて、
「相変わらず彼って騒々しいよね。ん、どうした?」
僕の表情を見て何か気になったようだ。
「別に。大道具づくりを続けようか」
「ふーん。りょうかい」
四時くらいに準備はお開きになって知波と僕は図書室に向かった。夏休みになると何となく一緒にいることも増えていた。図書室の近くに来たけれど何だか部屋の中が暗いように見えた。
「なんか張り紙が貼ってあるよ」
「本当だ。えっと、書庫整理のために七月××日から○○日まで示させていただきます。って今日からだ」
すっかり見落としていた。
「仕方ないか。どこか別の場所を探そうか」
「そうだね」
そういって僕たちは玄関の方に向かった。
「とはいってもあてはあるの?」
「うーん」
知波と僕が通っていた喫茶店はなくなったし、あそこ以外は正直いい店はない。図書館は少ないし離れたところにあるし。
「ファミレスとかかな」
「君ってあそこ好き?」
「いんや」
人が話しているところで本を読むのは好きではない。彼女もどうやら同じ気持ちみたいだ。
「あーあ。どこかに静かでゆっくりできて雰囲気が良いところないかな」
「そうだね。ゆったり本を読めたり勉強したりするところないかな」
と話しながら歩いていたら、ふと風景が変わっているのに気付いた。周りは牛や鶏がたくさんいて、近代的な建物はいっさいなくなっていた。
「なんかタイムスリップしていない?」
「ねえ。もしくはワープしたとか」
今度は風景までおかしくなったのかな。
「あ、あそこに大きな日本屋敷あるよ。行ってみない?」
「いかにもな建物だよね。他に行くところもないしね」
僕たちは日本屋敷を目指した。ポストやメリーさんで特に変な目に合わなかったことや、この風景がどこか懐かしさを覚えさせるような感じがあるためだ。特に悪意のあるものであるとは思わなかった。
部屋もこぎれいに整えられていた。柔らかな畳。きれいな白さの引き戸。年季の入った木造屋根。見るからに高価な雰囲気をしていた。
「すみませーん。どなたかいらっしゃいますか?」
知波は奥に向かって声をあげた。しかし返事が戻ってくる様子はなかった。
「全然反応ないね。ちょっと中入ってみようか」
「うん。そうだね」
僕たちは奥の方に入っていった。中には囲炉裏があってそこでお湯を沸かしていた。他に分のお茶碗と羊羹が置いてあった。
「なんだろう。まるでついさっきまで人がいたみたいだね」
「そうね。ただ人の気配がいっこうにしないわね。君が悪いわね」
そろそろ僕も不安に思ってきた。
「そうだね。帰ろうか」
入り口に戻ろうとしたところ足元にお品書きの様な白い紙が落ちているのに気がついた。
「あれ? こんなのさっきまであったかな」
手に取って開いてみるとこう書いてあった。
~ ようこそ。休憩所マヨヒガへ
「マヨヒガ?」
「柳田国男の『遠野物語』という民話集に登場する屋敷だよ。ここみたいに誰もいない不思議な場所として描かれているんだ」
知波に説明しつつ紙をめくると、
~そうですそうです。そのマヨヒガです。岩手県遠野市からやってきました
「なんか、君が話したのとイメージ違くない」
「だよね。自分で自分を説明するというのも」
さらに紙をめくると、
~昔は寡黙でよかったのですが、最近はコミュニケーションがどうとか
~アカウンタビリティーがなんだとかで、いやでも情報伝達しなければならないのですよ。
~個人的にはしゃべりすぎ・説明し過ぎも情緒がないと思うのですよね。
「確かに。君は黙っていた方が良いタイプだよね」
「うん。いっきに趣がなくなったよね」
~それは不甲斐ない限りです。何はともあれお休みどころが
~欲しいとのことなので登場してまいりました。一杯のお茶とともに
~ゆっくりしていってはいかがでしょうか?
「だって。どうする。せっかくだからここで勉強していく?」
「そうね。静かで落ち着いていて勉強するには悪くないし」
~それはよかったです。ではお茶とお菓子をどうぞ。
ふとそばを見るといつの間にか湯呑にお茶が入っていた。
「君って気が利くわね」
~なんといっても人が心地いい空間を目指しておりますから。
~あくまで『遠野物語』での私の立ち位置はユートピアですし。
「なるほど」
そんなことを話しつつ知波はフランス語の勉強を始めた。僕も今読んでいるアーネスト・ヘミングウェイの『武器よさらば』を読み始めた。第一次世界大戦期のイタリアを舞台にした作品だ。簡潔な文章であるとの評価が高い作者とのことで、淡々とした文章が続く。特に実際の戦闘の描写は過剰な表現がないため、かえって生々しさを醸し出していた。僕は百年前の風景に引き込まれていた。
「あ、今度はヘミングウェイだ。面白い?」
ふと知波が声をかけてきた。腕時計を見てみると一時間ぐらいたっていた。
「うん。べったりとした表現じゃないのが好きかな」
「へえ。今度読んでみようか。私ってあまり本読まないから」
「そう? 話していると結構読んでいるように見えるけれど。この前だってカミュに興味を示していたし。全く読まない人だとたぶんピンとこないんじゃないかな」
今回のヘミングウェイもそうだ。
「まあ、少しは読むかな。本当に気が向いたらレベルだよ。君みたいに本当にたくさんは読まないよ。すごいよね。たくさん手に取っていて」
「そんなことないよ。僕はただ本だけ読んでいる馬鹿だよ。健司君みたいにバスケが出来てかっこよくないし、亮介君みたいにギターを弾いてみんなを楽しませることもできないよ」
なんか言い訳するみたいにどんどん言ってしまった。
「ふーん。そんなもんかな」
彼女は腑に落ちない表情をしていた。
「そろそろ帰ろうか。もういい時間だし」
僕は言った。
「そうね」
気がつくとまた白い紙が落ちていた。
~ご利用いただきありがとうございました。
~何かこちらにあるものをよろしかったら持ち帰ってください。
「へえ。気前がいいわね」
「そうだね。『遠野物語』だとここのものを手に入れると、大金持ちになれるっていう話だね」
と、一枚また増えた。
~さあ。どうでしょうか。
「で、あれば私はいいかな。今さら大金持ちになるのも想像できないし」
「僕もかな。宝くじが当たって使い方を間違えて不幸になるタイプだと思うし」
~そうですか。ではまた遊びに来てください。
「わかったわ。どうもありがとう」
「また遊びに行くよ」
そういって僕たちはマヨヒガを辞した。来た時と同じように牛や鶏や豚がエサを食べていた。まるで田舎の方の様な風景だった。
「田舎暮らしって大変なのかもしれないけれど、こういう風景って私は好きだな」
「僕もだよ」
そう話しつつ僕たちは日常のまちに戻っていった。
******************
「フランス語って面白い?」
場所はマヨヒガ。今日も僕たちは人の気配だけがする屋敷で過ごしていた。
「んー。普通かな。どうして?」
知波はいつものようにフランス語の教科書を見つつ眉間にしわを寄せていた。
「高校生でフランス語を勉強するのは珍しいなと思って。ましてや放課後や夏休みになってもやるなんてね」
「あー。単純な話よ。社会人になったらフランスで働きたいと思っているから。だから今のうちにやれることはやっておこうかなと」
僕はびっくりして彼女の話を聞いていた。高校生の段階で具体的な進路を考えて行動していることもそうだし、
「フランスって随分ピンポイントだね。何でまた?」
海外で働くならイギリスとかフィンランドとか色々ある中どうしてと思って聞いてみたけれど、
「えっと。フランス料理毎日食べれるし。ルーブル美術館にいっぱい行けるかなと思って」
彼女にしては歯切れが悪い様子だ。もっと具体的な理由があると思っていたけれど。
「そうそう。君って詩も読む? 日本語だと聞かない音だから勉強していて楽しいかな」
「へえ。そうなんだ。あまりイメージ湧かないけれど」
「音で聞いてみるといいかも。例えばこんなのとか」
といって彼女は丁寧な発音で詠った。
Les sanglots longs
Des violons
De l'automne
Blessent mon cœur
D'une langueur
Monotone.
Tout suffocant
Et blême, quand
Sonne l'heure,
Je me souviens
Des jours anciens
Et je pleure;
Et je m'en vais
Au vent mauvais
Qui m'emporte
Deçà, delà,
Pareil à la
Feuille morte.
「こんな感じかな」
僕はその音に聞きほれていた。こんな詩があることに新鮮さを覚えていた。
「本当だ。きれいな言葉だね。これってなんていう題名?」
「ヴェルレーヌの『Chanson d'automne』っていうの。日本だと『秋の詩』とか『落葉』かな。訳すと、秋の日の……」
「あ、ひょっとして僕知っているかも」
と僕もつられて暗誦し始めた。
秋の日の
ヰ゛オロンの
ためいきの
身にしみて
ひたぶるに
うら悲し。
鐘のおとに
胸ふたぎ
色かへて
涙ぐむ
過ぎし日の
おもひでや。
げにわれは
うらぶれて
ここかしこ
さだめなく
とび散らふ
落葉かな。
「すごい。よく覚えているね。他にも何か言えるの?」
「いや。これだけだよ。どこか寂しい雰囲気に惹かれてついつい暗記しちゃったんだ。他はさっぱりだよ」
僕は照れくさくなりつつ答えた。
「しかし、君はいつかフランスに行っちゃうんだ。寂しくなるね」
話題を変えたくてつい口走ってしまった。彼女はニッと笑って、
「そうだよ。別れはいつかやってくるのサ。それまで私の時間を大切に扱いなさいよ」
と冗談めかして言った。
知波と別れたあと僕はあてもなく歩きまわっていた。小学校の頃は周りでは江戸川乱歩が流行っていて、僕も明智小五郎が大好きだった。みんなで本の貸し借りをしたり感想を言い合ったりした。学年が上がるにつれてバンドやスポーツ・アニメに興味を持つようになって、本を読む人は全然いなくなった。それに従って感想を共有することもなくなってきた。仕方がないと思いつつ心のどこかに寂寥感を持っていたのかもしれない。久しぶりに彼女と本について話したら、内心興奮していた。誰かと感想を共有するのが楽しいことだと思い出した。