#2 オークの森
「えいっ!」
薙刀を振るって2匹のスライムを続けざまに倒すエミリさん。あのぶよぶよした体は刃物にはめっぽう弱いようで、たちまち弾け飛び、しぼんでしまう。
白い煙を上げる2匹のスライムの死骸を、僕はカメラに収めた。
カシャ。
「ねえ、あんたの国では、そのカメラっていうのは普通に手に入るの?」
「そうですよ。昨日話した通りですよ。」
「ふーん……一度、行ってみたいなぁ、あんたのいた日本って国。」
昨夜はエミリさんの家に泊めてもらった。どうやら2年前に両親を亡くし、それからずっと一人暮らしをしている。なので、エミリさんは家の余った部屋を僕に貸してくれた。
夕食は近くの料理店に行った。硬いパンと、ジャガイモなどを入れたシチューだ。肉はほとんどない食事。これ2人分で、銀貨6枚だそうだ。
そこで僕は、エミリさんにここに来た時の話をした。多分、信じてもらえないだろうと思いつつも、僕が異世界から来たことを話す。
「……ふうん、こことは違う世界からねぇ。で、あんたは元の世界に帰りたいの?」
「ええ、家族も心配してるでしょうから。」
「分かった。じゃあ、帰るまで一緒に仕事しよう。それまでにもっと稼いで、もっといい武器を買ってさ。」
あっさりと信じてくれたエミリさん。僕のこの姿、それにこのカメラ。どう見たって、この辺りでは見られないものばかりだ。
「さて、スライムをやったけど、もうちょっと歯ごたえのある相手がいいわね。」
「ええっ!?スライムでも十分おっかないですよ。」
「そう?もうちょっと強いモンスターだと、報酬も上がるのよ。どうせだから『オークの森』に行ってみない?」
「オークの森?」
「ここを山の方に歩いて行くと、オークが出るの。」
「あの、オークって……もしかして顔が豚で、図体が大きくて性欲が盛んで、凶暴なあのオークのこと?」
「そうよ。よく知ってるわね。日本にもいるの?」
「い、いや、そもそも日本にはモンスターがいないから……」
「ふうん、平和なところね。まあいいわ、今なら私、倒せる気がするの!」
ということで、翌日はそのオークの森とやらに向かうことになった。
歩くこと20分ほど。脇に生える木々が、さっきまでとは少し違う。少し濃い緑の葉に、鬱蒼と茂った木々。いかにも森といった感じだ。
「さあ、いつでもいいわよ!でてらっしゃい!オーク!」
やる気満々だが、オークどころか、スライムすら出てこない。
その代わりに、まるで狼のような頭をした、2本足で歩く妙なものに出会った。
「な、なんですか、あれは?」
「ああ、あれね。コボルトよ。」
「コボルト?」
「スライムよりは手強いわよ!みてなさい、私が仕留めてあげる!」
「あ、ちょっと!エミリさん!」
薙刀を構えて、エミリさんは飛び出していく。だが、相手は目を持つモンスター。おまけに、牙もある。どう考えても、女の子が薙刀だけで正面からぶつかって勝てる相手には見えない。
とりあえず、僕は武器になりそうなものを探した。道端に比較的まっすぐな木の枝があった。頼りないが、無いよりはマシだ。僕はその枝を握りしめる。
すでにエミリさんとコボルトはにらみ合っていた。相手は幸いにも1匹だけ。狼のようだが、群れで行動するモンスターではないらしい。
エミリさんは動かない。いや、動けないと言った方が正確だ。ちょっとでも動けば、どこから飛びかかってくるかわからない。そういう空気ぐらい、僕でも読める。
でも、このままじゃ相手のペースだ。緊張が途切れたところを襲われて、ガブっとやられる。なんだか、このコボルトはその瞬間を狙っているように思えた。
そこで僕は、思わずカメラを向ける。そして、シャッターを切った。
カシャ。
その物音に、コボルトは敏感に反応した。
「グアッ!」
突然、コボルトは僕の方をめがけて襲いかかってくる。しまった、カメラのシャッターの音が、このモンスターを不用意に刺激してしまった。僕はさっき拾った頼りない木の枝を構える。
と、その時、コボルトの胴体から血しぶきが出る。そしてそのまま、ドサッという音をたてて倒れた。
横には、薙刀を構えたエミリさんがいる。標的を切り替えたコボルトの隙を突いて、エミリさんが横からこの狼の化け物を突いて倒してくれたのだ。
結果的に、僕のこの軽率な行動は、エミリさんにとってチャンスとなった。エミリさんは、初めて倒したスライム以上のモンスターにホクホク顔だった。
「ど、どうよ!コボルトを倒したわ!い、意外と大した相手じゃなかったわね!でもこいつ、スライムの7倍の報奨金がもらえるのよ!」
スライム7匹分を一度で倒したエミリさん。だが、おそらく本人もこれが危うい勝利だと悟ったようだ。
「ちょ、ちょっと疲れたわね!今日はこれくらいにして、帰りましょうか!」
というので、エミリさんと僕はその森を離れる決意をする。せっかくなので、証拠にと僕はこのコボルトの写真を撮っておく。
カシャ。
ついでに、そのコボルトを踏みつけて満面の笑みを浮かべるエミリさんも撮影する。
カシャ。
「さて、帰るわよ。オークには出会えなかったけれど、また別の機会に……」
そうエミリさんが言いかけた時、それは現れた。
帰りの方角の道の上、あの豚の顔をした、緑色の皮膚のモンスターが立っているのが見えた。あれはまさしく、オークだ。
しかしこのオーク、とてつもなく大きい。身長は2メートルはある。胸板の大きさは力士ほどもある。重苦しい鼻息が、ここまで聞こえてくる。
僕はとっさにエミリさんの手を引いて、木の陰に隠れた。
僕よりも小さなコボルト相手にほぼ紙一重の戦いをした僕らが、あんな化け物にかなうはずがない。ここは息を殺してやり過ごそう。そう僕は考えた。
だがこのオーク、なかなかこの場を離れない。もしかしたら、僕らの気配を感じて探しているのではないか?
せめてオークが街とは反対側にいたならば、走って逃げることもできるのだが、街のある方向に居座られては、動きようがない。
「ねえ、ど、どうしよう……」
「エミリさん、隙を見て逃げましょう。まだ、動いちゃダメですよ。」
「わ、分かったわ。」
しばらくその場でじっとしているが、このオークはキョロキョロと周りを見ているだけで、一向に動こうとしない。やはり、僕らの気配を察しているんだ。
このままじゃ埒があかない。なんとかしなきゃ。しかし、オークってどうやって追っ払えばいいんだ?
そういえば、野生の動物は火を怖がる。オークだって、野生動物みたいなものだ。火を見たら、逃げるのではないか?
しかしここには火を起こす道具がない。ライターでも持っていればよかったけど、そんなもの高校生が持ってるわけがない。
ああ、どうにかして火を起こせないか?そこで目に飛び込んで来たのは、木漏れ日だった。
あれとレンズを使って集光すれば、火が起こせるんじゃないか?そう思った僕は、財布を取り出した。
この世界に来る直前、コンビニでジュースを買って飲んだ。その時もらったレシートがある。
そして、このカメラのレンズを本体から外す。レンズ取り付け穴から中のセンサー部が露出するので、これをハンカチでくるんで少しでも埃が入るのを防ぐ。
そして、レンズをその木漏れ日に当て、レシートの黒い印字に集光した。
エミリさんが不思議そうに見ている。何をしているのかと、覗き込んできた。だが、僕はかまわず集光を続ける。
少しずつ、煙が出てきた。そしてついに火がついた。
エミリさんは驚く。それはそうだ。いきなり何もないところから火が出た。ここの人たちの文化水準では、驚いて当然だろう。
火がついたレシートを、そばにあった枯れ草の塊に投げる。すぐに火は燃え移り、パチパチと燃え出した。
が、予想以上に激しく燃え出す。火はあっという間に燃え広がり、1メートルほどの炎をあげる。
あまりの火の回りの早さに僕らも驚いたが、それ以上に驚いたのは、オークだった。
想定通り、火を怖がって逃げ出した。が、あまりに慌てて逃げ出したため、木にぶつかってしまう。
頭の打ちどころが悪かったのか、あの巨体がよろけて、ズシンという音とともにオークは地面に倒れこんだ。
その機会を、エミリさんは見逃さなかった。
「でやぁ!」
薙刀をオークの首の付け根に押し付ける。気絶して動けないオークは、なすすべもなくエミリさんのナイフの餌食になる。
すごい量の血が噴き出した。そんな凄惨なオークにもめげず、エミリさんは首を掻っ切る。あの特徴的な豚顔の頭部が、ゴロンと道の真ん中に転げ落ちる。
返り血を浴びたエミリさんだが、あまりに大きな獲物に、狂喜乱舞している。
「きゃー!オークなんて初めて!すごいすごい!今日の私、すごいわ!」
などと言いながら、オークを切り刻み始めた。
それは、僕にはとても直視できない光景だ。だが、オークを倒した証拠として、カメラに収めることにする。
カシャ、カシャ。
だが、撮った写真をじっくりと見ることができない。オークをバラバラに解体し、内臓を取り出している。
「あ、あの!エミリさん!」
「なによ?」
「何やってるんですか!?」
「オークをね、解体してるの。」
「いや、それはわかりますけど、なぜオークなんかバラバラにしてるんです!?」
「決まってるじゃない。食べるのよ。」
「ええっ!?た、食べる!?」
えっ?オークって、食べられるの?確かに豚みたいな顔をしているけど、だからといって食べられるのか、あれは?
バラバラにしたオークを、着ていたマントに包んで背負うエミリさん。残った食べられない部位は、道端の森の木々の中に投げ捨てていた。
「さ、帰りましょうか。」
「え、ええ……」
だがエミリさん、返り血がべったりとついている。かなり凄惨なお姿だ。
「え、エミリさん、あの、身体に返り血がついたまま街に入っても、大丈夫なんですか?」
「えっ?大丈夫よ。あ、でも街の中の浴場って高いのよねぇ。それよりもこのあたりでどこか……」
ブツブツと言いながらエミリさん、街に向かって歩き出す。
が、その途中、エミリさんは道を外れて林の中に入っていく。どこに行くのだろうか?
ついていくと、そこには小さな泉があった。天然の泉ながら、きれいな水が湧き出ている。
ああ、ここで体を洗うのか。なるほど、ここならばタダで洗える。
「じゃあ、ちょっと水浴びするから、スライムが来ないか見張っててね。」
「あ、はい。わかりました。」
そう返事をすると、エミリさんは突然、服を脱ぎ始める。
「えええエミリさん!ふ、服脱ぐんですか!?」
「はあ?当たり前じゃないの。着たままじゃ入れないでしょう?」
「いや、そうですけど、僕がいるんですよ?」
「えっ!?それがどうかしたの?」
な、なんだと、ここは男の前でそういう格好をしても、平気なのか?
「ふんふふん、ふふふふん……」
鼻歌を歌いながら、バシャバシャと体を洗い流すエミリさん。これもまた、僕は直視できない。
直視できないから、僕に代わってカメラに見てもらう。
カシャ。
撮った写真を、こっそりと見る。エミリさんの透き通った肌が丸出しだ。すらりとした身体、メリハリのあるライン、男子高校生には、いささか刺激が強すぎる姿だ。
あ……そういえば、これって盗撮になるんじゃないのか?いや、本人は全然気にしていないようだ。だからこれは、盗撮ではない。しかし、いいのかな、こんな写真を撮ってしまって。罪悪感と好奇心の狭間で揺れ動く僕。
泉から上がり、服を着たエミリさん。全身ずぶ濡れのままだが、この世界も今は夏の真っ盛りだ。しばらく歩けば、乾くだろう。
スライム2匹、コボルト1匹、そしてオーク1匹を仕留めたエミリさん。満面の笑みで街に帰還し、ギルドへと向かう。
マントを外しており露出度の高い服が丸出しになったエミリさんの肌を、横目でちらちらと見てしまう。
「あの、エミリさん。」
「なに?」
「そういえば、ここにも浴場があるんですよね。」
「そうよ。銀貨3枚で入れるわ。」
「どういうところなんですか?」
「そうねぇ。昼間はやっていないわ。朝早く、日が昇らないと多くの浴場はやらないのよ。街の真ん中の浴場だけ、こうして汚れた駆除人相手に開いてくれるんだけどね、料金が銀貨5枚に跳ね上がるのよ。」
「へえ。そりゃちょっと高いですね。」
「中には長細い浴槽があって、その両側では湯気が出ているの。それで汗を流し、お湯をかけて洗い流し、それから浴槽に入るのよ。」
「ふうん。男湯もそうなのかな。」
「えっ!?男湯?なにそれ。」
「いや、男用の浴場っていう意味で……」
「浴場に男も女もないわよ。男女一緒よ、一緒。」
「ええっ!?まさか、同じ浴場に入るんですか?」
「当たり前じゃないの、何言ってるの?」
この世界の驚くべき常識が、また一つ明かされる。この街の共同浴場は混浴だという。なんということだ。僕も一度、入らねば。
だが、駆除人というのは男が多い。だから、この時間に行っても男だらけ。朝なら一般人もたくさん入るから、当然女性も多いそうだ。そうか、行くなら朝か。
などとまた一つ貴重な知識が増えたところで、ギルドに到着した。
カウンターでギルドの職員に、スライムとコボルトとオークの写真を見せる。エミリさんの水浴び写真が出て来ないよう、細心の注意を払いながら。
「しかもね、オークを倒した証拠だけはあるのよ!」
といって、マントにくるんだオークの肉を見せる。これを見た職員さんは唸る。
「うーん、お前みたいなのが、オークをねぇ……わかった。じゃあ報奨金と、その肉の買取金を出そう。」
「わぁい、やったー!」
エミリさんは大喜びだ。そりゃあそうだろう。聞けば、スライムは1匹あたり銀貨10枚、コボルトは70枚、しかしオークは1匹で金貨2枚。肉代込みだそうだが、それにしてもいい値段だ……って、ちょっと待て。金貨って1枚あたり、いくらなんだ?
「ああ、金貨は1枚で、銀貨200枚分よ。」
「ええっ!?に、200枚!?」
「そ、だから、今回の儲けは、銀貨にすると490枚分なのよ。」
で、僕はそのうち金貨1枚、つまり、銀貨200枚分をもらった。
「ヒロト、本当に金貨1枚でいいの?別に半々でもいいのよ?」
「いや、そんなに要りませんから。金貨が見られただけでも満足です。」
「ふうん、まあ、いいわ。じゃあ、夕飯は奢ってあげるね。」
ということで、そのままギルドで何か食べることにした。
硬いパンは同じだが、スープにはちょっと肉が多い。日本の食べ物からすれば粗末な料理だが、一働きした後の食事は美味い。
「エミリさん、今日の夕飯は美味しいですね。特にこの肉、柔らかくてジューシーです。豚肉ですか?」
「なにいってんの、それ、オークの肉よ。多分、さっき私が持ち込んだやつだわ。」
ええっ!?これがオークの肉?一切れだけだが、濃厚な味の肉。日本の料理に例えるなら、人気のあるラーメン屋に出て来る分厚いチャーシュー肉のようだ。
でも、これがあの緑色で2足歩行をし、僕らを追い詰めていたあのオークの肉なのか?なんだかとても複雑な気分。この世界の常識に、まだ僕はついていけない。




