#6 石の化け物と幻想の湖
オーガとの戦いになんとか勝利した僕らは、山の頂上付近にあるという湖へと向かう。
勾配がきつくなる。僕のような街育ちには、きつい坂だ。
なんとか他の4人についていくが、やはり足を引っ張っているのが分かる。ああ、こんなことなら、もう少し普段から鍛えておけばよかった。
また踊り場のような平坦な場所に出た。そこはむき出しの岩が並ぶだけで、オーガを倒したあの枯れ木の茂みはない。ここでオーガと出くわせば、もう逃げるしか方法がない。
だが、山頂に近づくにつれて小物のモンスターですら減ってきた。どうやら、山のてっぺんにはあまりモンスターはいないようだ。先を急ぐ僕らにとっては有り難い。
だが、山頂手前で僕が参ってしまった。汗だくでなんとかついてきたが、体力が続かない。残念ながら、僕は日本の都会っ子だ。ここの人々とは、鍛え方が足りなさすぎる。
道端に座り込んでしまった僕の肩を持ち、岩陰に連れて行ってくれるレントさん。ああ、皆の足を引っ張ってしまった。罪悪感を感じてしまう。
「少し休んで行こう。もうすぐ頂上だ。」
ニーナさんが皆に声をかける。どこからか薪になる木々を拾い、火をつけるエマさん。5人は、その焚き火を取り囲んで座る。
「そうだ、せっかくだし、ここで食事にしましょう。」
と言ってエミリさんがカバンから取り出したのはパンだった。ギルドの食堂でよく出される、茶色くて硬いパン。だがここ数日、こいつのおかげで僕は命を繋いでいられるのだ。慣れれば、このパンも美味しい。
これにちょっと臭いチーズを乗せて、棒に刺して火で炙る。チーズが溶けたところで、一つ渡された。
お世辞にも良い香りだとは言い難いチーズだが、疲労回復には効果があるとエミリさんは言う。僕はそれをひとかじりする。
とても臭いチーズだが、疲れた身体が欲しているせいか、とても美味しい。他の4人も各々チーズパンを食べる。
「ん~!おいひい~!」
エミナさんが叫んでいる。皆、笑顔だ。こんなモンスターだらけの殺伐とした場所での暖かい食事。5人はしばし、団欒に興じる。
「そういえばさ、ヒロト。あんたのいた世界って、どんなところなのよ。」
エミナさんが僕に尋ねてきた。そういえば、エミナさんにも僕の世界のこと、あまりちゃんと話していなかったな。
「ああ、ええとですね……」
僕はカメラを取り出す。このカメラの最初の3枚だけ、向こうの世界の写真がある。
たくさんのビル、黒いアスファルト路面、走る車、行き交う人、そして道端に並ぶ電信柱。僕のいた街の、ごくありふれた風景だ。それをエミナさんやエマさん、ニーナさん、レントさんに見せる。
「な、なにこれ?ガラス張りの高い塔のようなものに、下にあるのは馬車?でも、馬がないわね……」
そうだよな、この世界から見れば、このビル街は不思議な風景だろうな。改めてみると、なんてごみごみとした世界だろうか。僕はそう感じた。
「ねえ、なんだってこんなへんてこな塔がたくさん立ってるの?」
「ええとですね、たくさんの人がここにはいるんですよ。この塔のようなビルと呼ばれる建物にも人がたくさんいて、働いたり買い物をしたりしてるんですよ。」
「へえ……外にもこんなに人がいるのに、まだ中にもいるの?それに、この下を走っているのはなに?」
「これは自動車といって、馬がなくても走る車なんですよ。遠くに出かけるには便利な乗り物ですよ。」
「ふうん、でもここにはモンスターはいないのね。」
「いませんね。僕もここにきて初めて見ましたよ、モンスターは。もちろん、魔法もありませんよ。それに皆、法を守って暮らしているので、剣などの武器を持った人もいないんです。」
「へえ、信じられないな。剣を持った奴がいないだなんて、大丈夫なのか?」
あまりにこことは違う世界の話に、皆興味津々だ。
ところでなぜ、3枚の写真があるのか。そもそも僕はなぜ、カメラを持っていたのか。
実はこの夏休みを利用して「街の風景」というテーマで写真を撮っていたからだ。
写真部ではないが、とある文科系の部活に属する僕。他の部員とともにこの何気ない風景の写真展を、この休み明けに行われる文化祭でするつもりだった。そのための題材を求めて、カメラを持って街に出ていたのだ。
3枚撮ったところで、この世界にきてしまった。だから、向こうの世界の写真が3枚しかない。
「ヒロトは向こうで、なにをしていたんだ?剣術はしていないようだな。」
「ええ、レントさん。僕らは普通、剣術なんてしませんよ。代わりに勉強というものをするんです。」
「勉強?」
「本を読んだり、計算をしたり、歴史を学んだり、とにかくたくさんのことを学ぶんですよ。」
「なぜ、そんなことをするんだ?」
「ええと、大人になってから使うんですよ。」
「17歳なら、もう大人だろう。」
「いや、僕らのところでは、20歳から大人なんです。」
「はあ?20歳?随分と長いこと子供でいられるんだな。」
「ええ、すいません。」
「だけど、お主の知恵はなかなかのものだ。さっきもお主の助言がなければ、我々はオーガにやられていた。学問を学ぶということは、全く役に立たないことではないのだな。痛感したよ。」
この世界では、17歳にもなって学問を学ぶ人はごく一握りのようだ。大半は15歳で成人し、各々が生活のため働き始めるという。
レントさんも5歳の頃から剣術を学び、15歳で騎士団見習いとなった。そして稽古を重ね、門番として多くのモンスターと戦い、今やマデレーヌきっての剣豪である。
「ところでニーナさんは、どうして騎士になったんですか?」
「えっ!?僕?」
「ええと、女の人で剣を振り回すって、この世界でも珍しいことなんじゃないかと思って……」
「ああ、そうだね。僕は昔から男勝りでね、おしとやかになんてなれやしない。だから、剣士になろうと思って剣術を始めたんだ。」
「あの、でも魔法も使えるんですよね。」
「そうだよ。こっちの方はあまり鍛えていないけど、なんだか生まれつきそういう能力が身についてたから、剣術と一緒に組み合わせて使うようになったんだよ。でも、水の魔法っていうのはあまり役に立たなくてね。せめて火だったら良かったのにって思ってたんだ。ここにきて初めて役に立ったよ。」
そうなんだ、ニーナさん。水の魔法も使える剣士ということで重宝されているのかと思ったけれど、確かに水というのはそれほど攻撃に使える魔法ではない。せっかく使える能力なのに、活かされていないのは実にもったいないことだ。
状況に応じて火や水を組み合わせようという発想は、少なくともこの騎士達にはないらしい。科学や歴史の知識があれば、少しは思いつきそうなものだけど、彼らと僕との間にある教育の差というものを感じる。
話をして、すっかり身体も回復した。再び山頂目指して登り始める。そして勾配のきつい、狭い山道に差し掛かったときだ。
道の脇は、数十メートルもの断罪絶壁。安全柵などというものはなく、落ちれば当然、命はない。そんな道の岩肌を見ていると、突然その岩肌が動き出した。
僕は最初、目の錯覚かと思った。岩肌が動くはずがない、てっきり疲れが出たのだろう。そう思っていた。
が、明らかにその岩が動いている。その岩は、くるりとこちらを向いた。
人の形をした岩。いや、これは岩ではない。モンスターだ。
レントさんたちも気づいたようだ。抜刀し、この得体の知れないモンスターに備える。
「な、なんだ、このモンスターは!?見たことも聞いたこともないぞ!」
ブロック状の岩が積み重なったようなこのモンスターの名を、僕は知っている。
日本ではこういうモンスターを「ゴーレム」と呼んでいる。体が岩でできた化け物、剣や槍が通用せず、火も水も効かない。出会ったら最後、逃げる他ない。
僕ら5人の強みが何一つ通用しない相手の登場に、5人は一斉に逃げるほかなかった。その姿を見て追いかけてくるゴーレム。
重い身体だが、思いの外速い。思えば、ここは下り坂だ。ゴーレムはその重さを利用して、坂道を速く降る。
「はあ、はあ……もー、何なのよ、あのモンスターは!武器や魔法が効かないなんて、いくらなんでも卑怯よ!」
エミリさんは逃げながら文句を言っている。だが、彼女の苦情を聞いてくれる存在はない。僕らにできることは、ただ逃げることだけだ。
しかしこのゴーレムから逃げることは、山を降りることになる。登ればまたこいつに出会う。そしてまた降りる。これでは先に進めない。
なんとしてもあれを倒さなくてはならない。しかし、どうやって?
道の横に目をやる。ここから突き落とすことができれば、さすがのゴーレムもバラバラになるのではないか。
だが、どう見ても相手は数百キロ、下手をすれば1トン以上あるかもしれない。近づけば、あの重厚な腕で殴りかかってくる。そんな相手を突き落とすなんて、至難の業だ。
どうしようか……そう考えていると、目の前には曲がり角が見えた。
あ、そうだ。ひとつだけいい方法がある。
僕は立ち止まる。そして、おもむろにカメラを構えた。
カシャ。
これから倒す相手を、僕は撮影する。そして僕は、腰から剣を抜いて構える。
「ヒロト!な、なにしてるの!?」
突然、歩みを止めた僕を見て、エミリさんが叫ぶ。一方、この挑発的な行為を見たゴーレムは逆上したようで、速度を上げて迫ってきた。
僕は剣を前に突き出した。
ゴーレムは、もう目の前まで迫っている。
そして、ゴーレムが僕に殴りかかろうとした瞬間。
僕は、左に飛んで避けた。
僕の後ろには、崖がある。
あれだけ重い身体だ。僕にように、とっさに向きを変えることはできないだろう。あとは慣性の法則に従って、崖のある方角に突き進むしかないはずだ。
僕の思い通りになった。曲がれないゴーレムは、そのまま勢いよく崖から落ちていった。
崖の下から、ガガーンという岩の砕けたような音が鳴り響く。下を覗き込むと、そこには石塊と化したゴーレムの姿があった。
他の4人も僕のところにやってきた。剣も魔法も効かない相手が倒れた。とても信じられないこの事実を、崖の下にあるゴーレムの成れの果ての姿を眺めながら受け入れようとしていた。
「えっ……殺っちゃったの!?あの岩の化け物を……?」
エミリさんは、唖然とした顔で崖の下を眺めていた。
「すごい!ヒロト!一体どうやって倒したんだ!?」
レントさんが僕に尋ねる。倒したというより、落ちていったというのが正しい表現だろう。重いものは簡単に方向転換できないという法則を利用して、ゴーレムを落としたのだとだけ説明をする。
「よくそんなことを思いつくな。我々だけでは、ただ逃げ惑うのが精一杯だった。いやあ、学問というのはいざという時に役に立つのだな。」
学問というほどのものではない。この戦法は、むしろ太古の昔に使われていたものだ。
狩猟生活が中心だった原始時代に、マンモスを崖に追い込んで落とすという狩りが行われていたと聞いたことがある。少し違うが、このゴーレム退治には、その逸話を応用したに過ぎない。
崖の下に落ちて砕けたゴーレムを、僕は撮影する。
カシャ。
そして僕らは再び、山頂めがけて歩き始めた。
山頂に近づくにつれて、だんだんと明るくなる。靄が消え始め、徐々に日の光が強くなる。日の光を浴びて、沿道には草木が見られるようになってきた。
が、再び緑が消えてしまう。再び茶色の岩肌がむき出しの場所へと変わる。靄は完全に消えているのに、何故だろうか?
そして僕らは、その先にある平坦な場所に出た。
そこで僕は、思わず息をのんだ。
大きな鏡のようなものが、そこにはあった。
ここは山頂近く。尖った山頂と周辺の雲がその鏡に映り、この世のものとは思えない幻想的な風景を作り出していた。
この鏡が湖であることはすぐに分かった。ここは山のくぼみにあって風がなく、湖面が波立たないため、まるで鏡のようになっているのだ。
この辺りにはモンスターもいないようだ。それどころか、草木や小さな生き物もいない場所。生きている存在は、僕らだけだ。
下とは違い、太陽の光も届いているのに、どうしてここは「死の世界」なのか?
僕は、湖岸を見て、その理由がなんとなく分かった。
湖岸には、キラキラと光るものが見える。あれは、塩の結晶だ。
ここはどうやら塩湖のようだ。周囲はおそらく、岩塩がむき出しになっているのだろう。濃すぎる塩分のおかげで草木の育たず、生き物もいない。モンスターも近づくことができないようだ。
この幻想的な場所を、僕はカメラに納める。
カシャ、カシャ……
何枚も撮影した。多分、もう2度とこんな光景に出会うことはないだろう。国王陛下がもう一度見たいといった理由が、分かる気がした。
「ねえ!みんなで水浴びしない!?」
突拍子もない提案をするのは、エミリさんだ。
「いいね。」
「いいよ。」
エマさんとニーナさんも同意する。服を脱ぎ始める女性陣たち。
「ちょ……ちょっと!ここは塩が多い場所だから、乾くと身体中が塩だらけになっちゃうよ!」
「大丈夫、あとで僕の水魔法で洗い流せばいいよ。さ、入ろう!」
あられもない姿で湖に入る3人の女性。鏡のようだった湖面が、彼女らによって乱される。
生の存在が感じられないその場所は、彼女らによって活気を取り戻す。バシャバシャと水をかけあう3人。僕は思わず、そんな彼女らをカメラに納める。
カシャ、カシャ、カシャ……
「ねえ!ヒロトもおいでよー!」
「ええっ!?いいですよ、僕は!」
「何言ってんの、カメラばかりいじってないで、たまには水浴びくらいしなさい!」
目のやり場に困る姿のエミリさんやエマさんに脱がされ、そのまま手を引っ張られて、僕も湖に入る。
キラキラと弾ける水しぶき。弾ける3人に笑顔。幻想的な岩肌。
僕は一生、この光景を忘れないだろう。そう僕は思った。