#8 そして、再び.……
翌朝、頭痛を抱えての目覚めだ。ああ、これがいわゆる二日酔いという奴か。そう実感した朝だった。
「ねえ、ヒロト!浴場に行こう!」
僕以上に飲んだはずのエミリさんは、すこぶる元気だ。僕は着替えて、昨日もらったたくさんの金貨から1枚とって、まだ薄暗い街に出る。
朝の風景を撮影しながら、僕とエミリさんは近くの浴場に向かう。
エミリさんと一緒に公衆浴場の中に入る。中に入ってから、思い出したことがある。
そうだ……そういえば、ここは混浴だって言ってたな……目の前で男女が御構い無しに脱いでいるのを見て、僕の酔いはいっぺんに醒めた。ええっ?今から僕もここに入るの?なんだかとても恥ずかしい。
エミリさんは僕の手を引いて奥に入る。とても場違いなところに来てしまった感じがしている僕に構わず、エミリさんは服を脱ぎ始める。
ええい、郷に入らば、郷に従えだ。こういう時は、故事に倣うのがベストだ。そう言い聞かせて、僕も覚悟して服を脱いで中に入る。
そこはもう異世界だった。いや、この世界自体が異世界だが、ここは異世界の中の異世界。もう何を言っているのか、自分でも分からない。
老若男女が入り乱れるこの浴場。すぐ目の前には、若い夫婦とその子供らしき人が喋りながら湯に浸かっていたり、その奥で僕と同じくらいの女の子が垢すりのようなもので身体を洗っているのが見える。
日本から来た僕には、かなり刺激的すぎる場所だが、不思議とその雰囲気にのまれてしまう。素っ裸のエミリさんは、僕の背中を洗ってくれる。僕もお返しに、エミリさんの背中を洗った。
「あれ?ヒロトとエミリじゃないか。」
声をかけてきたのは、ニーナさんだった。
「あれ?ニーナさんも来てたんですね。」
「そうだよ、僕だけじゃなくて、レントもいるよ。」
「えっ!?レントさんも?」
よく見ると、横で頭を洗っているレントさんがいた。
「すごい偶然ですね。ニーナさんだけでなく、レントさんまで一緒とは。」
「ああ、だって僕、昨夜はレントの家にいたんだ。今朝も2人でこの浴場に来たんだよ。」
えっ?レントさんの家にニーナさんが?それってもしかして……僕は大人の事情ってやつを、勘ぐってしまった。
という僕も、エミリさんと一緒に住んでいる。だから、僕もあまり人のことはとやかく言えない。
浴場から出て、4人で街を歩く。もうすっかり日が昇っていた。明るくなった街には、人々が行き交う。
ギルドにある食堂で朝食を食べようということになり、皆でギルドに向かう。その途中、エマさんに出会った。
「あれ!?なんで4人お揃いなの!?」
自分だけ仲間はずれにされたとやや不機嫌になるエマさんも誘って、みんなでギルドへと向かう。
思えば、ここは僕がこの世界に来て初めて訪れた場所だ。あれからちょうど1週間。僕はすっかりここの人々と仲良くなれた。
「よお、ヒロト。今日もその魔法で何か取り込むのかい?」
「ええ、そうですね。今日はこの街の様子でも撮ろうかなと。」
「それなら、このギルドも撮っておいてやんな。昨夜もたらされた王都からの知らせで、みんないい笑顔してるからさ。」
ある駆除人が言う通り、このギルドの人々の表情は明るい。
僕もその知らせは、さっきの浴場での誰かの会話で知った。
それは、国王陛下の容態が、回復されたというものだ。
昨日、僕がフェデリー湖の写真を見せた後から、急速に元気になったというのだ。
おかげで、僕の魔法が陛下を救ったと、このギルドでもすごい盛り上がっているらしい。
だが、僕は確信していた。陛下を救ったのは、僕ではない。
フェデリー湖でのエミリさん、エマさん、そしてニーナさんの水浴びの写真。きっとあれが、陛下回復の決め手だった。あれだけ熱心にあの写真をまじまじと眺めておられ、それから陛下の表情が明らかに変わられた。陛下をお救いしたのは、ここにいる3人の女性のおかげ。僕はそう思っている。
だがこのことは、みんなには内緒だ。
それにしても、写真には思わぬ力があることを、僕はこの話を聞いて実感する。
まさか異世界で写真を撮るとは思わなかったけど、たかがこのカメラの写真のおかげで、僕はこの世界に自分の存在価値を作ることができた。
この明るい雰囲気のギルドを、僕はカメラで撮る。
カシャ。
初めて来た時はおっかなくて、食事も美味しいとは思えなかったけれど、今はもう、僕はここの住人だ。そう思いながら、僕はギルドの写真を眺めていた。
「じゃあ、僕らは仕事があるから。」
そう言って、レントさんとニーナさんは揃って警備所へ行こうとする。
「あ、ちょっと待ってください!」
僕は2人を呼び止めた。
「なんだい?」
「せっかく5人揃ったんですから、みんなで写真を撮りませんか?」
「いいね。じゃあ、どこで撮る?」
「そうですね……」
僕は周りを見渡す。道端に杭が一本あるのを見つけた。僕はそれを三脚代わりに使おうと考えた。
杭の上にカメラを置く。小石を使って、ちょうどいい角度に調整して、カメラをタイマー撮影モードにセットした。
シャッターボタンを押して、4人が並ぶ場所に僕は駆け寄る。
「あれ?どうやって撮影するの?」
「もうすぐカメラが撮ってくれますよ。皆さん、笑顔で。」
カメラのランプが点滅している。点滅が速くなり、シャッター音がする。
……カシャ。
撮影したばかりの写真をみんなで眺める。どうってことのない集合写真だけど、あの山で必死に戦った5人が、一仕事終えて満足気な顔で写っている、僕にとってはこの世界での記念となる写真だ。
ああ、せめてプリンターがあればな。この写真を、みんなで共有できるのに。
写真を眺めていると、カメラの画面上にあるインジケーターが、バッテリーが残り少ないことを知らせてくる。
ああ、そうだ。そういえばここにくる途中、ソーラーパネル付きのモバイルバッテリーを充電するため、岩の上に置いて来たんだった。
「あの、エミリさん、エマさん、レントさん、ニーナさん。僕ちょっとバッテリーを取ってきますね。待っててください。」
「ええ、いいわよ。いってらっしゃい!」
僕はその岩にあるバッテリーを取りに向かう。
バッテリーは、3日前に星空を撮影した時に使った、あの岩の上に置いてある。そこはコボルトのアンデッドにも出会った場所だが、今は昼間。アンデッドどころか、人影もない。
僕は岩の上のバッテリーをつかむ。そして、持ち上げた。
その時だった。
目の前にあったはずの岩がない。目の前には、真っ黒な地面が現れた。
目を上に向けると、そこはビルの谷間。電信柱も見える。車が走る音も聞こえてきた。
あ……あれ……?
僕は一瞬、何が起きたのか、理解できなかった。
ここは元々僕がいた世界。戻ってきた、というより、スーッと僕の周りの世界が入れ替わった、そんな感じだ。
そしてここは、僕がちょうど1週間前に異世界へと飛んだ、まさにあの場所だった。
僕は、焦った。
元に戻れたという喜びより、焦りの方が大きかった。
僕はまだ、エミリさんに、お別れを言っていない。
そこで待っててと、言ったきりだ。
なんとかして、あの世界に戻らなきゃ。
僕はこの路地を歩き回る。まだ向こうの入り口が残っているかも知れない。
入り口は他の路地に移動しているかもしれない。そう考えて、隣の路地にも行った。
だが、どうしても戻れない。
もしかして、僕は長い夢を見ていたのかと考えた。この路地の真ん中で、気を失っていたんじゃないかと。
でも、そうでないことを、バッテリー切れ寸前のこのカメラが教えてくれた。
最後に撮った写真。5人で笑顔で撮ったあの写真。カメラに残されたこの写真が、あの世界での出来事が現実のものであることを教えてくれたのだ。
それから数時間、僕はこのビル街を歩き回り、異世界への入り口を探し続けた。
だけど僕はとうとう、あの世界には戻れなかった。
◇
異世界から帰ってきて、2か月が経った。
あの後僕は、結局自分の家に帰っていった。
家に帰ると、まるで蜂の巣を突いたような騒ぎになった。1週間行方知れずの僕が、突然現れたからだ。
親からはおおいに叱られる。僕は別に世界に行っていたと写真を見せて話すが、信じてもらえなかった。あの世界では証拠として使えたこのカメラの写真が、ここではまるで役に立たない。なんという皮肉だろうか。
それから夏休みの間に、カメラとバッテリーを持って時々あのビル街に行く。ひょっとしたらまたあの世界の入り口が開くかもしれない。そう期待するが、結局僕はまだこの世界に留まったままだ。
そして夏休みが明けた。学校が始まる。
僕は今、文化祭の準備をしている。
あの世界で撮影した写真は、全部で137枚ある。あの写真の一部を、部活の展示物として出すことにしたのだ。
もちろん、水浴びシーンやモンスターの死骸の写真は御法度だ。風景や星空、生きているモンスターの写真を大きく印刷して、文化祭の時に展示することにしたのだ。
異世界のことはあえて言わない。ただ僕は、向こうの世界の生き生きとした雰囲気を感じてもらいたいと思って見せることにした。
未だ異世界には行けていないが、この2か月の内に、不思議なことが2つ起きた。
一つは、アンデッドと出くわす直前に撮った、あの星空の写真についてだ。
星座表や天体雑誌を調べてみると、あの星空はこの日本で見られる星の配置と、ほとんど一致していることが分かったのだ。
てっきり僕は、あの世界は宇宙の別の場所にあるものだと思っていたが、あそこはこの地球そのものだったのだ。
それで僕は考えた。もしかするとあそこは並行世界だったのではないか、と。
その考えをより強くさせたのが、もう一つの不思議な出来事だ。
僕はこの世界で、エミリさんに出会ったのだ。
夏休み明けの2日目、学校の隣のクラスから、どこかで見た人物が現れた。
少し髪は長いが、紛れもなくそれはエミリさんだった。彼女を見た僕は思わず、声をあげた。
急に声をあげる僕を、彼女は怪訝そうな顔で見る。無論、こちらの「エミリさん」が僕と出会うのは、この時が初めてだった。
これをきっかけに、僕は彼女と知り合いになった。そして僕らは、付き合いを始めることになる。
驚いたことに、彼女の名前もまた「エミリ」だった。無論、日本名のエミリなのだが、それにしてもこれはものすごい偶然だ。
いや、僕は偶然ではないと思っている。
おそらくこの世界にも、レントさんやニーナさん、それにエマさんもいるのだろうと考えている。どこかできっと、生きているはずだ。
そして、向こうに世界にも、おそらく「ヒロト」がいるのだと思う。多分、僕と同じで、向こうのヒロトもエミリさんに巡り会っているんじゃないだろうか?
ところで僕はこの話を、付き合って1か月経った時に、こっちのエミリさんに話してみた。
あちらの世界のエミリさんの写真を見せながら、この運命的な出会いの話をしたところ、エミリさんはこう言いだした。
「じゃあさ、今度の休みに、そのビル街に行ってみようよ!もしかしたら私達、向こうに行けるかもしれないよ。」
ちょうどオークの森に行こうと言い出した時のあのエミリさんのような嬉々とした顔で、僕に提案するエミリさん。そこでその次の土曜日に、僕とエミリさんはあのビル街に行った。
もちろん、カメラとバッテリーを持参する。あの世界から持ち帰った金貨1枚と数枚の銀貨も財布に入れている。
異世界の入り口が開いても、2人で一緒に行けるよう、僕とエミリさんは手をつなぐ。表通りの店をまわりながら、時々裏道に入っては、入り口を探しまわる。
歩き回って疲れると、カフェに行って2人で会話をした。もし向こうに行ったらどうしようか、その前に、近くの本屋に行こうか、などなど。もうこれは、デートだ。
それから、平日は学校と文化祭の準備、休日は異世界の入り口探しが日課になった。今日も僕は、エミリさんとの異世界の入り口探しをする。
あの、カメラと共に。
そして、エミリさんと共に。
(完)